滑舌がよいとは言えないが、饒舌ぶりに変わりはなかった。12月24日夕の安倍晋三前首相の記者会見。「桜を見る会」前夜祭のパーティー代を補填していたことがバレて公設第一秘書が略式起訴され、安倍さんは国会でうその答弁を重ねてきたことを公式に謝罪した。さすがに神妙な面持ちだったが、饒舌だなと感じたのは後任者の訥弁が際立つからか。
テレビ中継が終わりネット中継に切り替えた頃から、なんだかだんだん腹が立ってきた。安倍さんにではない。核心をはぐらかし、意味のない応答を繰り返す。安倍さんがそういう人だというのはとうにわかっている。腹ふくるのは質問を発する記者たちにである。突っ込みどころ満載のこの記者会見。相手がガードを下げているのに別のところにパンチを打つ。その繰り返しにため息が出た。
例えば、国会で追及されていた当時、ホテル側に明細書を確認しなかった理由を問う質問。たしかにあの当時、明細書さえ取り寄せれば補填の有無が分かりそれで一件落着していたはず。安倍さんはこう答えた。「ホテル側は公開を前提にするのであれば営業の秘密にかかわるので出せないということだった」。これはおかしい。
一国の総理が嫌疑をかけられているのに、ホテル側は「営業上の秘密」を盾に経費明細を出すことを渋るだろうか。百歩譲ってそうだったとしても、「差支えのある部分は公開しないから」となぜ言えなかったのか。この不可思議な答えに記者たちは追い打ちをかけなかった。
肝心の、補填支出を収支報告書に不記載にした理由についても不明のままだ。安倍さんは、少し前に高齢で退職した事務所の元担当職員が2014年からなぜか載せなくなったとだけ説明した。そして、この元職員は地検から聴取を受けたとしたうえで「元職員とこのことについて相談したり、話をしたり、報告を受けたりしないように言われている」と述べ、接見できないために理由がわからないとした。
しかし会見当日には刑事処分が終わっているのだから接見しても捜査に支障はないはず。仮に地検がそう言ったとしても、首相在任中の重大事案であり「政治責任上、事実関係を把握して説明する義務がある」と説得することもできたはずだ。
会見をみていていらいらがたまるのは、こうした不十分な答えに対し記者側の「さら問い」(関連質問)がほとんどないことだ。記者会見は共同作業である。他社の記者がした質問で疑問が残ったらそこを攻める。用意した自分の質問は後回しにする。そうした共闘によって、問題の核心が浮き彫りになる。「さら問い」は記者側の重要な武器なのに、なぜ使わないのか。
よく言われるのが時間の制約。今回の会見も仕切り役の司会者が冒頭に「一人一問で」とくぎを刺し、1時間近くたつと「会場は7時までしか借りていないので、あと一問」と制した。しかし、この記者会見は前首相が自ら進んで「説明責任」を果たそうと開いたものだ。しかも、もはや一議員なのだから「後の公務がありますので」なんて言い訳は通用しない。だから時間の制約はあるはずもなく、「一人一問」にする必要もない。なのに記者は誰一人文句を言わない。
そもそも記者会見の設えを会見する側に任せていることに問題があるのだろう。今回、安倍さん側から指名された平河クラブ(自民党記者クラブ)の幹事社はどういう折衝をしたのか。なぜ時間制約なし、一人一問の制約なしなどの条件を課さなかったのか。
いまは多くの人がテレビやネットのライブ中継で記者会見を傍聴する。人々が見ているのは会見する側だけではない。記者の質問や態度も観察されている。それは今日のメディアの質をあますところなく映し出す。
疑問が残ったままの答えを放置して別の質問を投げかける記者。取材相手を慮ったような態度でお伺いをたてる記者。司会の仕切りに諾々と従う記者。今回の会見を見た人たちの中には「果たして彼らは私たちを代表しているのか」と思った人もいるだろう。逆に、記者たちがまなじりを決して食い下がるさまを見れば、人々は彼らの書く記事を読みたくなるのではないか。
取材プロセスが可視化される時代は、記者たちの本気度が試される時代でもある。ジャーナリズムが信頼を回復するには、まず記者会見から立て直すことだ。
安倍記者会見は なぜこんなにつまらなかったのか |
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【世界を見る眼】会見は中継され読者から見られているのに 記者側に立て直す責任
安倍前首相の会見=Reuters
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河原 仁志(ジャーナリスト)
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