巨人の福田聡志投手(32)が、自軍の試合にまで賭けていたとされる野球賭博問題はクライマックスシリーズ(CS)の球趣をそいだだけでなく、東京五輪で正式競技としての復活が有望となった祝賀ムードに冷水を浴びせた。球界はいつまであの黒い霧事件の〝亡霊〟におびえ続けねばならないのか。
福田投手は高校野球、プロ野球、果ては大リーグの試合にまで賭けていたという。3、4試合とはいいながら、自軍の試合にまでお金をつぎ込んでいたとされる。本人は今季1軍登板がなく、直接試合の結果を左右する立場にはなかったが、同じユニホームを着た仲間の試合結果に賭けるという心境は理解を越える。
もちろん、これらは巨人の調査による限りのもので、最終的な事実関係の認定はコミッショナーサイドの調査を待たなければならない。
6選手が永久追放となった、1969年から70年にかけての黒い霧事件の記憶もあり、野球賭博=八百長と連想しがちだが、厳密にいえば、この二つは次元が違う話。現在明らかになっているのは福田投手が野球賭博の客になっていたらしい、ということだけだ。
しかし、過去の不祥事で浄化を図ったにも関わらず、選手が道を踏み外しかねない土壌は残されたままなのではないか、という可能性は排除できない。
黒い霧事件では当時、西鉄、中日、東映の選手が永久追放となっているが、野球賭博に関係のある暴力団員から金品を受け取ったなどとして、戒告などの処分を受けた選手を含めると、ほぼ全球団に疑惑の黒いしみがついていた。
本来なら戒告どころで済まない選手が〝量刑〟上、微罪とされたのは、いちいち出場停止などの処分を下していたら、とても客を呼べるプロ野球ではなくなってしまう、と懸念されたからだともいわれる。
永久追放となった選手の何人かには「厳正な処罰」の象徴として人身御供にされた、との同情論も当初から球界内外にあり、それがのちの処分解除、復権運動の源流の一つにもなっている。
あのとき、膿を出し切っていたのか。
巨人・桑田真澄投手の登板日漏えい疑惑が持ち上がったのは1990年のこと。予告先発制度のなかった当時、登板日に関する情報は野球賭博に悪用されかねないものとされ、問題視された。
結局、賭博とは一切かかわりないと潔白が証明されたが、疑惑をもたれかねない行為があったこと自体、プロ野球選手として問題ありとして、当時のセ・リーグ会長から誓約書を求められている。球団の調査の過程で事実と違う申告があったとして、1000万円という巨額の罰金を科されもした。
球団もまた、選手管理に甘さがあったとしてリーグから2000万円の制裁金を科されている。それだけ関係者は深刻に事態をとらえていたことになるだろう。当時はまだ黒い霧の記憶も生々しかったはずである。
こうした問題は貴重な教訓となり、そのたびに球界は襟を正してきている。にもかかわらず、福田投手のようなケースが出てきてしまう。
私設応援団からの反社会的勢力の排除など、球界は徹底した浄化に努めているが、まだまだ付け入られるスキを残していることが、今回明らかになったわけである。
福田投手に賭けを持ち掛けたのは暴力団員ではないとされているが、野球賭博の常習者、つまり「その道の人」であったかどうかは今後の調査に委ねられ、それにより処分も変わってくる。
プロ野球などを対象とした賭博は依然、裏の社会の資金源となっている。プロ野球選手を取り巻く環境として、そうした「基礎的条件」は黒い霧事件の当時とほとんど変わっていない、とみてよい。今回の件を個人の非行として片づけるのでなく、背景まで調べを進め、組織的な対応策を取らない限り、黒い霧事件の亡霊はいつでも出てくるだろう。