9月27日から続いていたナゴルノカラバフでの戦争は終息を迎えた。この間、3度も停戦合意が破られてきたが、9日夜の停戦協定はそれまでと違う。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領、アルメニアのニコル・パシニャン首相という3人の最高指導者が合意に調印した。
両国民が互いに敵意を持ち続け、今後も小規模な衝突やテロ活動はありうるが、ロシア軍が平和維持に乗り出すこともあり、停戦の大枠は守られるのではないか。
この40日間余りに及んだ戦争は、結局、アゼルバイジャンの事実上の勝利に終わったと総括できる。アゼルバイジャン軍が充実した装備を生かして当初から優勢に戦闘を展開していた。アルメニア側が死守してきた要衝、シュシャーが7日までに陥落したことで、アルメニア側は進退これきわまった。
停戦協定の内容が伝わると、アゼルバイジャンでは市民が勝利を祝った。ロシアの有力紙コメルサントは、合意内容について「バクーが求めてきたことに完全に応えている」と評価した。これに異論はないだろう。
一方、アルメニアではパシニャン首相が屈辱的な敗北を受け入れたと反発する市民が街頭に繰り出した。
停戦協定の柱は、
①モスクワ時間10日午前零時をもって双方は戦闘を中止する
②アゼルバイジャンは1990年代に失ったナゴルノカラバフ周辺の地域をすべて回復する
③ロシア軍の平和維持部隊1960人が展開し停戦を監視する――など。
だが、肝心のナゴルノカラバフ自体の地位をどう位置づけているのかは協定を読んでもよくわからない。
ナゴルノカラバフとは、ソ連時代にアゼルバイジャンに属した「ナゴルノカラバフ自治州」と言われた地域。しかし、アルメニア人住民が圧倒的に多かったこともあり、現地のアルメニア人が1991年12月のソ連崩壊直前に「ナゴルノカラバフ共和国」の樹立を宣言、さらにアルメニア軍の参加を得て1994年までに周辺地域も制圧、これまで実効支配してきた。
アゼルバイジャン側にとっては、ナゴルノカラバフとその周辺地域がアルメニアに奪い取られていたということになる。
アゼルバイジャンはこれまでに何度か領土奪還をめざし戦争を仕掛けてきたが、今年9月末の攻撃は1994年以来最大規模で、本格的戦争に発展した。プーチン大統領は10月22日に双方合わせて5000人近い犠牲者が出ていると述べた。
アルメニア側は今回の停戦協定で、ナゴルノカラバフの消滅は回避できたと捉えている。アルメニア人がナゴルノカラバフを引き続き統治できると考えているようである。しかし、アリエフ大統領は9日、この土地は「アゼルバイジャンのものだ」と宣言した。
アルメニアが敗北したことを考えると、「ナゴルノカラバフ共和国」はなくなり、ソ連時代の「ナゴルノカラバフ自治州」が復活するのかもしれない。あるいは、ナゴルノカラバフがいくつかの行政区に分断されるのか。ナゴルノカラバフ本体の地位をめぐってまた、ひともめありそうだ。
ロシアは旧ソ連6カ国で構成する「集団安全保障機構(CSTO)」を通じてアルメニアとは軍事同盟関係にある。9月末の戦闘勃発直後には、ロシアがアルメニアを支援して介入するのではないかとの観測もあったが、一貫して両国の停戦への仲介役に徹した。
その結果、停戦協定の調印に漕ぎ着けられたのだから、ロシアは何とか面目を保つことができた。平和維持部隊を常駐させることで両国への影響力も維持できる。
だが、そう安閑とはしていられないかもしれない。この地域でトルコの影響力が増したからだ。
トルコはアゼルバイジャンに軍事ドローンを大量に供給、その活用がアルメニア軍を苦しめた。さらにシリア人の傭兵をアゼルバイジャンに送り込み支援、一部情報では、トルコ軍将校が作戦に協力していたともいう。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は今月4日のコメルサント紙との会見で、傭兵が2000人近くいると述べている。
ロシアは今回、トルコが支援したアゼルバイジャンの勝利を保証することで、トルコのアゼルバイジャンへの影響力を許容したとも言えるだろう。中央アジアでは中国、南コーカサスではトルコの浸透を甘受していることになる。
ロシアがソ連崩壊後、言わばソ連の後継者として旧ソ連諸国を「新ロシア圏」に束ねる努力を積み重ねてきたことを考えると、それはロシアの力の弱体化を示すのかもしれない。
しかし、その一方で、南コーカサスはロシアの安全保障にとって死活的に重要な地域でないと判断し、ロシアは介入を控えていた面もあろう。ナゴルノカラバフはNATO諸国と接するベラルーシとは違う。
事実上の勝者はアゼルバイジャン |
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【ロシアと世界を見る目】ナゴルノカラバフ紛争終結 ロシア、なんとか面目保つ
公開日:
(ワールド)
アルメニア旗(左)とナゴルノカラバフ旗(右)=CC BY /D-Stanley
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小田 健:ロシアと世界を見る目(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。
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