24日でウクライナ戦争開始からまる1年。ジョー・バイデン大統領とウラジーミル・プーチン大統領が21日、相次いで演説、互いに一歩も後に引かぬ姿勢を表明した。戦争が長期化するだろうとの意見で多くの人は一致する。この筆者も基本的に異論はないが、一方で、妥協、あるいは停戦、和平のための外交交渉の可能性がまったくないのかとの疑問も沸く。その可能性を探ってみた。
ロシア軍が昨年2月24日にウクライナに侵攻した直後から両国は何度か和平交渉を重ね、かなり歩み寄っていた。しかし、ブチャでの虐殺事件などをきっかけに4月以降、交渉は止まったままだ。
ウクライナのウォロジミル・ゼレンスキー大統領の姿勢はロシアと交渉していた時とは変わった。今、彼の戦争目的ははっきりしている。ロシア軍の全ウクライナ領土からの撃退だ。
全ウクライナ領土とは、ロシアが2014年3月に併合したクリミア半島(クリミア自治共和国とセバストーポリ)、そして昨年9月に併合したウクライナ東部と南部の4州すべてを含む。
今年1月のダボス会議でゼレンスキー大統領の首席補佐官のアンドリー・イエルマクは、ウクライナにとっての勝利とはドンバスとクリミアを含めすべてのウクライナ領土を回復することであり、それ以下は「全く受け入れられない」と強調した。交渉など考えられないということだ。
ではロシアの姿勢はどうか。プーチン大統領は21日の議会向け演説(年次教書演説と訳されているが、正確な訳ではない)では交渉の可能性に触れなかったが、これまでその用意はあると言ってきた。一見、柔軟な姿勢のようだが、ロシアに自国領土として編入したクリミア半島はもちろんのこと、ウクライナ4州の帰属は交渉の対象外だと言う。これでは交渉しないと言っているに等しい。
こうして双方に歩み寄りの気配は感じられない。激戦の最中にある以上当然かもしれない。
しかし外交交渉の可能性を探るには、外部から戦争の行方に最も影響を与える力を持つ米国の動きを知る必要がある。
バイデン大統領は、ウクライナが必要だという限り援助を続けるとの基本方針を堅持、21日のポーランドでの演説でもそう強調した。
だが、バイデン政権や米議会の中の動きを子細にみると、米国が全体として必ずしもいわば「いけいけ、どんどん」という感じではないことがわかる。特に、バイデン政権がウクライナの全領土の回復を現実的な目標として考えていないと思われることを指摘しておきたい。
▽注目されるバーンズCIA長官の動き
バイデン政権の中で興味深い動きを示してきた人物がいる。ウィリアム・バーンズ中央情報局(CIA)長官だ。2005年から2008年まで駐ロ大使を務めたロシア通の外交官だ。
バーンズ長官は昨年11月14日、トルコの首都アンカラでロシアのセルゲイ・ナルイシキン対外情報庁長官と会った。この接触自体は報じられているが、今月21日の米国のメディア、ポリティコの報道によると、バーンズ長官はその際、和平の可能性を探る観測気球を上げた。そのことをウクライナの高官2人が認めたという(注1)。
さらには、真偽のほどは定かではないが、バーンズ長官が1月にモスクワを極秘で訪問、和平案を示したという情報もある。これはスイスのドイツ語紙、ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥングが今月2日に報じた。
同紙によると、その和平案とはウクライナの領土の20%をロシアが維持するという内容。ウクライナの領土の20%とは、クリミア半島とウクライナ東部・南部のドンバス地方のうちロシアが現在制圧している地域の合計に近い。つまり1年前にロシアが侵攻した時点でロシアが支配していた地域を指すとみられる。
もしそうであれば、ウクライナがめざす全領土回復の目標に反する。米誌ニューズウィークがこのスイス紙の報道について米国家安全保障会議(NSC)に聞いたところ、全面的に否定したというが(注2)、先のポリティコの報道もあり、興味深い情報ではある。
バーンズ長官については次のような動きも明らかになっている。
1月にウクライナの首都、キーウを訪問、ゼレンスキー大統領に今後数カ月が戦争の行方を左右する決定的に重要な時期だと伝えた。
そのバーンズ長官の訪問の1週間後にはジョン・ファイナー国家安全保障担当副補佐官ら高官3人がキーウを訪問、同様の情報を伝えた。
バーンズ長官と高官3人のキーウ訪問に関する情報はワシントン・ポスト紙が今月13日に伝えた(注3)。
このワシントン・ポスト記事は、米国の昨年秋の中間選挙の結果、下院で共和党が多数派を確保したことを踏まえ、米国がウクライナにいつまでも大型の軍事援助を続けるわけにはいかないとの米高官の見解も紹介している。
バーンズ長官らはウクライナ軍が今後数カ月の間に領土をできるだけ回復し、その後にプーチン大統領との交渉に臨むことを想定しているとこの記事は指摘した。だとすると、ウクライナ領土の全面回復を想定していないことがうかがわれる。
バーンズ長官が抱いている考えは、アントニー・ブリンケン国務長官も共有しているようだ。
ブリンケン長官は今月15日、米国の国際問題の専門家たちとのズームを通じた会議で、米国はウクライナによるクリミア奪還を支援するのかとの質問に、それはプーチン大統領にとっての「レッドライン(越えてはならない一線)だろう」と答えた(注4)。
ブリンケン長官は既に昨年12月、ウォール・ストリート・ジャーナル紙との会見で、ロシアが昨年2月以来の侵攻で奪った土地からロシア軍部隊を追い出すようウクライナを支援することが米国の優先政策だと述べている(注5)。これにはクリミアやドンバス地方の一部は含まれない。
バイデン政権内ではさらに、ローラ・クーパー国防次官補代理ら国防省幹部4人が今年1月26日に下院軍事委員会での非公開会合に出席、ウクライナ軍が近い将来、クリミアを奪回することはできないだろうと述べた(注6)。
米軍トップのマーク・ミリー統合参謀本部議長も1月20日、ドイツで開かれた「ウクライナ防衛コンタクト・グループ」というウクライナ支援のための会議で、「今年、ロシア軍をすべての領土から追い出すことは極めて困難」と発言している。
こうした一連の発言から、バイデン政権では、ウクライナへの軍事援助を続けるが、援助には限界があり、クリミアを含めた全面回復は無理だという認識が大勢だと判断される。ただし、ビクトリア・ヌーランド国務次官などは、クリミアは「最低でも」非軍事化されるべきだといった意見を述べており(注7)、クリミアに対する認識には幅があるのかもしれない。
もちろんバイデン大統領はNATO同盟諸国の意向も考慮しなければならない。欧州で大きな発言権を持つフランスとドイツの首脳は昨年5~6月には戦争の外交的解決の必要を訴えていた。今は態度を硬化させたようだが、バイデン大統領が現実論を重視するなら、それに同調する素地はありそうだ。
バイデン政権はウクライナ政策を決めるにあたって議会にも配慮しなければならない。軍事援助を承認するのは議会だ。
その議会はどうなっているかというと、基本的には超党派でウクライナへの軍事援助の継続には賛成している。中には共和党のリンゼー・グラム上院議員のようにF-16戦闘機の供与を求める声もある。
その一方で、軍事援助に賛成しながらもアダム・スミス下院議員(民主党)、マイク・ロジャーズ下院議員(共和党)など、交渉の可能性を探るべきだとの声も出ている。
ロジャーズ議員は下院軍事委員会委員長の要職にあるが、2月1日のポリティコとのインタビューで、戦争を今年夏に終わらせなければならないと強調、そのために米国とNATO諸国が、ゼレンスキー大統領に「勝利がどうあるべきかについて、ある程度圧力をかける必要がある。そうすることによってプーチンとゼレンスキーが今夏に戦争を終わらせるよう交渉の場につくよう促せる」と述べた(注8)。
こうしたバイデン政権や議会の一部から聞こえてくる声と共鳴しているかのような論文が1月に発表され、話題になっている。
▽ランド研究所の話題の論文
ランド研究所(Rand Corporation)は政治的中立を旨とする米国の有力シンクタンク。その研究員のサムエル・チャラプとミランダ・プリービが連名で今年1月、「長期戦争を回避するために(Avoiding a Long War)」と題する論文を発表した(注9)。
2人は、まず米国の利益はウクライナの利益と同一ではないと強調する。その上で、戦争が長期化すれば、ロシアがNATOと直接対決する戦争へとエスカレートする可能性が高まり、ロシアが非戦略的核兵器(つまり戦術あるいは戦場核兵器)を持ち出すかもしれないと指摘する。それを絶対避けるため、西側諸国はウクライナとロシアの双方に話合いに応じるよう後押しすべきだと主張する。
ロシアが核兵器を持ち出さないと高をくくるべきではないと危機感を示し、その理由として、クレムリンがこの戦争をほぼ生死をかけたnear existential 戦いであると見なしていること、そしてロシアの通常戦力がこれまでに相当打撃を受けてしまったことを挙げる。
また、ウクライナが国際的に承認された領土を全て回復して戦争が終結することは極めてありそうにないと論じる。ミリー統合参謀本部議長らの見解と同じだ。
米国は双方に話合いを勧めるべきだと提言、具体的には、まず、ロシアが戦争を続けても成果を出せないと認識させるため、ウクライナへの長期の軍事支援計画を策定することを提案している。第2に、米国は軍事援助にあたって、ウクライナが交渉の席に着くことを条件にすべきだと主張する。妥協論である。
米国にとっては、ウクライナの領土がどうなるかよりも、ウクライナ戦争がロシアとNATOの戦争にエスカレートしないようにすることが第一の国益だと、ゼレンスキー政権が聞いたら怒るだろう論を展開している。
こうした主張に対しては当然、ロシアに報酬を与えてしまうことになるではないか、領土一体性を定めた国際法はどうなってもいいのか、強権国家は何もしても許されるのかといった批判が出る。
もっともな異議ではある。多くの人がそう考える。だから現時点では、米欧日を中心とする諸国では和平論は水平線の向こうのほのかな灯り程度だ。
だが、核戦争になっては元も子もないし、すでにウクライナも相当の犠牲者を出し、国民生活の破壊が進んでいる。
両軍の犠牲者数については、推計が難しいことから様々な数字がある。
ニューヨーク・タイムズ紙が2月2日に報じたところでは、米国、そのほかの西側諸国の政府高官は、ロシア軍の死傷者が20万人近くで、ウクライナ軍も同様だろうとみている(注10)。
これに民間人の犠牲が加わる。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の今月13日の発表では、7199人が死亡、1万1756人がウクライナで負傷した。
それでもウクライナとロシアの双方は角を突き合わせたままだ。これからも人がたくさん死ぬだろう。
最後に仮にウクライナとロシアが交渉再開へ動き出すとしたら、誰かが仲介役を務めなければならず、それが誰になりうるか想像してみた。
米国が直接、ウクライナとロシアに働きかけるとすれば、ロシアについて深い見識を有するバーンズCIA長官が適任だろう。しかしロシアはウクライナに肩入れしている米国人の言うことばかりを聞くわけにはいかないだろう。
そうなると、中国の外交責任者、王毅政治局委員・前外相の顔がちらつく。王毅は先のミュンヘン安保会議に出席、ウクライナ戦争は中国の利益にもならないと述べ、さらに今後とも和平を仲介する努力を重ねると述べた。
彼は18日、ミュンヘンの会議のサイドラインでウクライナのドミトロ・クレバ外相と会っている。クレバ外相は21日のブリュッセルでの記者会見で、王毅政治局委員が、中国が考える和平案の骨子を示したと述べた。その骨子がどのようなものであるかは明らかにされていない。
王毅委員は22日には訪ロし、プーチン大統領とも会い、「建設的役割」を果たしたいと述べた。
習近平国家主席は、時期未定だが4月頃にも訪ロするとみられ、本気でプーチン大統領に交渉を説得すれば、プーチン大統領もそう無視できないかも知れない。だが、仮に習近平主席が和平をプーチン大統領に打診したとしても、バイデン大統領が中国主導の和平案に乗るとは思われない。
ロシアとウクライナが交渉の席に着くことがあるとして、結局は米国、中国さらにほかの複数の国が仲介役として協力、最後は国連主催で会議を開催するという段取りになるのかもしれない。
以下注
(1) Jamie Dettmer, “The West still doesn’t know what winning looks like in Ukraine,” Politico, February 21, 2023.
(2) Isabel Van Brugen, “Joe Biden Offered Vladimir Putin 20 Percent of Ukraine to End War: Report, Newsweek, February 2, 2023.
(3) Yasmeen Abutaleb and John Hudson, “U.S. warns Ukraine it faces a pivotal moment in war,” The Washington Post, February 13, 2023.
(4) Alexander Ward and Paul Mcleary, “Blinken: Crimea a ‘red line’ for Putin as Ukraine weighs plans to retake it,” Politico, February 15, 2023.
(5) William Mauldin, “U.S. Goal in Ukraine: Drive Russians Back to Pre-Invasion Lines, Blinken Says,” The Wall Street Journal, December 6, 2022.
(6) Alexander Ward, Paul Mcleary and Connor O’Brien, “Ukraine can’t retake Crimea soon, Pentagon tells lawmakers in classified briefing,” Politico, February 1, 2023.
(7) “Nuland: US supports Ukraine striking targets in Crimea,” The Kyiv Independent news desk, February 17, 2023.
(8) (6)と同じ。
(9) Samuel Charap and Miranda Priebe, “Avoiding a Long War, U.S. Policy and the Trajectory of the Russia-Ukraine Conflict, ” January 2023. [https://www.rand.org/pubs/perspectives/PEA2510-1.html]
(10) Helene Cooper, Eric Schmitt and Thomas Gibbons-Neff, “Soaring Death Toll Gives Grim Insight Into Russian Tactics, ” The New York Times, February 2, 2023.
和平論は水平線の向こうのほのかな灯り 水面下での接触は始まったが |
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【ロシアと世界を見る眼】戦争1年、外交の出番いまだ――米国内では現実重視の動きも
公開日:
(ワールド)
ウクライナ兵士=Reuters
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小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。
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