南コーカサスという日本にはほとんどなじみのない地域での紛争だけに、個人的には日本での関心は低いだろうと思っていたが、それは間違っていた。各紙で大きく取り上げられ、テレビのワイドショーまでが関心を示している。
重砲が火を吹き、戦車が破壊される生々しい映像が確保されていることの影響が大きいのだろう。また地政学的に大きな影響を与える紛争だと少々、勘違した解説がまかり通ったからかもしれない。
ナゴルノカラバフとはアゼルバイジャンの中の一地方で、カラバフはトルコ・ペルシャ語で「黒い庭」、それにロシア語で「山々が続く、山岳の」という意味のナゴルノが付いた地名。確かに豊かな山が続く一帯だ。広さは山梨県と同じくらい。今の人口は15万人ほど。
ソ連時代末期からこの地をめぐりアゼルバイジャンとアルメニアが争っている。それがナゴルノカラバフ紛争であり、その本質は民族紛争だ。もう30年以上も続く。
南コーカサス一帯は19世紀にロシア帝国の支配下に入り、1917年のボリシェビキ革命を経て、アゼルバイジャンとアルメニアはソ連を構成する共和国となった。
今のナゴルノカラバフの地にはもともとアルメニア人が多く住んでいたが、ソ連は1923年、その地をアゼルバイジャンに属する「ナゴルノカラバフ自治州」と定めた。そのこと自体はおおきな問題になることはなく、両民族はほぼ平穏に暮らしていた。
平穏な暮らしはナゴルノカラバフだけでなく、一帯についても言えたことで、ソ連末期には、ナゴルノカラバフ以外のアゼルバイジャンにアルメニア人が35万人、一方、アルメニアにアゼルバイジャン人20万人が暮らしていた。
ソ連時代末期から衝突続く
しかし、ソ連時代末期、1985年にミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカといわれる一大自由化政策を実施し始めると、南コーカサスでも民族意識が高まり、両民族の関係は一気に悪化した。
1988年2月にはアゼルバイジャン第3の都市、スムガイトでアルメニア人に対する民族浄化事件が発生した。当時、日本にも欧米にもソ連は多民族が融和した国家だと信じてきた人がいて、衝撃を与えた。
その後も両民族の血まみれの衝突が続く中、アルメニア人が圧倒的に多いナゴルノカラバフ自治州の議会はソ連崩壊直前の1991年12月、独立国家「ナゴルノカラバフ共和国」の樹立を宣言した。アゼルバイジャンはこれを認めず軍を動員して制圧を図ったが、隣国のアルメニアがナゴルノカラバフの同胞を支援、戦争が始まった。

その後も小規模な戦闘はおさまることがなく、年平均で30人程度の犠牲者が出ていた。最近では2016年と今年7月に比較的大きな戦闘が起きていた。
したがって、9月末からのナゴルノカラバフでの戦闘はそう目新しいものではない。だが、今回は様相が以前とはだいぶ異なる。規模が大きい。多数の兵員が動員され、重砲、戦車、ドローンなど大量の兵器が投入され、戦闘地域は広範囲にわたる。
今回の戦闘をどちらが先に仕掛けたか。双方の説明はまったく異なるが、専門家の間では、アゼルバイジャンが先制攻撃に出たとの見方が多い。指摘したようにアルメニア側(「ナゴルノカラバフ共和国」とそれを支えるアルメニア)は1994年からすでに一帯を実効支配しており、取るべきものは取ったという感じで、基本的に現状に満足していた。新たに戦争を仕掛ける動機は薄いはずだ。
では、アゼルバイジャンが先に手を出したとして、なぜ今なのか。
まだ不明な点が多いが、考えられるのは、盟友トルコが支援を約束してくれたこと、アゼルバイジャン経済が石油価格の低下で苦境に陥り、さらに汚職問題がひどく、イルハム・アリエフ政権への批判が高まりかけていたといった要因だ。もちろん、ナゴルノカラバフの現状が恒久化してしまうことへの危機感が高まっていたという大きな背景がある。
国連安保理は大規模戦闘の勃発を受けてすぐに、双方に即時停戦を求める声明を出し、さらに長年、両国の調停にあたってきたOSCE(欧州安全保障協力機構)ミンスク・グループの共同議長国であるロシア、フランス、米国の3カ国も同様の共同声明を発表した。
しかし、それで戦闘はおさまる兆しはない。アゼルバイジャンにとっては、停戦は現状、つまりアルメニア人による実効支配の追認を意味する。アリエフ大統領はそう簡単には引き下がれないだろう。
現時点では、アゼルバイジャン軍の優勢が伝えられており、少なくとも一定の土地を確保するまでは進撃は続くだろう。
カギを握るロシア
今後の大きな問題はすでに指摘したように、この紛争が両国間だけの紛争にとどまるのかどうか、両国以外を巻き込んでの一大国際紛争に広がる恐れはないかであろう。
この問いに答えるには、まずロシアの対応を分析する必要がある。何と言ってもこの地域でのロシアの影響力は大きい。
ロシアはアルメニア、アゼルバイジャンの両国に兵器を輸出するなど、双方と良好な関係にある。両国にとってもロシアとの経済的結び付きは大きい。したがってロシアはどちらかに加担することは考えていないだろう。
ただし、ロシアにとってアルメニアは旧ソ連6カ国で構成する集団安保条約機構(CSTO)の仲間だ。アゼルバイジャンは違う。CSTOは、加盟国が外国から攻撃を受けたら他の加盟国が支援するという軍事同盟。アルメニアが外国から攻撃を受けたら、ロシアは(ほかの加盟国も)アルメニア防衛に協力する。ロシアはそうした選択を迫られないようにと、今、必死に両国に自制を求めているに違いない。
現時点でもロシアはアルメニア防衛に行動しなければならないのではないかとの疑問が生じるかもしれない。しかし、実は、アゼルバイジャンはナゴルノカラバフという自国内にいる反乱勢力を攻撃しているという建前が成立している。アゼルバイジャンはアルメニアを直接侵略しているわけではない。従ってロシアがアルメニア防衛のため介入する必要はない。
また、アルメニアは「ナゴルノカラバフ共和国」を独立国家として承認していないし、併合しているわけでもない。
次に米国はどう対応しているかというと、基本的にはロシアと同じだ。そもそも米国はナゴルノカラバフ紛争がアゼルバイジャンとアルメニア2国間の問題にとどまるなら、それが自国の安全保障上の重大な利益に関係するとは思っていない。
トルコがアゼルバイジャン支援
周辺国の動きで注意しなければならないのは、トルコだ。トルコは第一次世界大戦中の「アルメニア人大虐殺」を非難されてきたことなどから、歴史的にアルメニアとは犬猿の仲。一方、アゼルバイジャン人は同じトルコ系民族で、これまでもアゼルバイジャンを支持してきた。先月初めにはアゼルバイジャンと共同演習を実施している。
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は今回の戦闘勃発後に「アルメニアはこの地域における最大の脅威」と述べている。アゼルバイジャンが攻勢に出たのもトルコからの軍事支援を取り付けたからだとの情報がある。
アルメニア外務省は、先月29日にトルコの戦闘機がアルメニア上空でアルメニアの攻撃機Su-25を撃墜したと発表した。これが事実なら、外国によるアルメニア攻撃の前触れかもしれない。
また仮定の話だが、ロシアがCSTO上の義務でアルメニアを防衛するため、トルコを攻撃したら、北大西洋条約機構(NATO)諸国は同盟国トルコを支援しなければならなくなるという恐ろしい展開が待っている。
だが、撃墜事件の真偽は不明だし、トルコとロシアの関係は、現在、比較的安定している。トルコはロシアからミサイル防衛システム「S-400」を購入した。エルドアン大統領は威勢良くアゼルバイジャン支援を口にしているし、一部情報ではアゼルバイジャンを支援するためシリア人傭兵を調達して送り込んでいるというが、紛争の本格拡大を望んでいるかどうか疑問も残る。支援といっても一定限度内におさまるのではないか。
アゼルバイジャン、アルメニア周辺の大国といえば、イランが存在するが、イランも即時停戦、話し合いによる和平を求めている。
こうして国際的にはトルコを除いて即時停戦を求める声が強く、アゼルバイジャンはいずれ一定の成果をあげれば、つまり、アルメニア人が支配しているナゴルノカラバフ周辺地域の一部を奪還できれば、矛先を収めることも考えられると思うのだが、今ははっきりとした見通しを示すことはできない。
1つはっきりしているのは、ソ連時代末期から30年以上も続いてきた民族紛争が終結することはないということだ。今回の戦闘がおさまったとしても、いずれまた衝突が繰り返されるに違いない。
ナゴルノカラバフ紛争で懸念されることの1つに石油・天然ガス市場への影響がある。アゼルバイジャンは世界24位の産油国で、首都バクーの近郊からは原油パイプラインが3本、天然ガス・パイプラインが1本出ている。戦闘による破壊の可能性も想定されるのだが、これまでのところ市場への影響はない。
ところで、日本のメディアでは「ナゴルノカラバフ自治州」という表記が頻出しているが、現在、そんな自治州などどこにも存在しない。その表記は間違いだ。
「ナゴルノカラバフ自治州」はソ連時代には存在したが、その後消滅した。その旧ナゴルノカラバフ自治州の土地は今、アゼルバイジャンでは主に3つの「地区district」という行政単位に分割されている。一方、アルメニア人は「ナゴルノカラバフ共和国(あるいは古代アルメニア王国の地方名を採用してアルツァフ共和国)」と呼ぶ。しかし、自治州はなくなってもナゴルノカラバフという地名は残っており、双方で使われている。従って「ナゴルノカラバフ紛争」という表記には何の問題もない。どういう理由からか知らないが、どうしても「自治州」を付けたいというのなら、「旧ナゴルノカラバフ自治州」とすべきだ。
最後にナゴルノカラバフ紛争は、国際政治学的には、民族自決と領土の一体性保持の2つの概念の矛盾が噴出した例であることを付け加えておきたい。