山口組は、毎年12月13日、新年度への決意を示し、子分が親分に改めて忠誠を誓う「正月事始め」の儀式を執り行う。その内々の行事が、これほど注目されたのは初めてのことだろう。
無理もない。
山口組が、神戸山口組と6代目山口組に分裂して初めての事始め。出席する組長の数で新たな勢力図が読み取れるということで、神戸山口組の会場となった侠友会本部(淡路市)と6代目山口組の神戸市内の総本部前には、早朝から大勢のマスコミが詰め掛けた。
だが、結果は静かな事始めだった。神戸山口組は「納会」という1年を締めくくるだけの会にし、直近加入の藤原健治3代目熊本組組長、古川恵一2代目古川組組長を迎えた。神戸山口組の方に勢いがある状況に変わりはないが、2人の移籍は予想されており、それ以外の直参(直系組長)で、6代目山口組の事始めを欠席するところはなかった。
もうひとつ注目されたのは、6代目山口組の執行部人事である。
事始めの直前、司忍6代目と高山清司若頭(収監中)に次ぐポストに位置する橋本弘文統括委員長(極心連合会会長)が、一時、引退を示唆。3日で翻意して復帰はしたものの、その責任を取らせる意味で、司6代目は橋本統括委員長を事務方責任者の大原宏延本部長(大原組組長)とともに、執行部から外すと見なされていた。
つまり、関西に基盤を持つナンバー3と4を外し、代わりの統括委員長に東京の藤井英治若頭補佐(5代目國粋会会長)を就け、本部長に名古屋の竹内照明若頭補佐(3代目弘道会会長)が座ると目されていた。関西の神戸山口組と名古屋を中心とする6代目山口組に色分けされる人事だった。
しかし、橋本引退騒動から約10日で、そこまでの決断は出来なかった。そこで司6代目は、橋本執行委員長と大原本部長を、中二階に上げて舎弟にはしたものの、役職までは解かなかった。
「今、執行部をいじれば他の人事にも影響する。様子を眺めながら、新年は現体制で迎え、そのうえで体制を立て直すということやね」(2次団体幹部)
事始めでは、新年度の「組指針」が発表される。昨年は「温故知新」で今年は「有意拓道」だった。「道なき道を柔軟に切り拓く」という意味だと説明された。
今年100周年を迎えた山口組は、1月25日、総本部に全国の親戚・友好団体12団体のトップを集め、全直参74名とともに、「100周年記念式典」を盛大に開催した。
司6代目は、それから約7ヶ月後の8月27日、関西の中核である山健組を筆頭に13団体が離脱するなど考えもしなかっただろう。関西・中国地方での神戸山口組の切り崩し工作が進むなか、司6代目は「有意拓道」を、自分自身に言い聞かせているのかも知れない。 司6代目は、それから約7ヶ月後の8月27日、関西の中核である山健組を筆頭に13団体が離脱するなど考えもしなかっただろう。関西・中国地方での神戸山口組の切り崩し工作が進むなか、司6代目は「有意拓道」を、自分自身に言い聞かせているのかも知れない。