ロシアで〝ハバロフスクの乱〟が続いている。地元知事が殺人容疑で逮捕された7月中旬以来、これに抗議するデモ・集会が連日続き、数万人規模に上ることもあった。
ロシアで政権に対する大規模抗議運動は過去に何度も起きているが、異例の事態であることは間違いない。問題はこれがロシア各地に飛び火して全国的な広がりを持つことになるかどうかだ。そうなった場合、プーチン体制の〝賞味期限〟が近づいたことが明確になろう。
だが一方で、抗議運動がハバロフスクの特殊な事情で発生しており、全国的な意義をもたないとすれば、地域限定にとどまるとの見方も有力だ。
日本の検察当局の特捜に相当する「捜査委員会」と連邦保安庁(FSB)の合同チームが7月9日、ハバロフスク地方のセルゲイ・フルガール知事を殺人と殺人未遂容疑で逮捕した。知事がビジネスマンだった15年近く前に取引でもめていた相手の2人を殺害し、もう1人を殺害しようとしたが未遂に終わったという。
ロシアの行政区はまず大きく8つの連邦管区に分かれ、ハバロフスク地方はそのなかの極東連邦管区に属する。この場合の「地方」は連邦管区の中の下部の行政単位の名称で、ロシア語で「クライ」という。一般的な地方という意味ではない。ハバロフスク地方の人口は約130万人。最大都市はハバロフスクで62万人。日本からみると要するにシベリアの一地域。
フルガールは1970年2月生まれの50歳。2年ほど前、2018年9月のハバロフスク地方知事選にロシア自由民主党候補として出馬、プーチン大統領が事実上の党首となっている政党「統一ロシア」の現職を決選投票で大差をつけて破り当選した。
自由民主党はウラジーミル・ジリノフスキーが率いる右派政党で、連邦議会では一応野党。実態はプーチン大統領を批判することはなく、与党化しているともいう。
しかし、フルガール自身はひと味違った。プーチン大統領を批判してきたわけではないが、知事就任以来、「市民に寄り添った」ポピュリスト的政策で人気を集めてきた。役所の幹部の人数を削減、ビジネスクラスでの出張を制限、自分の給与を減らし、学校給食を充実、汚職対策に力を入れてきた。地方政府が保有していた100万ドルのヨットを売却も試みた(買手が現れなかったという)。
その人気の知事が逮捕されたことに地元民が怒った。逮捕翌日から自然発生的に抗議集会が開かれ、11日にはハバロフスク(市)で数万人規模が参集した(複数の報道機関推定。内務省発表では1万~1万2000人)。抗議運動はその後も連日続き、25日には再び数万人が街頭に繰り出した。
人口60万人あまりの都市での数万人規模の参加は極めて人数が多い。ハバロフスクでも毎年、ナチ・ドイツに対する勝利を祝う戦勝記念日のパレードが実施され、市民も街頭を行進するが、その参加者を上まわったとも言われる。
しかも現在のところ、特定の政党、政治団体が音頭を取っている様子は見当たらないといいうから驚きだ。
当局はハバロフスクに域外から治安部隊を派遣、警戒を強めているが、これまでのところ静観している。香港や米国ポートランドなどでみられるような警察・治安部隊との衝突は起きていない。
プーチン大統領は20日にフルガールを「信頼できなくなった」との理由で知事職から解任、知事代行にミハイル・デクチャリョフを任命した。デクチャリョフは連邦下院議員でフルガールと同じ自由民主党議員。プーチン大統領としては同じ党の人物を任命することで同党や地元民に配慮したつもりなのだろう。
しかし、デクチャリョフはハバロフスクとはこれまで縁もゆかりもない政治家。21日頃から「デクチャリョフは来るな」、さらには「プーチンは退陣せよ」といった声も聞かれるようになった。
なぜハバロフスク地方の市民はかくも怒っているか。
現地からの報道をみると、せっかくクレムリンの影響力を排除して自分たちが独自に選び、人気者の知事を突然、排除したことはけしからんといった声が強い。格好良く言うと、自治意識が強いからだ。
近年、ハバロフスクではそもそもモスクワ(中央政府)の言いなりにはなりたくないとの意識が高まっていた。
2019年9月にはハバロフスク地方議会とハバロフスク市議会の選挙も実施され、その双方で自由民主党が統一ロシアに圧勝した。両議会に統一ロシア議員はほとんどいない。
それに、つい先日の7月1日の憲法改正をめぐる全国投票では、ハバロフスク地方の反対票が平均を大きく上まわった。賛成62%、反対37%、投票率44%だった。全国平均は賛成79%、反対21%、投票率68%で、プーチン大統領が音頭を取って進めた憲法改正に冷淡であることがよくわかる。
プーチン大統領はフルガール知事誕生直後の2018年12月、極東連邦管区の首都をハバロフスクからウラジオストクに移した。ハバロフスク市民にとっては嫌がらせ、あるいはいじめと映っただろう。
逮捕されたフルガールはもともとそう評判の高い人物ではなかった。少なくともビジネスマン時代に暴力組織と関係が深かったことは間違いないようだ。しかし、そうした怪しい経歴の持ち主が政治家になっている例はあちこちにある、なぜフルガールだけが標的にされるのか、といったなかなか理解しにくい弁明も彼の支持者の中にはある。
面白いことに、中央政府とハバロフスクの対中認識の違いを挙げる分析もある。中ロ関係はますます密接となり、今や準同盟的様相をみせているが、中国と国境を接するハバロフスク地方の市民は中国人が入り込み森林の不法伐採、魚や動物の密猟を繰り返しており、モスクワの生ぬるい対応に怒っているともいう。
加えて、この地方で大規模事業の恩恵を受けるのは政権とつながりの深い大企業ばかりで、地元への恩恵は少ないという不満があることが指摘されている。
一方で、生活の苦しさがモスクワへの反発を招いているとは言えないようだ。ハバロフスク経済もコロナウイルスの影響を受けているが、所得などの各種指標は全国平均を上まわっている。
こうしてみると、抗議運動はやはりこの地方に独特の要因で起きていると言っていいのではなかろうか。
抗議はこれまでにハバロフスク地方の第二の都市、コモソモリスクナアムーレのほか、近接するシベリアのノボシブルスク、日本海に面したウラジオストク、そしてはるか離れたモスクワなどでも実施されてきた。ただし、規模は小さい。今のところ全国的な広がりには欠けている。
プーチン体制下のロシアではこれまで何度か全国規模の抗議運動が起きている。2011年~2013年にかけては連邦下院選挙が不正選挙だったとの反発が、2017年~2018年には年金支給開始年齢の引き上げや汚職蔓延への抗議が盛り上がった。
ロシア周辺の旧ソ連諸国のウクライナやジョージア(グルジア)では、大衆による反政府運動で政権交代が起きている。プーチン大統領も過去20年近い統治の中で大衆運動による政変を阻止する努力を重ねてきた。
今後、下手に強権を発動しデモ・集会に介入し、ほかの地域での反発を招くようなことをしなければ、今回もしのげると読んでいるのだろう。しかし、相当の注意を払って事態の収拾を図ろうとしていることは間違いないだろう。
今後はハバロフスクからほかの都市、特にモスクワやサンクトペテルブルグにどの程度多く抗議運動への共感者が出てくるのかを注視する必要がある。
シベリアでの政治反乱、反プーチン広がるか、極東の反モスクワ意識か |
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【ロシアと世界を見る目】人気知事逮捕で支持者の大規模デモ続く
公開日:
(ワールド)
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小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。
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