ゼロベースからの見直しが決まった新国立競技場。迷走は事業の主体となっていた日本スポーツ振興センター(JSC)、監督官庁の文科省(国)、五輪開催の主体である東京都、それぞれの当事者としての自覚のなさに原因がある。だが、それももとはといえば、オリンピックそのものの変質がもたらした混乱といえなくもない。
2013年9月、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会。2020年東京五輪の開催が決まった席には日本の安倍晋三首相、トルコのエルドアン首相、スペインのフェリペ皇太子と元首級が勢ぞろいした。これが変貌する五輪の象徴だ。
五輪の開催主体は都市のはず。この時の候補都市でいえば、東京都、マドリード、イスタンブールの首長が本来なら前面に出るべきところだ。ところが、現実には各国の元首級が出席しないことにはもう収まりがつかない、ということになっている。
日本の「おもてなし」プレゼンテーションを演出したことで知られるマーティン・ニューマン氏は「2016年大会の決定総会にも日本の総理、ブラジル大統領、米大統領が出席した。それくらいの政治的指導者がその場に不在だったら、IOCは『なぜいないのか?』と問うだろう」と語っている。
つまり国を挙げての招致活動は当たり前で、IOCに国家レベルの「本気度」を査定される、というわけだ。
五輪招致レースは今や、サッカーワールドカップの招致と並ぶ、世界最大規模の〝選挙運動〟の一つといえるだろう。国の威信を賭けた計画立案やプレゼンテーションが重厚長大になるのは当然で、華美に走った当初の新国立競技場のデザインは世界の耳目を集めるための金看板だったわけである。
原点に戻ろう。五輪が都市を主体としているのはなぜか。また五輪憲章はなぜわざわざ「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と唱っているのか。各国の国内政治からも国際政治からも自由な運動を目指すのが五輪の趣旨だ。現実にはそうはいかないけれども、その理想を追い求めてきたのが五輪というムーブメントなのだ。
国家が前面に出る現在の招致活動が、すでにその精神から逸脱しているのはいうまでもない。IOCはしきりに大会の肥大化防止を唱えているが、国家間競争をあおるやり方自体が原理的に肥大化を促しているのだ。
ここに書いていることは理想論に過ぎないが、大事なのは当事者がそれを踏まえたうえで動いているかどうかという点だ。
例えば、新国立競技場の計画がリセットされる前の段階で、文科省が東京都に膨れ上がった事業費のうちの500億円程度の負担を求めよう、という局面があった。
「国立」というのだから、国の責任で作るべきなのだが、五輪の開催主体は誰かということになると、東京都に負担を求める理屈も多少はあることになる。下村博文文科相らはその原理原則をどこまで意識していたのだろうか。あるべき五輪の姿という理想像はそこにあったのだろうか。
今回の混乱は都市が開催主体であるのに、実態は国という五輪自体のねじれがもたらしたもので、それが関係各所の当事者感覚を失わせたのではないか。国、東京都、JSC、誰もが「あなたのボールでしょ」といって捕りに行かなかった結果が、手痛いポテンヒットとなってしまったのだ。ことの重大性からすれば「ポテン」という軽い言葉では済まないのだが。
IOCは今回の会場計画の変更をさしたる異論もなく、了承したようだ。本来なら〝公約違反〟とされ、実現できない計画で総会を欺いた、と糾弾されてもやむを得ないところだ。それがそうならなかったのはIOCが寛容だからではなく、国家間競争をあおったのはほかならぬ自分たちである、といううしろめたさが彼らにあったからではないか。