プーチンも、帝国主義思想を人々に注入し続け、またプーチン自身を偉大と思わせることで、現実の問題から人々の目を逸らせる。
プーチンは、ウクライナの一部を「ノヴォロシア」としてロシア化する政策を追求し、それがうまくいかなければその土地を焦土化するという、実に身勝手な政策を実行している。
▽ロシア人の“特別な精神性”
ロシア人の“特別な精神性”を語ることが、プロパガンダで流行している。
これは、ウクライナ人の“無精神性”と対比される。
ロシアによるウクライナ侵略開始後、帝国主義思想はロシア自身を一層美化し、ウクライナ人を劣等民族と決めつけるようになった。
ドストエフスキーも、かつて次のように述べた。
「ロシア人は“神を宿す民族”と言われる。
たしかに、ロシア人は宗教的な人々である。
ロシア人は、あなたを斧で殺す前に、十字をきるだろう。」
ロシアには“特別な精神性”があると考えてきた伝統の上に、今日のプーチンのウクライナ政策がある。
以下、3つのキーワード、「ヴェリコロシア」、「マロロシア」、「ノヴォロシア」―今日、ロシアのプロパガンダで盛んに使われる―を説明しながら、ロシアの帝国主義的発想の由来とプーチンの政策を分析する。
▼「ヴェリコロシア」(Великороссия)=「大ロシア」
多くのロシア人の頭と心には、「自分たちは偉大だ」との考えが根付いており、これはロシア人の間に行き渡っている神話の一つである。
ロシア人にとり「大国」とは、広い領土を持ち、戦争に勝利した歴史があり、強い軍隊を持つ国のことである。
「ロシアの偉大さ」は、近隣諸国に対する攻撃的な態度によって確保される。
ロシアにとり領土は崇拝の対象であり、「偉大さ」を証明するものである。
プーチンの言葉を紹介しよう。
「ロシアの国境に終わりはない!」
プーチンはこうも言った。
「ロシアは西方と東方に挟まれた存在ではなく、ロシアの左右にあるのが西方と東方なのだ。」
▼「マロロシア」(Малороссия)=「小ロシア」
歴史的に、現在のウクライナ領土の一部が「マロロシア」が呼ばれた。
プロパガンダに洗脳されたロシア人にとっては、「マロロシア」(=ウクライナ)は、文字通り「小さなロシア」である。
ウクライナ人は「弟」であり、「二流」のロシア人、つまり「小ロシア人」である。
ウクライナ人に独自の文化はなく、ウクライナ語はロシア語が歪められたものである。
ウクライナ人は、本物のロシア人、「偉大なるロシア」のロシア人に生まれ変わるべきなのだ。
このようにロシア人は洗脳される。
▼「ヴェリコロシア」、「マロロシア」という言葉の由来
この2つの言葉は、14世紀初頭にビザンチン帝国で初めて登場した。
「小ロシア」はギリシャ語 で“Μικρά Ῥωσία”(Mikrá Rhōsía、ミクラ・ロシア)、「大ロシア」はギリシャ語で、“Μεγάλη Ῥωσία ”(Megálē Rhōsía、メジャーレ・ロシア)である。
「小ロシア」はメトロポリス(ギリシャ語の「母なる都市」:μήτηρ「母」+πόλις「都市」)、つまり植民地化の出発点となる中心を指し、「大ロシア」は中心に対して新しい、植民地化された領土を指している。
ちなみに、古いロシアの文献では、キエフは「ロシアの都市の母」と呼ばれていた。
同様に、「グレートブリテン」という名前の由来も分りやすい例である。
イギリスを植民地化する動きは、フランス北西のブルターニュ地方から始まった。
一部のブリトン人が現在のイギリスに移住したとき、彼らの古い故郷は「小ブリタニア」(ブリタニア・ミノール)(現在のフランス領ブルターニュ)と呼ばれ、島の新しい植民地は「大ブリテン」(ブリタニア・マジョール)と呼ばれた。
つまり、本来これらの言葉は、領土の広さとは関係がない。
▼「ノヴォロシア」(Новороссия)=「新しいロシア」
国家領土の拡大の願望は、ロシア史を通じる主要な政治思想の一つであった。
「ノヴォボロシヤ」という言葉は18世紀に登場し、帝政ロシアがオスマン帝国から奪った広大な土地(ロシア人はこの土地を「原野」と呼んだ)を指している。
エカテリーナ2世(1729~1796、在位1762~1796)は、この土地を「ヴェリコロシア」、「マロロシア」になぞらえて「ノヴォロシア」と呼んだ。
当時のロシアは、南方のオスマン帝国を攻め滅ぼし、コンスタンティノープルを「新しいローマ」とし、東ローマ帝国を再興するとの政策(「ギリシャ・プロジェクト」と呼ばれる)を追求していた。
そのため、「ノヴォロシア」では、「シンフェロポリ」、「セヴァストポリ」、「ニコポリ」、「ヘルソン」など、多くの町にギリシャ風の名前が付けられた。
歴史的に「ノヴォロシア」は、現在のウクライナ(クリミアを含む)の約3分の1の領土を占めていた。
行政単位としても、18世紀後半から19世紀前半の比較的短い期間「ノヴォロシア」が存在したが、その後行政単位の名前としては使われなくなった。
▼「ノヴォロシア」あるいは「ミニ・ノヴォロシア」、さもなくば焦土化
2014年、プーチンは「ノヴォロシア・プロジェクト」を復活させた。
ロシア外務省は、所謂「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」に対して「ノヴォロシア」という名称を公式に使用し、プーチンもテレビでの発言で、ウクライナの南部と東部の土地を「ノヴォロシア」と呼んでいる。

ロシアが 「ノヴォロシア」と主張する地域(2015年5月26日 ウィキ・コモンズより)
https://www.businessinsider.com/putin-puts-novorossiya-project-put-on-hold-2015-5
プーチンは、本年9月11日に、ウクライナのケルソン州とザポロジエ州のロシアへの併合に関する住民投票を予定している。
この日が選ばれたのは、アメリカ同時多発テロ事件の日だからである。
ロシア軍の支配地域(8月7日) (クリックするとBBCの記事に飛びます)
これまでのところ、プーチンの領土奪取計画は成功していない。
「ノヴォロシア・プロジェクト」は、「ミニ・ノヴォロシア・プロジェクト」(つまりルガンスク、ドネツク、ザポロジエ、ケルソンの一部の奪取にとどめる)へと変化していった。
しかし、「ミニ・ノヴォロシア」でさえ、ケルソン地方でウクライナが反攻しているため、成功は疑問視されている。
そのような時、ロシアは核の恫喝を行う。
ウクライナの国営原子力企業「エネルゴアトム」の声明(8月8日)は、「ロシアは計画を隠さず、すでにザポリージャ原子力発電所に地雷が仕掛けられ、爆破する準備ができていると主張し、全世界を公然と脅迫している」と指摘する。
同声明は、ロシアの放射線・化学・生物防護部隊の長であるヴァレリー・ヴァシリエフ少将(現在はザポロジエ駐留軍を指揮)の言葉を引用する。
「ここはロシアの大地か、それとも焦土と化すか。」
この発言ほど、ロシアの発想を凝縮して述べたものは無いだろう。