ロシアのウクライナ侵攻から9カ月近くが経ち、米欧で戦争終結へ交渉を求める声が散見される。
在野の学者、評論家だけでなく、米政権や議会内にも外交の出番を作れという論があるようだ。だが、肝心のロシアもウクライナも、相手が到底受け入れるはずのない要求を突きつけ、現時点では和平交渉はおろか停戦交渉が始まる可能性もない。戦争は続く。
今はもう遠い過去の話のようになってしまったが、実はロシア軍が2月24日にウクライナに侵攻した直後から両者は何度か和平交渉を重ね、かなり歩み寄っていた。
2月28日にベラルーシのウクライナ国境に近い町で初会合、その後、3月29日のイスタンブールでの会合まで続いた。和平案も浮上、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)加盟を断念し中立国となること、さらにはウクライナのセキュリティの問題と領土の問題を切り離して交渉する、つまり領土問題は棚上げするとの方針が盛り込まれていた(注1)。
しかしイスタンブール会合の後、首都キーウ(キエフ)近郊の村、ブチャなどでロシア軍兵士によるとされる住民の虐殺事件などが発覚、それが影響したのか、ウクライナ側が強硬姿勢に転じ、交渉は止まった。4月9日に当時のボリス・ジョンソン英首相が突如、キーフを訪問、ゼレンスキー大統領に交渉拒否を働き掛けたせいだとの説もある(注2)。
それでも5~6月にはフランスのエマヌエル・マクロン大統領、ドイツのオーラフ・ショルツ首相、イタリアのマリオ・ドラギ首相(当時)らが戦争の外交的解決の必要を訴えた。イタリア政府に至っては5月に自ら和平案を作成、主要7カ国(G7)やアントニオ・グテレス国連事務総長に提出したほどだ(注3)。
▽米議会とバイデン政権内に動き
その後、各国指導者からはそうした声をあまり聞かれなくなっていたが、戦争が長期化する中、論壇、そして政府や議員の間に少し変化がみられるようになった。
10月24日、米国下院の民主党議員30人が連名で、ジョー・バイデン大統領に書簡を送り、ウクライナ戦争を終わらせるための外交努力を求めた。バイデン政権がウクライナに軍事、経済援助を供与していることを支持した上で、「あらゆる外交の道を追求することが米国の責任だ」と強調した。書簡作成の音頭を取ったのは下院民主党のリベラル派議員を率いるプラミラ・ジャヤパル議員。
ところが、彼女は翌日、この書簡を取り下げた。中間選挙の選挙戦の真っ只中であったこともあるのだろう、党内からも「敵に塩を送る」旨の批判や、書簡の文面に同意したのは数カ月前のことで今は戦況がウクライナ軍に有利に変っており、賛同しないといった注文が出たからだ。
ドタバタ喜劇が展開された感じはする。しかし、米国の議員がある程度まとまって外交努力、つまり交渉を求めたのは初めてのことだ。
米議員の動きと言えば、下院共和党の有力議員で議長候補のケビン・マッカーシー(中間選挙で再選)の大胆な発言もある。彼は10月18日、共和党が下院で過半数を取れば、「ウクライナに白紙の小切手を切るようなことはしない」と、メディアとのインタビューで述べた。
インフレなど厳しい経済状況が続く中、共和党の中にも巨額のウクライナ援助を見直したいとの声が出ている。それが交渉を求める動きにつながる可能性はあるだろう。
さらに注目されるのは、バイデン政権内の動きだ。
ワシントン・ポスト紙は11月6日、バイデン政権がウクライナ政府に対し、ロシアとの交渉の門戸を開くよう求めていると報じた。「事情に詳しい人たち」、つまりバイデン政権の高官らが情報源だ(注4)。
この記事によると、バイデン政権はウクライナに交渉の場に出るよう直接圧力をかけているわけではない。南アフリカ共和国、インド、ブラジルなどに、米欧が軍事援助を継続し、戦争を長期化させているといった批判がくすぶっているので、ウクライナには交渉に応じる用意があるとの姿勢を見せることで、さらに援助を続けやすくするという思惑からだという。
▽正義の追求と核戦争回避のバランス
政府の外では、国務長官や国家安全保障担当補佐官を務めた外交論の権威、ヘンリー・キッシンジャーが今年5月23日のダボスでの世界経済フォーラム年次総会で、早く交渉しないと取り返しがつかなくなると指摘したことはよく知られている。
最近ではジョージ・H・W・ブッシュ政権の下で駐ロ大使を務めたトム・ピケリング、中央情報局(CIA)でロシア分析部長を務めたジョージ・ビーブ、ソ連時代末期に駐ソ大使だったジャック・F・マトロックJr.ら元政府高官が交渉を求める論陣を張った。
官民の資金で運営されている米国の有力シンクタンク、ランド研究所(ランド・コーポレーション)の上級政治研究員二人の主張も注目される。米国は今すぐにロシアと直接交渉しなくてもよいが、交渉の道があることを明確にしておき、ロシアの降伏しか選択肢がないといった言辞を止めるべきだと説いた(注5)。
テスラやツイッターのCEO(最高経営責任者)のイーロン・マスクも10月初めにロシアとの和平のためロシアはクリミア半島の領有を認められるべきだなどとする和平案を提唱、論議に一石を投じた(注6)。
こうした外交・交渉推進論者は、その理由としてまず、戦争がエスカレーションの道をたどり、やがて北大西洋条約機構(NATO)対ロシアの核戦争に至る可能性があることを挙げる。
ジョージタウン大学教授のチャールズ・クプチャンが今月初めにニューヨーク・タイムズ紙で展開した論が典型的だ。
彼は、ウクライナ軍の攻勢が続き、ロシア軍がウクライナ東部やクリミアから完全に掃討されそうになった場合に、ロシアによる核兵器使用の現実味が増すとみる。そうなれば、北大西洋条約機構(NATO)が直接参戦し、取り返しのつかない事態に陥る。ウラジーミル・プーチン大統領を完全敗北に追いやることは、必要のない危険なギャンブルだと説いた(注7)。
ピケリング大使らもウクライナでの正義の追求とロシアとの核戦争の回避という二つの命題のバランスを取ることが絶対的に不可欠だと強調する。1962年10月のキューバ・ミサイル危機の際、ジョン・F・ケネディ大統領がソ連の指導者、ニキタ・フルシチョフ共産党第一書記・首相を悪魔化し、話合いを忌避していたなら、危機は戦争に発展していただろうとも言う(注8)。
論者が和平交渉を説く第二の理由としては、経済の悪化の阻止を挙げられる。戦争が長期化すれば、ウクライナからの避難民の受け入れに伴う負担が増すし、インフレや景気の減速で国民生活に影響が出る。これを止めなければならない。
経済への影響は特に欧州で懸念されている。ロシア産のエネルギーへの依存が高かったからだ。エネルギー価格の上昇でインフレ率が上昇、同時に景気も悪化し始めている。
欧州19カ国で構成するユーロ圏の10月の物価上昇率は前年同月比で10.7%。ここ40年で最も高い。特にバルト三国では20%を超える激しさだ。
また、ユーロ圏の第三四半期のGDP(国内総生産)は前年同期比2.1%増で、第二四半期の4.3%増から縮小した。
インフレが亢進する一方で賃金は上がらず、欧州各地で10月下旬から賃上げを求める抗議運動が目立ち始めた。英国を初め、ドイツ、フランスなどでもストが発生、インフレを引き起こしている要因がウクライナ戦争にあると多くの人は思い始めている。
米欧の世論調査をみると、今もウクライナの主権と領土を守る戦いを是とし、軍事援助を含めた支援に賛成する人が多数を占める。しかし、今後、スタグフレーションの様相が深まり、生活が今以上に苦しくなってきた場合、ウクライナに連帯を示し、この戦争は自分たちの戦争でもあるといった思いを抱き続けられるかどうか。問い直される時がくるのかもしれない。
交渉を求める声の中には、もちろん、戦争による犠牲者が増え、ウクライナの町の破壊が進むことを止めたいとの思いもある。
一方で、今は交渉を言い出す時ではないとの主張も幅広く共有されている。だから、米下院の民主党議員団の提言がすぐに撤回された。特にウクライナ軍が9月以降、反転攻勢に出て、戦闘を有利に進めている時であればなおさら、なぜこんな時に交渉を唱えるのかと思いたくなる。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙のホルマン・ジェンキンス論説委員が11月5日、機が熟していないのに交渉を呼びかけてもまったくむだで、プーチン大統領は誤算を重ねており、放っておいても沈んでいくと論じた(注9)。
米国のシンクタンク、ユーラシア・グループのアナリスト、ザチャリー・ウィトリンは11月8日、3月の時点と今では状況が変り、ウクライナが譲歩しなければならないという理由がなくなったと指摘した(注10)。
▽「ウクライナに任せる」とG7
では欧米諸国政府の現時点での態度はどうなっているかだが、日本を含めた主要7カ国(G7)は6月27日のドイツでの首脳会議で「ウクライナ支援に関するG7声明」を発表した。これが今の基本姿勢だ。
声明は「我々は、財政的、人道的、軍事的及び外交的支援を引き続き提供し、必要な限りウクライナと共にある」とウクライナに連帯を表明、さらに「外部の圧力や影響を受けることなく、将来の和平について決定するのはウクライナ自身である」と強調した。
そのウクライナには、全くといってよいほど交渉する気はない。
ゼレンスキー大統領は9月21日の国連総会へのビデオメッセージ、そして11月6日のワシントン・ポスト紙報道を受けたコメントの中で、交渉に応じるための条件を示している。領土一体性の回復、国連憲章の尊重、戦争被害への補償、すべての戦争犯罪人の処罰、そしてウクライナを二度と侵略しないとの保証が条件だ。
いずれももっともだと思うかも知れないが、ゼレンスキー大統領の様々な発言から判断して、領土一体性の回復とはドンバス地方だけでなくクリミアの回復、国連憲章の尊重とはロシアの国連安保理常任理事国の剥奪、戦争犯罪人の処罰はプーチン大統領の処罰を意味すると解釈される。
それにゼレンスキー大統領は10月4日に、そもそもプーチン大統領とは交渉しないとの大統領令に署名している。プーチン大統領が9月30日にドネツクなどウクライナの4州をロシアに併合するとの決定を下したことに反発した。
一方のロシアだが、交渉に応じる用意はあると繰り返している。だが、こちらもウクライナが受け入れるとは思われない条件を付けている。
プーチン大統領は9月30日、ウクライナ4州の併合条約調印式で、次のように述べた。
「我々はキエフの政権に対し、直ちに攻撃、すべての戦闘行動をやめて交渉のテーブルに戻るよう呼びかける。何度も言ってきたように、我々にはその用意がある。しかし、ドネツク、ルガンスク、ザポリージャ、ヘルソン(ウクライナの4州のこと)の人たちの選択は協議しない。選択は下された。ロシアはそれを明け渡すことはない。キエフ政権はこの自由な選択を尊重すべきで、その場合にのみ和平の道は存在する」(注11)。
ウクライナ4州の併合の撤回、ましてや2014年3月に併合したクリミアについても交渉の対象にしないという宣言だ。これでは交渉の余地はまったくない。
自分たちの要求がすべて通らないと話し合わないという態度を取る者をマクシマリストmaximalistというが、ウクライナ、ロシアとも今はこの最大限の目標貫徹主義を前面に押し出している。
G7は、ウクライナが必要だという限り、軍事支援を続け、ロシアとの交渉の場に着くかどうかはウクライナ自身が決めればよいという態度だが、戦争はウクライナだけの問題ではない。それはG7諸国、さらには世界の政治、経済、社会に大きな影響を与えている。
この戦争は直接的にはウクライナとロシアの戦争だが、ウクライナに軍事情報や兵器を提供し、その避難民を受け入れている米欧諸国に一定の発言権があるはずだ。
11月7日のウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、ジェイク・サリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)が、ここ数カ月、ロシアのユーリー・ウシャコフ大統領補佐官(外交担当)やニコライ・パトルシェフ安保会議書記と接触してきた(注12)。
戦争のエスカレーションによる核戦争の可能性をなくすことを話し合っているという。極めて大きな意義のある接触だが、停戦や和平策を議題にしているわけではないようだ。
今後の戦闘状況の展開などにもよるが、米欧諸国がウクライナとロシアの両国に働き掛けなければ、戦争を終わらせる道は見えてこない。最初から領土問題の解決を含む和平交渉を実現する必要はない。休戦あるいは停戦交渉なら何とかならないのかとも思う。しかし、今は、その展望もない。
注
(1) “Ukraine's 10-point plan: Journalist Farida Rustamova obtained the full list of Kyiv's proposals to Moscow on March 29,” Meduza, March 29, 2022.
(2) Roman Romaniuk, “Possibility of talks between Zelenskyy and Putin came to a halt after Johnson’s visit - UP sources,” Ukrainskaya Pravda, May 5, 2022.
(3) Daniel DePetris, “Italy's peace plan for Ukraine is dormant. But only for now,” Washington Examiner, May 31, 2022.
(4) Missy Ryan, John Hudson and Paul Sonne, “U.S. privately asks Ukraine to show it’s open to negotiate with Russia,” The Washington Post, November 6, 2022.
(5) Samuel Charap and Miranda Priebe, “Don’t Rule Out Diplomacy in Ukraine,” Foreign Affairs, October 28, 2022.
(6) “Elon Musk's peace plan for Ukraine draws condemnation from Zelenskyy,” AP, October 4, 2022.
(7) Charles A. Kupchan, “It’s Time to Bring Russia and Ukraine to the Negotiating Table,” The New York Times, November 2, 2022.
(8) Ambassador Tom Pickering and George Beebe, “Demonization, danger and diplomacy,” Tribune News Service, October 28, 2022.
(9) Holman W. Jenkins, Jr., “To End the Russia-Ukraine War, Shut Up About Negotiations,” The Wall Street Journal, November 5, 2022.
(10)Marita Vlachou, “How Does Russia's War In Ukraine End?” HuffPost, November 8, 2022.
(11)12:23 30.10.2022 (обновлено: 18:02 30.10.2022) В МИД назвали условия для диалога с Западом по снижению напряженности Глава МИД Лавров подтвердил, что Путин по-прежнему готов к переговорам по Украине
(12)Vivian Salama and Michael R. Gordon, “Senior White House Official Involved in Undisclosed Talks with Top Putin Aides,” The Wall Street Journal, Nov. 7, 2022.
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公開日:
(ワールド)
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小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。
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