7月12日、東京都に4度目の非常事態宣言が発令された。8月22日までである。
沖縄県も宣言が延長された。また、埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府の蔓延防止等重点措置が延長され、北海道、愛知県、京都県、兵庫県、福岡県は措置が11日で解除された。
東京五輪開会式まで10日前という時点での、この対応である。しかも、首都圏、北海道、福島県は無観客、観客を制限してでも入れるのは静岡県と宮城県のみとなった。
そのため、900億円と見込んでいたチケット収入も、チケット445万枚の97%が払い戻されるため、わずか3%の27億円の収入のみとなる。
その穴埋めは組織委では無理なので、開催都市の東京都が行うことになる。都ができないときは国が面倒を見ることになる。IOCは一円も出さない仕組みだ。
日本国民もIOCの傲慢さに次第に気づいてきているが、IOCが「不平等条約」を強いることができるのは、開催地に立候補する都市が多く、IOC委員に賄賂を渡してでも開催を勝ち取ろうとしてきたからである。
竹田前JOC委員長もフランス検察の捜査対象となったことはよく知られている。どんな要求を出しても開催都市は不満を言わないという奢りがIOCに生まれるのは当然である。
しかし、今や状況は様変わりしている。
五輪の開催には巨額な経費がかかり、また競技場建設による環境破壊など様々な問題を引き起こすとして、反対する住民が増えており、住民投票で立候補を断念する都市も出ている。
2024年パリ、2028年ロサンゼルスを同時に決めるというのは異例であったが、手を挙げる都市がなくなってきている状況での苦肉の策であった。
2032年はオーストラリアのブリスベーンに一本化されたが、その決定過程も不透明である。TOKYO2020が決まったときのように、IOC委員による投票で決まるような形でないことだけは確かである。
1964年東京大会は新幹線や首都高速道路を遺産として残し、まさに戦後復興の象徴となった。しかし、今回の大会は何をレガシーとして残すのであろうか。
私も都知事として、大会の準備に邁進してきたが、思い描いてきた大会の10%も実現できないという惨状である。五輪は、スポーツのみならず、文化の祭典でもあるが、予定したイベントはできない。聖火リレーも、公道では行えないような状況になってしまった。
そして、極めつきは無観客開催である。
五輪が平和の祭典と言われるのは、選手のみならず、観客も世界中から集まり、「世界が一つ」、「人類が団結」という姿を演出するからである。海外からのみならず、国内の観客もなしということになれば、五輪の意義の大半は失われたことになる。
いかに観客が必要かは、1936年のベルリン大会を思い起こせばよくわかる。「ハイル、ヒトラー!」と挨拶する大観衆の政治的効果は抜群であった。
テレビで観戦するのなら、日本国民にとって東京で開催する意味はない。海外からの客を当て込んで、多数のホテルを建設し、観光収入を皮算用していたからこそ、五輪の経済効果は33兆円と日本銀行がはじき出したのである。大会開催経費は実際は3兆円かかっている。33兆円などは、とても稼ぎ出せそうにない。
五輪を何としても開催するということで、政府は、東京に4度目の緊急事態宣言を発令したのであるが、飲食業界、観光業界など青息吐息である。また、熱海の土石流災害をはじめ、各地で豪雨による被害が続出しており、被災地では五輪どころではない。
組織委の武藤事務総長は、今回の東京大会がパンデミック時の五輪開催のモデルとなると言ったが、むしろ反面教師になる側面のほうが多いのではないか。
チケット収入は97%減、経費だけが膨張する五輪 |
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【舛添要一が語る世界と日本(98)】東京五輪、「無観客」で何が残せるのか
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舛添 要一(国際政治学者)
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