ヤンキースに移籍してからのイチロー(41)がちょっとつまらなくなったのは単に出場機会が減ったから、というだけではないだろう。急に老いが来たというわけでもない。野球の概念を変え「安打の国」を建てた王のための〝領土〟は、すべての選手に臣従を求めるヤンキースというチームにはもともとなかったのだ。
昨年のイチローは出場143試合で、渡米後の14年間で最少の102安打に終わった。打撃に衰えの兆候がないとはいえないが、誰にも負けない守備力を備え、完璧な準備をしているのに、控え扱いされる。2012年のシーズン途中、あっといわせる移籍をしてからの2年半は忍従の歳月だった。
マリナーズ時代のイチローは野球の価値観をひっくり返し、フィールドをdominate=支配していた。ワンバウンドしそうなボール球でも拾い上げて外野に運び、平凡なゴロを異次元のスピードで内野安打にする。圧倒的なヒット数は野球が点取りゲームであったということを忘れさせ、安打数を競うスポーツであったかと錯覚させた。常識を破壊してできた更地に、イチローの帝国が建てられた。
右翼守備でもわくわくするような「ショー」への期待を漂わせ、外野の一隅に過ぎなかった空間を魅惑のワンダーランドに変えた革命児。
勝てないマリナーズにあって、セーフコ・フィールドは自然にイチローの一人舞台になっていたが、その「主」には我慢のならないことがあった。
球場のスタンドは相手がヤンキースやレッドソックスだと、ビジターチームの側からお客が詰めかけた。「三塁側(ビジター側)から入っていくなんて」
メジャーのなかでは後発球団であるマリナーズとしては致し方ない面があるのだが、この風景に慣れてしまった球団や選手にも、イチローはフラストレーションを抱いていたはずだ。
それが電撃移籍の背景にあり、移籍先が「メジャーの中のメジャー」であるヤンキースだったことの理由ともみられるが、残念ながらそこにイチローの領土はなかった。
ボールを選ばず、悪球でも打っていくマリナーズ時代のイチローは「安打数至上主義」にもみえた。これについては地元メディアでも懐疑的な声があった。
イチローこそ勝利に飢えていたのだということは、それこそヤンキースへの移籍が証明しているのであるが、もう残り時間は多くない。イチローはやはり安打の国という一国一城の主でいるのが似合う。チームにかしずくのはもういいだろう。
メジャー通算3000本安打まであと156本。イチローの代理人はレギュラーで出られるという条件を、移籍先探しの最優先事項としている。試合に出られさえすれば、というのがイチローの思い。フィールドの支配者として返り咲き、隠れもしないエゴイストとして安打生産に徹するのでなければ本人もファンも面白くない。