習近平総書記が中国共産党創立100周年記念式典の演説をしたのは、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した天安門の楼上だった。
天安門に掲げる毛の肖像画と同じグレーの人民服姿で。「中国は変わらない」と、あの人は天国で舌打ちしているかもしれない。半世紀前、孤立していた中国を国際社会に招き入れたリチャード・ニクソン米大統領のことだ。
50年前の1971年7月15日。故郷カリファルニア州の私邸に滞在していたニクソンは、その夜、NBC放送のスタジオに出向き、TV中継に臨んだ。「中華人民共和国と7億5000万人の人々の参加なしに安定した永続する平和はありえません」と切り出し、キッシンジャー補佐官の極秘訪中を明かし、翌年の自身の訪中を発表した。
3分半の放送は世界を驚かせた。
時の首相、佐藤栄作は日記に「ベトナム戦を早くやめたい、それが主眼か。それにしても北京が条件をつけないで訪支(中)を許したことは意外」と記した。
ニクソンは、泥沼化したベトナム戦争の早期収拾を願っていた。北ベトナムの後ろ楯としての中国の影響力にも期待したはずだ。だが、拙速で下した決断ではなかった。
大統領に就任する2年前、フォーリン・アフェアーズ誌への寄稿で「長い目で見て、中国をずっと国際社会の仲間外れにしておけない。中国が変わらなければ、世界は安全にならない」と持論を記している。中国は文化大革命の渦中だった。
ニクソンは、後に「エンゲイジメント(関与)政策」と呼ばれる対中政策の先鞭をつけたのだ。米国が中心に築いた戦後のリベラルな国際秩序に引き込むことで、中国が自ら「変わる」のを促す関与政策は、後々の政権に受け継がれた。
だが、最晩年のニクソンは、その帰結に懐疑的になっていた。90年代初めに元大統領のスピーチライターでコラムニストのウィリアム・サファイアに漏らした。「われわれはフランケンシュタイン(の怪物)を造ってしまったのかもしれない」
そんな経緯を承知の上で、前政権のポンペオ国務長官は昨年7月、元大統領の生地にあるニクソン大統領図書館・博物館を「中国スピーチ」の場に選んだ。
ポンペオは、中国が世界への約束を果たさず、関与政策は失効したと断じた。「中国共産党がマルクス・レーニン主義政権であることを忘れてはならない。習近平総書記は破綻した全体主義の真の信奉者だ」「新たな民主主義同盟を組織すべき時」「自由世界が変わらなければ、共産中国が私たちを変える」。”ニクソンの怪物”を敵視する言葉が続いた。
1日の記念式典での習近平演説も、米国はじめ民主主義諸国が期待する「変化」はなかった。「小康社会」の実現など党の業績自賛のオンパレード。
数千万人が餓死した「大躍進」や、内乱状態を招いた「文化大革命」は完全にスルーし、社会主義現代化強国の建設、中華民族の偉大な復興の実現と、ナショナリズムをあおるスローガンを繰り返した。
新疆ウイグルでの人権抑圧、香港の民主化封殺、台湾への脅迫などへの国際社会の批判を念頭に「教師面した偉そうな説教は受け入れない」「外部勢力によるいじめ、抑圧、奴隷化は許さない。(意図する者は)14億の中国人民が血肉で築いた鋼鉄の長城にぶつかり血を流すだろう」とけん制した。
米国のシンクタンク大西洋協議会は、バイデン政権発足に合わせるように、中国通の元政府高官が匿名で書いた「より長い電報(The Longer Telegram)」と題した論文を公表した。
旧ソ連に対する「封じ込め政策」の原案となったジョージ・ケナンがモスクワの米大使館から打電した「長文電報(Long Telegram)」になぞらえた 論文は、米国と民主主義世界が直面する最重要課題は「ますます権威主義化し攻撃的になる習近平の下での中国の台頭」とし、包括的な対中戦略を提示した。
ポンペオ演説が、習と中国共産党を並列で論じたのに対し、同論文は、独裁権力を強め個人崇拝志向の習のやり方に、共産党のエリート層内で不満や恐れが強まっており、その断層線に焦点を合わせるべきだ、とする。
ニクソンの「怪物」現実に?ーー半世紀待てど変わらぬ中国 |
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【けいざい温故知新】共産党100周年式典、習演説で大躍進や文化大革命はスルー
公開日:
(ワールド)
人民服の習総書記=PD
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土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。
著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版) |
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