マイナンバーと預貯金口座の紐づけが急浮上している。きっかけは、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う一律10万円の現金給付の混乱で、あらかじめ振込先の口座が登録してあれば迅速な給付(口座振り込み)ができた、という話だ。
便利で効率的であるのは間違いないが、一方で個人情報やプライバシー保護の上で国民の疑念は根強く、全国紙の論調も推進・慎重が交錯する。
そもそもマイナンバーは住民票を持つすべての国民に一人1つの個人番号を付与し、行政を効率化し、国民の利便性も向上させようというもの。「社会保障」「税金」「災害対策」の3分野が対象で、所得や納税、年金など別々に管理されてきた個人情報を同一人物の情報だと確認できるようにすることで、公正な課税や社会保障給付に役立てる目的も併せ持つ。
政府はナンバーの活用範囲を広げるために、マイナンバーカードの普及を図っている。カードは公的な身分証明書であり、住民票などの取得やオンラインでの確定申告など、行政の様々な手続きが簡単になる。
2021年3月からは健康保険証代わりに利用可能になる。2020年9月~2021年3月には消費税率引き上げ対策の一環で、マイナンバーカードでキャッシュレス決済するとポイントを還元する。政府によるオンラインサービスをとりまとめたウェブサイト「マイナポータル」も、カードがあれば利用でき、自分自身の情報の確認のほか、児童手当や傷病手当金など一部手続きの電子申請ができる。
こうした国民の利便性向上は、行政の効率化と表裏一体だ。
だだ、カードの普及率は4月1日現在で16.0%に過ぎない。日常生活で「不可欠」というほどのメリットが見出せない一方、プライバシー侵害などの懸念が根強く、国民は冷ややかだ。
政府は今回、この現状を打破する狙いもあって、10万円給付についてマイナンバーカードを使ったオンライン申請を推奨したが、結果は大混乱だった。各自治体は二重申請や入力ミスの点検、金融機関の口座の照合などに追われ、郵送での申請より給付が遅くなる事案も続出。カードを持つ人で、暗証番号を忘れた人が、暗証番号再発行のために自治体窓口に殺到する事態も招いた。
早期給付とマイナンバーカード普及の一石二鳥を狙った政府の目論見は完全に裏目に出た。
この流れの中で浮上したのが、マイナンバーと口座の紐づけだ。あらかじめ口座がわかっていれば、郵送であれオンラインであれ、慌てて口座番号を届けてもらう必要がなく、迅速に給付金を振り込める。実際、米国はマイナンバーに相当する社会保険番号と口座が紐づけられていて、2週間程度で給付金が振り込まれたし、同様に、ドイツやカナダでは失業や休業の給付などがオンライン申請から数日で振り込まれたという。
紐づけに向け、まず自民党が動いた。マイナポータルに任意で口座番号を登録する法案を議員立法でまとめ、公明、維新と国会に提出。高市早苗総務相はここからさらに踏み込み、全口座のマイナンバーへの紐づけ義務化を打ち出した。
これは、給付の迅速化にとどまらず、個人資産の把握という狙いも透けて見え、与党内でも反発が強まり、高市氏は「1人1口座」の登録義務化に方向転換し、2021年の通常国会に関連法案を提出する方針を示している。
全国紙はこの間、順次、社説で取り上げた。
今回の10万円給付に関わる混乱を招いた政府の責任を、4紙がかなり強いトーンで批判。
〈手間を省くはずのオンライン申請がかえって自治体の負担になっているようでは本末転倒だ。
申請の制度設計に問題があったのは明らかである〉(産経5月24日)
〈カード普及の好機とみて見切り発車し、墓穴を掘ったのではないか〉(毎日5月30日)
〈システム開発に巨額の税財源を投じてきた。しかし肝心なときに役に立たないものをつくったと
断じざるを得ない〉(日経6月2日)
〈マイナンバーのシステムには、これまで計3千億円超の国費を投じている。にもかかわらず、こ
の事態を招いた政府の責任は重い〉(朝日6月4日)
読売(6月14日)だけは、政府への批判的な表現は控えたのが目立った。
口座紐づけについてはどうか。もう一度整理すると、マイナンバーが本来の目的である「行政運営の効率化」と「国民の利便性向上」、さらに「公正な給付と負担の確保」に大きな効果があるのは疑いがなく、デジタル化時代には不可欠ともいえる。一方で、個人情報の漏洩やプライバシー侵害への懸念も根強い。このマイナンバーのプラス面とマイナス面の捉え方で、もともと、マイナンバー推進をスタンスにする読売、産経、日経の3紙と、慎重な朝日、毎日の2紙に二分された。
読売は〈マイナンバー制度をうまく使えば、大規模な災害や感染症に見舞われた際、困窮する人を迅速に支援できる。政府は制度の重要性を国民に丁寧に説明し、活用を進めるべきだ。……(10万円給付の混乱は)あらかじめ、マイナンバーと預貯金口座をひも付けておけば防げた事態だ〉と、ストレートに紐づけ推進を説く。
全口座紐づけの高市発言(5月22日)直後と、1口座に方針転換後の(6月22日)の2回書いた産経は、〈災害時に支援金を迅速に振り込むなどの利便性の向上が期待できる。社会保障などの効率化にもつながろう〉(5月24日)、〈行政サービスの効率化には住民情報のデジタル化が欠かせない。マイナンバーの利用を拡大するためにも口座情報のひも付けは必要だ〉(6月22日)と、支持。
両紙とも、〈全ての口座をマイナンバーとひも付け、資産状況を正確に把握することが筋だろう。脱税や生活保護の不正受給を防ぎ、所得制限付きの迅速な現金給付も可能となる〉(読売)、〈少子高齢化で現役世代の負担が重くなる以上、高齢者を含めて資産状況の適正な把握が問われる。そうした観点でもマイナンバーの活用を真剣に議論すべきだ〉(産経6月22日)と、将来的に全口座把握が必要との立場で、1口座紐づけは〈個人資産を把握されることに対する国民の懸念は根強い。……1口座のひも付けを目指す方針としたのは当面の措置としてやむを得まい〉(読売)と、〝導入部〟〝第1歩〟と位置付ける。
日経は、単に口座を紐付けることには〈木に竹を接ぐことになる〉と、冷ややかな書きぶりだが、これは、今回の反省を踏まえ、〈効率的な社会保障給付のため、厳重なセキュリティー対策を施し所得・資産情報の把握を前提にした改革をめざすべきである〉と、究極のマイナンバーに突き進むよう促す趣旨で、最も原理主義的主張といえる。
一般記事だが、日経22日朝刊地域総合面の自治体サイドから見たマイナンバーを論じた記事で、専門家の次のような過激なコメントを掲載している。
「カードの普及は国民の権利を守るために重要だ。政府はほぼ強制的に保有を義務づけ、次の有事の際にはカードを持つ人にはすぐ給付すると宣言するくらいでいい」
これらに対し、朝日と毎日は、反対ではないが慎重姿勢で、特に、コロナ禍を利用するような強引な進め方を批判する。
朝日は、〈マイナンバーの扱いは、慎重に考える必要がある。性急に議論を進めてはならない〉としたうえで、自民党の任意の口座紐づけの法案と、その後一時高市氏が唱えた全口座紐づけ論について、〈希望者の給付用口座の登録と、全口座をマイナンバーと結びつけることは、全く別問題だ。延長線上にあるかのように扱うのは筋違いである。……コロナ禍に乗じるようなやり方は許されない〉と指摘した。
その後の高市氏の1口座への方針転換(6月9日)を受けた10日朝刊の一般記事では、〈登録から時間がたてば、口座情報が一致しない人の割合は高まりそうだ〉などと書き、「口座登録を個人に強制するのは難しく、罰則をつけて禁じるようなことは考えられない」などとする内閣府幹部の発言を引用するなど、実際の制度設計の難しさに紙面を割いている。
毎日は〈資産把握やプライバシー保護との兼ね合いから十分に議論を重ねる必要がある。マイナンバーカードがいまだに普及しないのは利便性の低さに加え、個人情報保護への不安が根強いためだ。どさくさまぎれに管理強化を急ぐべきではあるまい〉と、個人情報管理への国民の懸念を強調する。
朝日や毎日のような慎重姿勢は、地方紙でも多く見られる。いくつか紹介しよう。
〈1人1口座の登録についても、どうやって義務化するのか道筋が見えない。幼児や生活困窮者の中には、金融機関に口座を持っていない人もいるのではないか。登録したくない人には罰則を設けるのだろうか〉(中国新聞6月12日)
〈マイナンバーに対しては情報漏えいのリスクがあり、国民の理解も十分に進んでいない。……将来的に多くの口座がひも付けられる可能性は否定できず、国民への監視強化につながる懸念は残ったままだ〉(愛媛新聞6月13日)
〈コロナ禍での生活支援や今後の公的給付を誘い水にし、マイナンバーを使って個人情報にかける網をなし崩しに広げていこうというのは筋違いではないか〉(京都新聞6月11日)
マイナンバーと全口座紐づけは、利子や配当など現在は分離課税の金融収益を給与所得などと合算して累進税率を課す「総合課税」に道を開き、金持ち優遇を是正するツールになる。他方、収入の少ない世帯に最低限生活に必要な資金を給付する「最低所得保障(ベーシックインカム)」などの前提にもなる。今回のような非常時の給付でも、金持ちは除いて本当に困っている人だけに効率的に、迅速に給付金を振り込むことも可能になる。
一方、全資産を国が丸ごと把握することへの抵抗感はもちろん、登録された口座を使って、低所得者を含め国民健康保険などの保険料の徴収強化への懸念なども聞かれる。高市総務相は「口座の『中身』でなく口座の『所在』」を把握するのが目的と強調する。口座の中身(預貯金の額)を把握するものではないという説明だが、総合課税を展望するなら、いずれ全資産把握に進むことになるだろう。
また、いくつかの社説も指摘するように、個人が口座を政府に届け出るのは実務的にも限界があり、それを強制するのは容易ではない。金融機関にマイナンバーを把握させるとすれば、その実務も、また大変なものになるなど、制度設計のハードルも高い。
今回の口座紐付け論は、コロナ対応の混乱の中で急に飛び出した感が強く、議論は生煮えだ。
推進3紙も、利点を強調するばかりで、プライバシーへの配慮などに触れる程度。一方、慎重2紙も、ややステレオタイプに情報漏洩などの懸念を訴えている面がある。
朝日は〈マイナンバーは、税制や社会保障を支えるツールとなりうる制度である。しかしその前提として、一人一人の情報を管理する政府が、国民に信頼されていなければならない〉と書いた。産経5月24日も〈マイナンバーに対する国民の信頼が不可欠だ。政府は今回の混乱を厳しく受け止めねばならない〉とする。
両紙の指摘を待つまでもなく、政府、あるいは政治が信頼されていなければ、この難しい議論を進めることはできない。ポスト・コロナ、あるいはウィズ・コロナという「新しい生活」を迎え、おそらく格差もさらに拡大するで、憲法のような空中戦でない、地に足を着けた議論をするテーマになりうると思うのだが。