政治学者テムール・ウマロフ(中央アジア出身、カーネギー財団学術コンサルタント)が、中央アジア情勢を『ノーヴァヤ・ガゼータ・ヨーロッパ』のインタビューで解説した。
ロシアのウクライナ侵攻後、一部の中央アジアの国はプーチンに大胆な言動をとっており、ロシアはかつてない程弱い立場になったと、ウマロフは指摘する。
聞き手は『ノーヴァヤ・ガゼータ・ヨーロッパ』のイリーナ・トゥマコワ。
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以下は、記事(原文ロシア語)の抄訳である。
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https://novayagazeta.eu/articles/2023/01/03/rossiia-nikogda-ne-byla-tak-uiazvima-pered-stranami-tsentralnoi-azii
ロシアが中央アジアに対して、これほど立場が弱いことはかつてなかった
(質問)2月24日(ロシアのウクライナ攻撃開始日)以降、あるいは、ロシア軍がウクライナで事実上撤退し始めた後、中央アジア諸国の指導者たちはプーチンに対する話し方を変えたようだ。
まず、トカエフ・カザフスタン大統領が、ウクライナの親ロシア支配地域の“独立”の国家承認を拒み(6月のサンクトペテルブルク国際経済フォーラム)、平和的な解決を求めた(10月のロシア・中央アジア首脳会議)。
次に、ラフモン・タジキスタン大統領が、ロシアは中央アジア諸国に敬意を払ってほしいと求めた(10月のロシア・中央アジア首脳会議)。
なぜ彼らは突然大胆な言動をとるようになったのか?
(ウマロフ)ロシアは、中央アジアからの支持を必要としており、中央アジア諸国に対し弱い立場になった。このような状況は過去一度もなかった。
誰もがこのことを理解し、この状況を利用しようとしている。
カザフスタンはロシアから距離をとろうとしている。ロシアがウクライナにかかりっきりで、その手が緩んでいる間に、カザフスタンはモスクワとの間に新しい「赤い線」を引き、ロシアからの圧力を減らそうとしている。
タジキスタンは、モスクワからより多くの注意を引き付け、経済への投資を増やし、モスクワとの同盟関係から多くの利益を得ようとしている。
ウズベキスタンは以前からロシアにそれほど近くなかった。ウズベキスタンはモスクワとの統合組織に参加していない。EAEU(ユーラシア経済連合)にはオブザーバー参加しているが、正規メンバーにはならないだろう。プーチンがEAEUサミット(12月)参加のためにキルギスタンを訪問した時も、ミルジヨエフ・ウズベキスタン大統領は結局キルギスタンに行かなかった。ウズベキスタンがロシアから距離を置いていることを示している。
(訳注:EAEUは、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、アルメニア、キルギスタンがメンバーの経済統合(関税同盟)。)
トルクメニスタンは、ガス供給先を多様化するために他の国々と交渉しようとしている。同時に、同国はガス・ビジネスについて新しい条件についてモスクワと交渉している。
キルギスタンは、ロシアからもっと関心を引こうと考えており、親ロシア的だと示そうとしている。これまで、キルギスタンはロシア・ウクライナ戦争について明確な声明を出していない。
ザパロフ・キルギスタン大統領は、プーチンの側にいることを示そうとしている。彼はそのことが権力維持に役立つことを期待している。キルギスタンの政治情勢は非常に予測が難しく、彼には多くのライバルがいるので、このことは彼にとり重要な問題だ。
このように国によりロシアとの関係も異なる。しかし、ロシアとの関係が2月24日以降変化したことは明らかだ。そしてモスクワもこのことを理解している。
戦争開始後、プーチンは1年で中央アジアのすべての国を訪問した。
まずタジキスタンとトルクメニスタンに行き(共に6月)、次にウズベキスタンでのSCO(上海協力機構)サミットに行き(9月)、そしてカザフスタンに行き(10月)、そこで3つのサミット(ロシア・中央アジア・サミット、アジア相互協力信頼醸成措置会議サミット、アスタナ和平プロセス・サミット)に参加し、エルドアン・トルコ大統領とも個別に会談した。最後にキルギスタンにも行った(12月)。
プーチンが1年間に中央アジア全ての国を訪問したのは、過去2回―2000年と2012年―しかなかったと思う。
つまりモスクワは中央アジアに多くの注意を払い始めたのだ。
(質問)カザフスタンは、同国の北部の領土を(ロシアに)奪われるかもしれないと心配しているのではないか?
(訳注:ロシアがカザフスタンを侵略する可能性があるとの趣旨。)
(ウマロフ)カザフスタンでは、懸念が以前より高まっている。以前は、そのような話は、単なるレトリックに過ぎないと思われていた。しかし今、一夜にして本当の戦争に変わるかもしれないことが分った。プーチンがそのように(侵略の矛先を)「東に転換」しないとは限らない。ちなみに、プーチンは、「カザフスタン」(という国家)は、ナザルバエフ(前大統領)が考え付いたものに過ぎないと言っている。恐ろしいことだ。
(質問)ソ連邦は、中央アジアをひどく扱ってきた。しかし、第二次世界大戦中、ソ連邦から中央アジアに避難し、また今日、徴兵から逃れて何万人ものロシア人がカザフスタンとキルジスタンに逃げ込んでいる。中央アジアはロシア人を暖かく受け入れているが、それはなぜか?
(ウマロフ)その答えは複雑だ。第1に、中央アジアの社会とロシア社会は見知らぬ関係ではない。中央アジアの労働移民がロシアで経験した困難や、ロシアの都市での酷い扱いにもかかわらず、人々はまだソ連時代を懐かしく覚えている。彼らは、少し前まで誰もが一つの国に住んでいたことを覚えている。彼らにはまだ多くの共通点がある。中央アジアの大都市に来ると、ロシアの都市と多くの共通点が見られる。
もう一つの要素は言葉だ。中央アジア諸国でロシア語の人気は低下しているが、社会の大部分ではまだロシア語を話している。その割合は、カザフスタンで人口の半分、ウズベキスタンでは約20%、キルギスタンでは約30%だ。 大都市では、ほとんどの人がロシア語を話し、ロシアのテレビ、ロシアのYouTubeを見て、ロシア語と地元のロシア語メディアを購読している。 そのことはまた、国々を近づける。
中央アジアには客をもてなす文化がある。これはこれら諸国の文化の重要な一部である。
徴兵から逃れたロシア人を受け入れることには、実務的な側面もある。家を貸せば、収入になる。経済的機会にもつながる。
2023年1月3日発表(翻訳:村木洸太郎)
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(訳注:『Novaya gazeta』はロシア国内で活動できないが、一部のスタッフがラトビア共和国に移り、『Novaya gazeta Europe』を運営している。2つの組織は別個のものだが、独立報道機関としての前者の精神を後者が引き継いでいる。)
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