都知事として、経費の削減などを含め大会の準備を重ねてきた立場から言えば、用意したことの1割も実現できなかった。五輪を機に、世界中の人たちに日本を知ってもらおうと、東京発で地方に行く観光ルートを整えたが、無観客ということで、海外から観客が来ず、また選手や大会関係者も厳しい規制で、これは実現できなかった。
さらに、東京全体を文化の舞台とする取り組みもほとんどできなかった。昼間は競技を観戦し、夕方からは首都圏の美術館で浮世絵などをはじめ日本の美術を鑑賞してもらおうと考え、統一入場券の用意もしたが、感染防止でこれも不可能になった。
まさに異例の五輪である。選手の立場からは、開催されてよかったのは当然で、メダリストの輝いた選手などは、もし中止になっていれば、その後の人生も大きく変わっていたかもしれない。
しかしながら、延期の上に、コロナ禍での開催という、無理に無理を重ねた結果、競技の「公正さ」が十分に保たれたか否かは疑わしい。練習時間の確保をはじめ、コロナ感染状況によって、国によって条件が異なっている。フェアという観点からも、反省すべき点は多々あると思う。
経済的な観点からは、3兆円の経費をかけ、33兆円の経済効果があるという見通しであったが、それは修正を余儀なくされている。野村総研のエコノミストによると、仮設設備の整備やグッズ売り上げなどで1兆6771億円の経済効果があったと試算した。当初は1兆8108億円と見積もっていたが、無観客のため1335億円が失われたという。
しかし、たとえば東京都が負担した人的、物的経費は莫大なものになる。多くの職員が組織委員会に出向するなど人的資源が大きく五輪に割かれた。開催都市であるから仕方ないが、私が都知事だったときには、コロナ感染前ということもあって、公務の半分くらいは五輪の準備に使ったのである。
都外の施設を活用するなどの工夫をしたことによって、競技施設建設経費は約2千億円削減したが、それでも大会後に黒字が見込まれる新設の恒久施設は、バレーボールの有明アリーナくらいのもので、水泳の東京アクアティクスセンター、海の森水上競技場など、他はすべて赤字となる。この経費も、毎年、都の予算に計上しなければならない。
一方で、コロナ対策費で、私を含め歴代都知事が積み立ててきた財政調整基金(貯金)9200億円は、小池都知事が直ぐに使い切ってしまった。この穴埋めも必要で、今後は増税か都債の発行で切り抜けるしかない。五輪開催のつけは都民にとって大きなものになりそうである。
菅首相にとっては、コロナ収束、五輪成功で支持率を上げ、衆院選を乗り切る公算であったが、その目論見は大きく狂い、8月7,8日に実施された朝日新聞の世論調査では、内閣支持率が28%(−3)%と遂に2割台に落ちてしまった。これは、政権に赤信号が灯ったことを意味する。不支持率も53(+4)%まで上がってしまった。

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コロナ対策については、「評価する」が23(-3)%、「評価しない」が66(+1)%であり、ワクチン接種については「遅い」が73%、「順調だ」が20%である。菅首相の続投については、「続けてほしい」が25%、「続けてほしくない」が60%である。
菅首相にとっては、五輪開催は支持率の向上に繋がらなかったようである。
IOCは、無観客でもNBCから放映権料はしっかりと確保し、負担は東京都や日本国に押しつけることで、万々歳である。しかし、バッハ会長が「ぼったくり男爵」と揶揄されたように、今後五輪やIOCのあり方が世界で大きな問題になっていくことは確かである。
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