朝日新聞の社長辞任を決定的にした池上彰氏の朝日新聞コラム「池上彰の新聞ななめ読み」はいまや同紙の名物コラムといってよいでしょう。そのコラム(2月27日付)で、同氏は皇太子殿下の記者会見をめぐる朝日新聞の報道姿勢を批判的に取り上げました。
殿下が日本国憲法について語った部分について、池上氏は、「こんな大事な発言を書かない朝日新聞の判断は果たしてどんなものなのでしょうか」と、しかっています。
これに対して朝日新聞は10日付朝刊で「指摘真摯に受け止めます」と池上氏の論評を受け入れました。謙虚な姿勢とはいえますが、言論機関としては、もう少し論議があってもよかったのではないかと思えてなりません。
池上氏のコラムを抜粋してみましょう。
朝日新聞を読んでみましょう。戦後70年を迎えたことについて皇太子さまは、「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示して、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と話されたそうです。
同じ記者会見を毎日新聞で読んでみましょう。こちらは、戦後70年を迎えたことについて、「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と述べられたそうです。
皇太子殿下の発言は天皇家の戦争に向き合う姿勢を改めて示したものです。ある宮内庁担当記者OBは、「朝日新聞の担当記者や担当デスクの心情を想像すると、皇太子殿下会見に先立ち、既に報じられた、新年の天皇陛下の国民向けメッセージが、すべてを言い尽くしているという判断だったのではないか」と聞かせてくれました。
朝日新聞の10日朝刊でも、「皇太子殿下は昨年の会見でも憲法について同様の内容を話し、昨年は記事に盛り込みました」としています。
新年メッセージで、天皇陛下は、ヒロシマ、ナガサキを含め、先の大戦で犠牲になった日本国民を悼むばかりでなく、さりげなくこう付け加えました。「この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」。
あの時代を生き抜いたひとりの人間の真情と、歴史に対する謙虚さが伝わってきます。担当記者が、「天皇陛下のメッセージと比較し、戦後生まれの皇太子殿下の発言に、感情移入する人はさほどいない」とニュースの価値判断をしたのなら、それはそれで首肯できます。
しかし、池上氏は皇太子殿下の発言について、こう書いています。「以前ですと、別に気にならない発言ですが、いまの内閣は、憲法解釈を変更したり、憲法それ自体を変えようとしたりしています。そのことを考えますと、この時点で敢えて憲法に言及されたことは、意味を持ちます」。
皇室担当の記者に聞くと、「皇太子の政治的発言に抑制的で慎重な人柄と立場をよく知る人なら、『まったくの誤解。殿下にそのような意図はありません』」と一笑に付すでしょう。しかし、いま、最も影響力のあるジャーナリストのひとりである池上氏がそう断定すると、多くの人が、皇太子発言の「意図」を読み取ろうとするかもしれません。
憲法改正が国会の議決、国民投票という民主制の手続きにより行われることに、法的な問題はありません。しかし、「改憲を議論すること自体がけしからん」と主張する政治的な立場はありえます。池上氏がこの立場に立つのかどうかははっきりしませんが、コラムはこの考えを補強する材料に皇太子殿下の発言を利用したい、との心情がにじんでしまっていないでしょうか。
天皇陛下の発言を遡ってみましょう。2002年の日韓共催・サッカーワールドカップに先だって、陛下は、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」。04年の園遊会では、当時、東京都の教育委員だった米長邦雄氏が「日本中の学校で国旗を揚げ国歌を斉唱させることが私の仕事」と発言したのに対し、「強制にならないように」と応じました。
戦後60年の慰霊の旅では、サイパンで徴用された朝鮮半島由来の人々の墓前にも献花しました。天皇陛下のふるまい、発言は、つねに一貫していてぶれることがありません。日本国憲法に基づく象徴天皇制の模索と民主主義の擁護。戦争の反省に立ち、国籍を問わず戦没者を悼んでいます。その振る舞いは、焦土から立ち上がり、今日の繁栄を築いてきた人々に違和感なく受け入れられてきたように見えます。
世の中が右傾化している証左なのでしょうか。天皇を含む戦中派世代の歴史認識が、相対的に左翼に位置するように見える時代になりました。
反原発の山本太郎参院議員は園遊会で天皇に手紙を渡した「直訴事件」について、「この胸の内を、苦悩を理解してくれるのはこの方しかいない、との身勝手な敬愛の念があふれ、お手紙をしたためてしまった」と率直に語りました。そして池上氏は、皇太子殿下の会見報道で、「憲法への言及、なぜ伝えぬ」とメディアを叱りました。
もちろん、池上氏の意図は、「皇室の発言内容が一貫していたとしても、どこを報道すべきかは、時代状況によって変わる。ニュース感覚が鈍いのではないか」といいたかったのかもしれません。しょせん、会見報道とはどこかを切り取るものであり、その局面で読者にとって「重要」なものを報じるのが、報道機関だからです。
とはいえ、昨今の、リベラルな人々の天皇陛下や皇族の方々に対する感情的依存という現象は否定しがたく思えます。どのようにとらえるべきなのでしょう。
皇室の発言に、ことさら政治的な意図を読み込み、自らの主張を補強する材料にすることに私たちは、日本人が戦前から背負わされてきた歴史的な反省も踏まえ、抑制的であるべきです。特に政治家とジャーナリストはそうあるべきでしょう。ジャーナリストとして尊敬する池上氏の今回のコラムには、わずかだが、踏み込みすぎとの感覚を持ちました。
最近、皇室の発言に政治的な意図を読み込もうという傾向を強めているのは、めっきり旗色の悪いリベラル、あるいは、心情左翼的な立場の政治家や、ジャーナリストなのではないでしょうか。池上コラムは、山本議員の直訴事件ほど直情径行ではないにせよ、それに似通った情緒で成立しているように見えます。
戦後70年を経て、「内なる天皇制」が問われています。
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●天皇陛下の憲法に関する発言(宮内庁ホームページから抜粋)
平成元年8月4日、ご即位会見
憲法は,国の最高法規ですので,国民と共に憲法を守ることに努めていきたいと思っています。終戦の翌年に,学習院初等科を卒業した私にとって,その年に憲法が公布されましたことから,私にとって憲法として意識されているものは日本国憲法ということになります。しかし,天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので,憲法に関する論議については言を謹みたいと思っております。
●平成2年12月20日誕生日会見
質問 陛下が今まで持ってこられた憲法を守るというような気持ちと,将来いろんなことで政府があるいは内閣がかわってくることも予想されると思うが,これに対して陛下が自分で考えていらっしゃった憲法を守るということを,どういうふうに反映されるか
仮定というのは,やはりちょっと,やはりお答え出来ないと思います。
記者 今の気持ちだけで結構なのですが。
ですから,憲法を守るということ,これにつきるわけでその憲法のいろいろな条項がありますけれど,それに沿っていくということになると思います。
●平成8年12月19日、誕生日会見、憲法公布50年を問われて
新憲法が口語文で書かれたことが印象に残っていますが,憲法の内容については,その後に折々理解を深めてきましたので,当時,どの程度憲法を理解していたかは記憶に定かでありません。
天皇は日本国憲法によって,日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴と規定されています。この憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置きながら,私は務めを果たしていきたいと思っております。
●平成25年12月18日誕生日会見
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。
池上コラムに抜けていること |
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池上さん、一緒に「内なる天皇制」を考えませんか 土屋直也(3月11日の記事の再掲)
公開日:
(IT/メディア)
朝日新聞デジタルから
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土屋 直也(ニュースソクラ編集長)
日本経済新聞社でロンドンとニューヨークの特派員を経験。NY時代には2001年9月11日の同時多発テロに遭遇。日本では主にバブル後の金融システム問題を日銀クラブキャップとして担当。バブル崩壊の起点となった1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年、日本経済新聞社を退職、ニュースソクラを創設
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