今夏ロシアで開催された水泳の世界選手権で、日本のシンクロは8年ぶりにメダルを獲得した。ヘッドコーチとして昨年、日本代表の強化の現場に復帰した井村雅代氏(64)の「モーレツ」ぶりは有名だ。味方も多ければ、敵も多いというアクの強さに、勝てる秘密があるようだ。
井村氏が世間をあっといわせ、日本水泳連盟幹部が頭から湯気を出すような行動に出たのはアテネ五輪を限りに日本代表コーチを退いたあとの2006年。ライバル、中国代表のコーチに転身したのだ。
関西弁で選手を叱咤しながら指導する様子は、はたから見ていても怖い、と取材をした記者は言う。パワハラ、圧迫面談……、そんな言葉が浮かんでくるようだが、当人はおかまいなしだ。メダルのために必要なことを必要な時にやるだけ。井村氏にとってこの厳しさは当たり前なのだが、歯に衣着せぬ言動は水連幹部に対しても変わらなかったから「反井村派」も少なくなかった。中国への転身に際し「裏切り者」との陰口が出たのも無理はなかった。
シンクロが五輪の正式種目となった1984年ロサンゼルス大会以来、アテネまで6大会連続でメダルを獲得していた日本は井村氏が去ると弱体化。2008年北京大会は銅1個のみで、12年ロンドン大会ではメダル無しに終わった。対する中国は日本を追い抜いて世界トップクラスにのし上がった。
その井村氏が14年、10年ぶりに日本代表ヘッドコーチに復帰したのは、なんだかんだいっても確実にメダルを取らせるという指導者としての実力のゆえであり、今回の世界選手権は「表彰台請負人」としてのすご腕ぶりを、改めて天下に知らしめることとなった。
井村門下の選手は一日に12時間以上水に入っているという。人魚になるまで泳げ、というわけで、これは長年日本競泳界を引っ張ってきた故古橋広之進日本水連会長の「魚になるまで泳げ」を地で行くものである。
指導者は選手に嫌われてナンボという。その代わり、ついてくれば必ず栄光のゴールに導くという強い指導者像は、バレーボール女子で「鬼の大松」といわれた大松博文、スパルタ式の代名詞となっている「八田イズム」のレスリング・八田一朗らの系譜に連なる。
井村氏自身、たたかれ、あちこちの角にぶつかりながら生きてきた。大阪でシンクロ教室を始めたものの、しばらくは練習場所のプールを確保するのにも苦労した。水連のなかでも、伝統の競泳からすればシンクロは当初「色物」でしかなく、強化予算獲得には五輪のメダルを重ねて実力を示すほかなかった。内外の敵を向うに回して切り結んできた半生には、人には言えない苦労があっただろう。
選手に嫌われることをいとわない強さは筋金入りであり、ちょっと手荒な指導をしただけでパワハラだの言葉の暴力だのといわれ、事なかれ主義の先生、指導者が増えていく今の日本では稀有な存在となった。
井村氏は選手に「世界で一つの花になればいい」とは決して言わない。目指すのはあくまで世界で一番の花。甘言とおだてで育てた選手はしょせん大舞台では勝ち切れないと知っている。「選手を叱れない指導者は優しいのではなく、ただの無責任」と喝破する。
この手の強さが必要なのだということを、わかっている人はわかっているのだろう。少し古い話になるが、井村氏はJR福知山線の脱線事故を受け、JR西日本が再発防止のために設けた安全諮問委員会の6人のメンバーに、鉄道システムや事故におけるヒューマンファクターの研究者らともに選ばれている。それこそ人と人とをシンクロさせるための組織論の専門家であること以上に、人を叱ることのプロとして見込まれたのではないか、と筆者は想像している。