ロシアの反政府活動家で昨年8月、毒殺未遂に遭いベルリンで治療、療養していたアレクセイ・ナヴァリヌイが17日、5カ月振りに帰国、当局は直ちに彼を拘束した。彼は長期間服役することになる可能性が高い。ウラジーミル・プーチン大統領はこうして反政府活動家の声を封じ込められるのかもしれないが、内心、「いやな奴が帰ってきたな」と思っているかもしれない。
ナヴァリヌイは今月13日、ツイッターでモスクワに戻ると発表、ロシア当局は驚いたように翌14日、帰ってきたら直ちに拘束するとの声明を出していた。しかし、ナヴァリヌイはこの警告を無視し、戻ってきた。当局は拘束せざるを得なかった。
一方、ナヴァリヌイには、服役したとしても生涯を掛けてプーチン政権打倒をめざし戦い続けるとの決意の強さが感じられる。
▽出頭義務違反という拘束理由
いかにロシアといえども、当局が理由無しにナヴァリヌイを拘束するわけにはいかない。そこで考え出したのが、出頭義務違反だ。
ナヴァリヌイは弟のオレグとともに2008年から2012年にかけてロシア企業2社から3000万㍔(2012年1月の為替相場で約94万㌦)を横領、資金洗浄したという容疑をかけられた。2社のうち1社はフランスの化粧品大手、イブ・ロシェのモスクワ現地法人だったため、「イブ・ロシェ事件」と言われる。
裁判所は2014年12月30日、ナヴァリヌイに懲役3年半、執行猶予5年の判決を下した。執行猶予はのちに1年延長された。弟には実刑が下され、服役した。ナヴァリヌイに対しては執行猶予期間中に月2回、指定された日に連邦刑執行庁に出頭しなければならないという義務があったが、彼はこれをことごとく無視したという。
なるほど、そんな背景があったのかとも思うが、そもそもこのイブ・ロシェ裁判は、欧州人権裁判所で被告人に公正ではなかったと判断されている。
それに刑執行庁が今になって出頭義務違反を問い、身柄拘束に踏み切ったのも腑に落ちない。同庁の説明では、ナヴァリヌイは昨年1月から毒殺未遂事件が起きる8月まで6回も出頭義務を無視した。その間、当局は出頭義務違反を放置し続けていた。
ナヴァリヌイに対しては別途、捜査機関であるロシア捜査委員会(特捜部のような存在)が昨年12月29日、新たに詐欺容疑でナヴァリヌイへの捜査を開始したと発表している。ナヴァリヌイは政治活動やジャーナリストとしての活動のために集めた寄附金5億8800万㍔(現在の為替相場で約820万㌦)のうち3億5600万㍔を、個人的な資産購入や海外旅行経費などに充て、私的目的に流用したという。
従って今後、ナヴァリヌイは執行猶予が取り消されれば、3年半刑務所に入らなければならないし、新たな詐欺事件で有罪となれば、懲役が追加されることが考えられる。
▽ロシアは第二のベラルーシになるか
プーチン大統領はナヴァリヌイを政治の場から完全追放する決意を固めているようにもみえる。だが、その一方でナヴァリヌイの帰国、拘束騒ぎはロシア国内でも報道されていて、ナヴァルヌイの知名度は上がるし、彼を殉教者のようにしてしまえば、反発も高まるかもしれない。クレムリンにとっての問題は、それがどの程度で収まるかだ。
ロシアの隣国、ベラルーシでは26年近くも政権の座にあるアレクサンドル・ルカシェンコ大統領に対し、不正選挙を実施したとの批判を機に、全国的な大規模抗議運動が盛り上がった。プーチンのロシアは第二のベラルーシになるのかだ。
ロシア国民のナヴァリヌイに対する期待度は従来、実はあまり高くなかった。民間の世論調査機関レバダセンターの昨年10月の調査では、直近に大統領選があれば、誰に投票するかとの質問に対し、39%がプーチン大統領と答え、以下、自由民主党のウラジーミル・ジリノフスキー党首(6%)、ゲンナジー・ジュガノフ・ロシア共産党党首(2%)、そしてナヴァルヌイ(2%)だった。
こうした傾向から判断すると、第二のベラルーシが到来するとは思いにくい。好むと好まざるに関係なく、それが今のロシアの現状だ。
ロシアは今年9月に総選挙(下院選挙)を迎える。ナヴァリヌイはこれまでの選挙戦で、政権党である「統一ロシア」以外ならどの党の候補でも後押ししてよいという「賢い投票」運動を展開してきた。この選挙戦略が一定の成果をあげたことは間違いないが、大きな成果をあげたとは言えない。
ナヴァリヌイが今後、長期間、刑務所に入ったとして誰が彼の後を継ぐのかという問題もある。妻のユーリアとの声もあるが、彼女が重責を担えるのか。
しかし、プーチン大統領は国内を抑え込んだからと言って安泰でいられるかというと、そうではない。ナヴァルヌイ拘束に対する反発はロシア国内でよりも米欧で強い。当然、ロシアに対する新たな制裁を求める声が強まろう。
ロシアと米国、欧州の関係は2014年のロシアによるクリミア併合以来、悪化の一途で、昨年8月のナヴァルヌイ毒殺未遂事件がその悪化に拍車をかけた。米欧は次々と対ロ制裁を科してきたが、今回の拘束劇を受け、制裁追加が十分にありうる。
米国では20日にジョー・バイデン政権が発足する。ドナルド・トランプ大統領の対ロ政策は、口では関係改善を匂わせながら、優柔不断で一貫せず、結局は関係悪化が続いた。先月には、米国はウラジオストクとエカテリンブルグの領事館の事実上の閉鎖を決めている。
ロシアに対する厳しい姿勢は民主、共和両党に共通しており、バイデン政権は早々に新議会と協力して制裁追加を検討せざるをえないだろう。
こうした動きはさすがにプーチン大統領にとっても前向きの話ではない。新型コロナウイルス感染拡大の直撃を受け、ロシア経済がよたよたしている時だけに、制裁追加は避けたいだろう。
こうしてプーチンのロシアはますまず対中傾斜を強める。その行き着く先は、自らの意図に関係なく、中国のジュニア・パートナーに成り下がってしまうことだろう。
▽ナヴァリヌイ帰国が誤算である可能性
こう考えると、実はナヴァリヌイの帰国、拘束はプーチン大統領にとっても誤算だったのではないかとも思えてくる。
プーチン大統領は自分に盾突く者を海外に追いやり、無力化するという手法をとってきた。
2003年には有力財界人で政治力も行使し始めたボリス・ベレゾフスキーを英国への政治亡命に追い込んだ。彼は2013年に変死した(自殺の可能性が高いといわれる)。2003年にはロシア第一の富豪で大手石油会社ユーコスの創業者、ミハイル・ホドルコフスキーを逮捕、2013年に釈放するまで刑務所に入れた。彼は結局、英国に逃れ、そこから主にネットを通じ活動しているが、影響力はあまりない。
プーチン大統領はシベリア上空の航空機内で昏睡状態に陥ったナヴァリヌイのドイツでの治療を承認した。ナヴァリヌイが帰国する意思を明らかにすると、刑務所に送ると警告した。帰国させたくなかったとも受け止められる。
ナヴァリヌイがドイツにとどまってくれる限り、ロシア国内で反政府勢力の影響力の拡大の芽を摘むことができるし、米欧による新たな制裁も回避できると読んでいたのではないか。それにとにかく、ナヴァリヌイの拘束劇は内外でクレムリンの評判を落とす。彼を捕まえられてよかったとは必ずしも思っていないのではないだろうか。
ナヴァリヌイ帰国で頭が痛い?プーチン大統領 |
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【ロシアと世界を見る眼】拘束で欧米の制裁追加は必至 コロナ禍で弱い経済にマイナス
公開日:
(ワールド)
CC BY /MItya Aleshkovskiy
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小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。
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