6代目山口組と神戸山口組の争いは、末端でのメンツをかけた争いや、しのぎを巡る小競り合いは発生しているものの、組織を挙げた抗争にはなってないし、双方の執行部とも、するつもりもない。
長野県飯田市の温泉施設で発生した山口組元組員(43)への銃撃事件は、元組員の神戸山口組への移籍に絡むトラブルだが、すぐに「返し」が行われる状況にない。
それだけ警察当局の締めつけは厳しいし、30年前の山口組と分裂した一和会との山一抗争の時とは違い、暴対法や暴排条例は、いったん抗争を起こせば、トップの組長はじめ執行部を軒並み逮捕、組織を壊滅に追い込む力を秘めている。
したがって神経戦が続き、夕刊紙や週刊誌報道を読む限りにおいては、勢力が拮抗しているように思えるのだが、圧倒的に強いのは、やくざとしての「義」があり、他団体もそれを認めざるを得ない山口組である。
それを押し戻しているのは、神戸山口組の情報戦の巧さだろう。
暴力団ウォッチャーとして知られる記者や週刊誌編集者、マスコミ社会部に巧みに接触、「なぜ分裂に至ったか」を訴えている。
まず、暴力団社会ではあってはならない親を裏切る「逆縁」であることを認めた上で、そうせざるを得なかった上納金の厳しさ、司忍6代目が出身母体の弘道会ばかりを厚遇すること、などを批判する。
その先には、山口組で本部長を務めた入江禎・神戸山口組副組長が持つ上納金の行方等を含む入出金データの「黒革の手帳」があるとか、司6代目の女性問題などが“彩”として流されマスコミの興味を引いている。
それに山口組が、表立った反論をしないのは、もともとマスコミとの接触を禁じていたのに加え、圧倒的優位という自信の裏返し、と見られている。
まず、人数だが、当初、30団体近い分裂と言われていたのが、蓋を開ければ13団体に留まり、神戸山口組の3000人に対し、山口組は1万人。最初から切り崩されていたわけだが、「数は力」は暴力団の鉄則でもあり、抗争がなければ余計にそうだ。山口組に流れる3次団体、4次団体が増えている。
ある山口組幹部は、神戸山口組の3次団体のなかでも最大規模の組織名をあげ、「今は、分裂したばかりで我慢しているけど、離れるのは確実」と、断言した。
もともと、寛容で知られ、それが反弘道会系の決起を遅くしたと批判される神戸山口組の井上邦雄組長は、「去るものは追わない」と、分裂時に明言した。これは珍しいことだが、山口組とのガチンコ勝負を最初から諦めているということで、「自分が求めるやくざ像を通し、最後は名誉の引退をしたい」ということなのだろう。
山口組優位を見て、九州の浪川睦会、東京の住吉会系幸平一家など、場合によっては神戸山口組に参加するとみられていた親しい組織も「友好団体」の枠を出ない。
これが「抗争なき暴力団」の時代を映すものだとしたら、山口組が神戸山口組を吸収して元に戻るというより、双方、縮小均衡に向かう暴力団の時代の終焉を伝えている。