2月3日の森喜朗氏の「女性蔑視」発言以来、2週間にわたって日本中が大騒ぎした東京五輪組織委員会会長人事、橋本聖子五輪相が後任として就任することで決着した。
女性で、五輪に7回も選手として参加し、政治経験もあるなど、内外の世論は大歓迎であり、これですべて丸く収まったような感じで、一切の異論を封ずる日本のタブー社会はもう沈黙している。
この人事の主役は首相官邸であり、背景に、都議選(7月4日)、衆院選を控えての大きな政治的計計算があることは周知の事実である。
東京五輪についての世論の動向を見ると、2月4〜7日に行われた時事通信の世論調査では、東京五輪開催に「賛成」が28.5%、「反対」が58.4%となっている。
また、6、7日実施の共同通信世論調査では、「予定通り開催」が14.5%、「再延期」が47.1% 、「中止」が35.2%である。さらにANN世論調査(13,14日)では、「7月開催」が22%、「再延期」が35%、「中止」が36%となっている。
森氏から橋本氏へ会長が交代したことで、このような否定的な世論が大きく変わることは期待できない。
先の時事通信の世論調査では、開催に反対する理由は、「新型コロナが収まりそうもない」が67.9%、「感染対策を講じても完全には防げない」が67.0%と多く、賛成する理由は「選手のため」が63.4%である。すべては、新型コロナウイルスの感染状況次第だということである。
組織委会長は、これから東京五輪の開催か中止を決めるときに重要な役割を果たす。開催するにしても、観客はどうするのか、無観客か海外からの観客を認めるかなど問題は山積している。とてもパートタイムでできる仕事ではないし、森氏の発言が国際的な大問題になった以上、新会長の一挙手一投足を世界が見つめている。
ところが、橋本氏は国会議員はそのまま続けるという。野党の反対もあって、政治的中立性を担保するためとして自民党は離党した。しかし、橋本氏のみならず、官邸も自民党も野党も問題の本質を理解していない。
私は都知事のときに組織委の森会長と東京五輪の準備を進めたが、森会長の健康状態もあって、万が一のときを考えた。そのときの了解事項は、政治家が就任するときには国会議員の職は辞するということであった。
橋本会長は国会議員を辞めるべきである。それは、国会議員は権力を行使するからである。
森前会長が自民党を離党したという話は聞かない。現役議員でないから、政党所属など何の問題も無いのである。つまり、議員辞職を求めずに、離党のみを求めるのは本末転倒も甚だしいのである。
その理由を以下に記す。
先述したように、組織委会長も国会議員も片手間で務まるような仕事ではない。もし、そう考えているとしたら、それは双方のポストに対する侮辱である。
森騒動の後である。全身全霊で会長職に専念するのでないとおかしい。また、国権の最高機関の国会議員は国民の税金から歳費が出ており、フルタイムで十全に活動しないと問題である。
国会議員は様々な特権を持つだけに、制約も多い。たとえば寄付行為の禁止である。河井案里議員の例を見ても分かるように、議員歳費の返上は寄付行為に当たるので不可能である。
公益法人の組織委会長歳費も同じである。歳費を返上するから兼職するというのは、法的には成り立たない。国会議員を辞めるしかないはずである。
さらに言えば、国会議員という公職にとどまる限り、離党しようがしまいが、五輪憲章が求める政治的中立性は保てない。
たとえば、五輪関連経費を含む予算案に対する採決はどうするのか。棄権するのか。IOCは、政府が介入しすぎるとしてイタリアのオリンピック委員会に対して警告を発している。日本も同じような警告の対象にならない保証はない。
戦後になっても「五輪なら何でも許される」という甘えが続いてきたが、「女性蔑視」発言同様に、そのような考え方は時代錯誤である。1964年の東京五輪の成功以来、「五輪」という錦の御旗があれば、いかなる無理も許されるという風潮が続いてきた。都知事として東京五輪の準備をする過程で、私はそれに対して抵抗した。
たとえば、新国立競技場の建設がそうである。税金で作るのに、絢爛豪華なものを追い求め、巨額の建設費となった。私は、それに異を唱え、結局ザハ・ハディド案は白紙に戻されたが、万事がそうであった。各スポーツ連盟も、五輪を理由に自分たちの施設を立派なものに作り替えようとしたのである。
2010年のバンクーバー冬季五輪、2014年のソチ冬季五輪のときも、橋本氏は参議院議員でありながら、選手団長を務め、長期に国会は欠席した。参議院は、これを特例として認めたが、本来は正しくないだろう。皮肉に言えば、橋本氏に期待されていたのは国会議員としての仕事ではなく、日本国の金メダルを増やす仕事だったのである。そのような甘えの延長線上に、今回の人事もある。
「五輪のためなら何でも許される」という考え方は、世界では通用しない。巨額の経費のかかる五輪の開催地に手を挙げる都市が激減していることがその典型である。日本だけが、古い発想を墨守してよいはずはない。
これでは、2020東京五輪は、何のレガシーも残さないことになってしまう。
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Reuters
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舛添 要一(国際政治学者)
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