春爛漫。「日本よいとこ」を実感する季節だが、近頃テレビにあふれる“日本礼賛バラエティー”には、いささか食傷だ。
例えば、テレ朝系の「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ‼視察団」。日本の交通システムやら食の安全管理やらを、TV局が招いた外国の専門家が見て回り、担当者の説明を受けて「スゴイ」を連発する。
TBS系の「所さんのニッポンの出番」も外国人に、日本のアレコレをほめさせる点では同工異曲。訪日外国人を空港で待ち受け、行動に密着するテレ東系の「YOUは何しに日本へ?」は、ひとひねりした日本礼賛だ。
視聴者に「受ける」素地があるのだろう。
NHKの「日本人の意識調査」(5年ごと)で「日本人はすぐれた素質をもっている」や「日本は一流国だ」と答えた割合は1983年が最高だった。直近の2013年、これら日本人の自信を示す指標が83年の水準にほぼ並んだ。
83年は「経済」で説明がつく。2度の石油危機から真っ先に立ち直ったのが日本経済。エズラ・ヴォーゲル著「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が79年に出たことも影響しただろう。以後、バブルと崩壊、金融危機と続くにつれ、日本人の自信指標も下降した。
それが、今世紀に入り一転。「失われた○年」が延び、第2の経済大国の座を中国に譲り、大震災と原発メルトダウンもあったのに、自信だけは右肩上がりなのだ。不安の裏返しやピンチゆえの愛国心の発露、といった屈折した側面もあるのかもしれない。
経済はダメ、政治もムリ。とすれば、誇れるのは文化や伝統など広く「日本の流儀」とでも呼ぶべきものだ。経済は成長率など数字で比較できるが、「日本流」の評価となれば、外国人の手(口)を借りて、となるわけだ。
テレビばかりか、最近はネットにも増えた日本礼賛コンテンツは、根っこのところで、「自虐メディア」としての朝日新聞バッシングや、本屋にあふれる嫌韓・嫌中本など、つながっているように思う。朝日の誤報、訂正の遅れ、謝罪の欠如などは批判されて当然だが、その激しさ、執拗さには少々驚く。
自虐の反対語は自愛。自慢や自尊もあるが、最近の風潮は、あえて「自誇示」とでも呼びたくなる。戦後70年の安倍談話も、自誇示のノリにならないか心配だ。戦前の日本も「坂の上の雲」を見つめ地道に歩を進めていたのが、日露戦争の戦勝後「一等国」などと自誇示するようになって、おかしくなった。
「自虐」から「自誇示」へ 変わる日本人の意識 |
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意識調査で日本は一流国と答えた割合がバブル期に並んだ 日露戦争後は一等国意識でおかしくなった 土谷英夫
公開日:
(ソサエティ)
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土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。
著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版) |
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