ロシアとドイツをつなぐ大型の天然ガスパイプラインの爆破事件を覚えているだろうか。昨年9月26日、何者かがバルト海海底の4カ所で「ノルトストリーム(日本のメディアではノルドストリーム)1」と「ノルトストリーム2」という2つのパイプラインを爆破した。
この驚愕の事件を爆破場所に近いデンマーク、スウェーデン、そしてドイツの当局が捜査してきた。しかし、数カ月経ってもどの国からも捜査に進展があったとの発表はなく、迷宮入りかなと思っていたら、今年2月に調査報道で著名な米国人記者シーモア・ハーシ(注1)が仰天情報を報じた(注2)。米国当局の主導の下、ノルウェー当局が協力して爆破したというのだ。
そして今度は7日、ニューヨーク・タイムズとドイツの有力メディアがほぼ同時に、ウクライナと関係のある集団が犯行に及んだとの情報があると報じた(注3)。事件の真相に近づいてきたような印象を与えるが、まだ詳細は不明だ。各国の捜査当局が犯人を特定するにはまだ時間がかかりそうだし、仮に特定したとして、政治的思惑からそれを公表するのかどうか疑問も残る。
「ウクライナ政府は関係ない」
ニューヨーク・タイムズの7日の記事によると、米政府関係者(オフィシャルズ)は親ウクライナ・グループがパイプラインを爆破したとの情報を得ているという。犯行にはウラジーミル・プーチン大統領に敵対するウクライナ人、あるいはロシア人、はたまたあるいはウクライナ人とロシア人の双方から成るグループが関与したとの情報だ。
パイプライン爆破は、ロシアに打撃を与え、逆にウクライナには好都合だとの見方が可能で、ウクライナ関与情報はそうした見方と整合性があるように思われる。その一方で、これら米政府関係者は誰が犯行集団を組織し、資金を出し、誰がメンバーであるかについての具体的な情報は持ち合わせていないと語ったという。またウクライナ政府組織が関与したとの証拠はないとも述べた。
ニューヨーク・タイムズによると、この記事の情報源である米政府関係者は、どこから親ウクライナ・グループが関与したとの情報を得たかには明らかにしなかった。さらに、自分たちはその情報が正しいと確信しているわけではないとも付け加えた。
しかし、場合によってはウクライナ政府に疑惑の目が向けられかねないのに、そんなにあやふやな情報をメディアに漏らすだろうか。
ニューヨーク・タイムズが親ウクライナ・グループ関与情報を流すと、ワシントン・ポストが同日、直ちに追いかけ記事を配信した(注4)。米欧の情報・外交関係者は親ウクライナの破壊工作員が爆破したと「疑っているsuspect」と報じた。
▽爆発物の痕跡発見とドイツ・メディア
一方、同日のドイツの報道だが、こちらは同国のテレビ局ARDとSWR、それにディー・ツァイト紙が共同で調査した成果だ。こちらもウクライナ人の関与を指摘し、その内容はより具体的だ。
このうちツァイトによると、破壊工作グループは6人からなり、犯行に使われた船舶(「ヨット」と言われるが帆船ではなく、大型ヨットと思われる)も特定した。
この船はポーランドで登記された会社が所有しており、犯行グループがこの会社から借り、ドイツのバルト海に面したロストック港までトラックで運んだ。このポーランドの会社のオーナーが2人のウクライナ人になっているという。ここでウクライナ人が登場する。
グループ6人のうち5人は男で、班長、潜水夫2人、潜水補助要員2人。もう1人は女医。彼らの国籍は不明。複数の国の偽造パスポートを使っていた。
船舶はロストックを9月6日に出港、翌日デンマーク領クリスチアンスー島に入っていたことが確認されている。爆破は9月26日に発生しており、20日前のことだ。クリスチアンスー島は爆破現場に近い。
犯行グループは爆破後、船を清掃しないまま所有者に返した。このため、ドイツで捜査にあたっている連邦検察庁は船室のテーブルの上に爆発物の痕跡を発見したという。
この報道を受けて連邦検察庁は翌8日に、この疑惑の船を今年1月18日から20日にかけて捜索したと発表した。採取した爆発物の痕跡や押収した物を調べている最中だという。
ドイツ当局が犯人を逮捕したかどうかは、報道からも検察庁の発表からも明確には判断できないが、偽造パスポートを使っていたという発表、さらに船の捜索までに3カ月以上も時間がかかっていることからも犯人をドイツ国内で逮捕したとは思われない。
以上の情報をまとめると、ニューヨーク・タイムズは犯行グループにウクライナ人が加わっている可能性が十分あると指摘し、ドイツのメディアは、犯行グループが、ウクライナ人2人が経営する在ポーランドの会社から船を借りたと報じている。こうして米独の記事は、〝ウクライナ・コネクション〟を指摘している点で共通する。
米独の報道についての反応だが、米ホワイトハウスのスポークスパーソン、ジョン・カービーは7日、関係国での捜査が終わってから対応を検討したいと述べた。報道内容を肯定も否定もしないという感じだ。
ドイツのボリス・ピストリウス国防相は8日、ウクライナ政府の命令による犯行であるのか、ウクライナ政府が知らないまま親ウクライナ・グループが犯行に及んだのか区別する必要があると述べた。報道内容に対する評価は米国政府の反応に似ている。
一方、ウクライナの政府関係者は、政府機関が関与しているはずがないと完全否定。確かに、「親ウクライナ・グループ」だからと言ってウクライナ政府が関与しているとは言えない。
興味深いのはロシアの反応で、ドミトリー・ペスコフ大統領報道官は8日、「破壊工作の首謀者が自分たちから関心をそらしたいと思っているのは見え見えだ」と述べた。
プーチン大統領は、爆破から4日後の9月30日、「アングロサクソンの連中」による犯行だと述べた。アングロサクソンとは米国と英国のことだ。今回の報道は真犯人が米英であることを否定するもので、裏に米独の当局の情報工作があるとペスコフ報道官は言いたかったのだろう。
▽ハーシの米国犯行説
米国がパイプラインの破壊を実行したと言えば、ロシアの宣伝工作のように思われるが、前述したように、今年2月8日にシーモア・ハーシが自分のブログで米国犯行説という仰天記事を報じたことを改めて詳しく紹介しておきたい。
ハーシの記事によると、2021年12月にジョー・バイデン大統領の指示で米軍統合参謀本部、中央情報局(CIA)などの職員からなるパイプライン爆破作戦班が発足、計画を練った。昨年3月にはパイプラインが通る海域に詳しいノルウェーの当局と接触、具体的にどこに爆発物を仕掛けるかを協議した。
そして米海軍の潜水兵が6月に北大西洋条約機構(NATO)がバルト海で実施した演習に紛れて、C-4と呼ばれる爆薬にタイマーを付けた爆発物をパイプラインに仕掛けた。それからおよそ3カ月後の9月26日にノルウェー海軍のP8偵察機が現場近くでソナーブイを投下し、遠隔操作の信号で爆破した。
米・ノルウェー共同作戦でパイプラインを爆破したということになる。
もちろんホワイトハウスもCIAもハーシの記事を「完全なでっち上げ」と否定した。
ただしソーシャル・メディアなど一部でハーシの記事は一定の関心を集めた。それは、ハーシが調査報道で名をはせた記者であるからでもある。
彼はベトナム戦争中のミライ虐殺事件(注5)とその隠蔽工作を暴きピュリッツァー賞を受賞、ウォーターゲート事件報道でも特ダネをものにしている。もちろん、大物記者が書いたからといって事実とは限らないし、情報源も匿名の「計画を直接知る人物(1人)」というだけだ。
7日の米独の報道はハーシの記事とは大きく異なる。今回はハーシの形勢は不利のようにみえる。
爆破されたノルトストリーム1はロシアからバルト海海底を通ってドイツまで延びる1224キロメートルのパイプライン。年間輸送能力550億立方メートル。2011年に稼働、2021年にはロシアから欧州に送られたガスの3分の1を輸送した。昨年半ばまでは順調にガスを輸送してきたのだが、欧州による対ロ制裁に伴う技術的問題を理由にロシアが8月末に輸送を止めた。
ノルトストリーム2は「1」にほぼ平行して走り、年間輸送能力は同じ550億立方メートル。こちらは2021年9月に完成したものの、ドイツがロシアのウクライナ侵攻を非難、運用を許可せず、稼働していなかった。ただし、1と2の双方にガスは充填されていた。
破裂した箇所はノルトストリーム1で2カ所、ノルトストリーム2で2所の計4カ所あり、そこからガスが漏れ出した。爆破箇所はいずれもデンマークとスウェーデンの排他的経済水域にある。
2つのパイプラインは技術的には修復可能というが、予見しうる将来、再び稼働することはないだろう。
現場は水深80~110メートルで爆発物を仕掛けるには相当な専門知識が必要とされる。
当初、米欧で疑いの目が向けられたのは、もちろんロシアだ。ウクライナ政府はロシア犯行説を明言、ポーランドのマテウシュ・モラヴィエツキ首相もロシアである可能性が高い旨述べた。だが、さすがに具体的な証拠を持ち合わせていないせいだろう、ほかの米欧諸国の政府はロシアの仕業とは明言してこなかった。
ノルトストリーム爆破事件の捜査はまだまだ先が長そうだ。中立的な捜査が必要だと思うが、仮に米欧側に不利な材料が出てくるとすれば、その結果が十分に公表されないこともあり得るだろう。
注
(1)Seymour Hersh。日本では「セイモア・ハーシュ」と表記する向きがあるが、それは英語の一般的な発音ではない。
(2)Seymour Hersh, “How America Took Out The Nord Stream Pipeline,” February 8, 2023. [https://seymourhersh.substack.com/p/how-america-took-out-the-nord-stream]
(3)Adam Entous, Julian E. Barnes and Adam Goldman, “Intelligence Suggests Pro-Ukrainian Group Sabotaged Pipelines, U.S. Officials Say,” The New York Times, March 7, 2023Updated 5:51 p.m. ET; Von Holger Stark, “Spuren führen in die Ukraine, “ 7. März 2023, 18:03 Uhr;Hans Von Der Burchard, “Nord Stream bombings probe, German investigators see Ukraine link, reports say,” Politico, March 7, 2023 10:05 PM.
(4)Shane Harris, Souad Mekhennet, Greg Miller and Michael Birnbaum, “Intelligence officials suspect Ukraine partisans behind Nord Stream bombings, rattling Kyiv's allies,” The Washington Post, updated March 8, 2023 at 9:22 a.m. EST, Published March 7, 2023 at 6:32 p.m. EST
(5)日本では「ソンミ村虐殺事件」という呼称が一般的だが、米欧では「ミライ虐殺事件」という。ミライはソンミ村の中の一集落。
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(ワールド)
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小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。
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