9月27日11時52分。御嶽山が噴火し、50名を超える登山客が亡くなられるという甚大な被害となりました。降雪を控えて、いまなお行方不明者の捜索が続いています。噴火予知による避難勧告はできなかったのでしょうか。
気象庁は、全国110の活火山を監視しています。特に御嶽山を含む47火山については、地震計、傾斜計、空振計、GPS観測装置、望遠カメラなどを使い、さらに大学や自治体などのデータ提供も受けて、24時間観測をしています。噴火の前兆をとらえて噴火警報等を出すためです。
気象庁は2007年ごろより単に火山警報を出すだけでなく5段階で火山活動を評価し、対応策をより具体的に示す「噴火警戒レベル」を火山ごとに逐次導入しました。レベル1は平常、2は火口周辺の規制、3は入山規制、4避難準備、5は避難といった具合です。御嶽山にも2008年から導入されましたが、今回は噴火が起こるまでレベル1を続け、噴火後の12時36分にレベル3に引き上げました。
問題は、9月8日ごろより8月中にはほとんどなかった火山性の地震が群発するようになり、10日は52回、11日は85回も起こっていたことです。その後、地震数は減るのですが、発生は止まることがありませんでした。過去の噴火の例でもいったん火山性地震が噴火前に減ることはよくあり、それ自体が噴火前兆の後退とは考えにくいので、この段階でなぜ注意喚起が出せなかったのか、レベル2への引き上げをしなかったのか疑問が残ります。
もうひとつ残念なのは、噴火前の11時41分から火山性微動が観測されていることです。火山噴火予知連絡会(予知連)は9月28日に開いた拡大幹事会での資料でこの事実を公表しています。この明らかな前兆をとらえて、山小屋等に通報し登山客へ呼びかけが行われていたら、山小屋に逃げ込めた人を増やせたのではないかと考えられます。携帯電話への緊急通報という方法も事前の準備があれば、有効だったかもしれません。もちろん、関係者の間でこの微動情報に関するコンセンサスができていなければ、生かせなかったのでしょうし、これは御嶽山が残してくれた教訓でしょう。
気になるのは、「警戒レベル」の変更を支えるはずの観測体制が歳出削減への要請から縮小されていたことです。政府は2009年度から重点観測火山を絞り込んでおり、御嶽山は重点観測火山から漏れています。国立大学の独立行政法人化による予算削減の流れもあって、御嶽山の観測をしていた名古屋大学は、御嶽山の田の原付近に設置していた観測点を撤収しています。予算削減後、他の予算を流用して観測を継続していた時期もあったようですが、続けきれませんでした。なお、名古屋大学は噴火後に観測機器を御嶽山に据えているようです。
観測体制の縮小への不安は専門家の間ではかねて指摘されていました。元名古屋大学教授で、現在は東海地震科学研究所副首席主任研究員を務める木股文昭氏は2010年に出版した「御嶽山 静かなる活火山」のなかで、気象庁の観測点がわずか1点であり、GPS観測がリアルタイムでなく1日遅れである点などをとらえて、観測網は不十分だと指摘しています。気象庁の観測をサポートするはずの大学、県などの観測体制も予算が厳しくなる一方と記述しています。警鐘が届いていなかったように見える点が、私たちメディアの責任も含め悔やまれます。
ちなみに、御嶽山を重点観測から外したのは2009年度からですから、麻生太郎政権でした。民主党の事業仕分けで観測体制がおろそかになったとツィッターで指摘した自民党国会議員がそれを取り消すという経緯がありましたが、自民党政権の下での決定でした。その後の政権にもその政策を継承した責任はあるのでしょうが。
過去には、噴火の予兆をとらえ、被害を抑えることに成功した実例もあります。特に、2000年の有珠山噴火は今回と同じ水蒸気噴火でしたが、噴火の4日前に地震が多数発生、火山噴火予知連絡会(予知連)の「噴火が切迫している」という見解を受けて気象庁が緊急火山情報を発表、近隣の住民約1万人が避難しました。3月31日に噴火が発生しましたが、人的被害は出ませんでした。
文部科学省が設ける科学技術・学術審議会の地震火山部会は10日に臨時会合を開き、御嶽山の観測を重点的に行うことを決めました。いったん外した重点観測火山に加えたということです。再噴火の可能性もあり、観測強化は当然ですが、遅すぎたのではないでしょうか。なぜ、気象庁は警戒レベルを上げることができなかったのか。「観測体制の再考を迫る事態」(木股氏)であるのは間違いないでしょう。翻って見るならば、被害がこれほど甚大になった背景に、人災的な側面がなかったとは言い切れず、検証が必要となるでしょう。