主に米政府発の情報を基に、世界中がロシア軍のウクライナ侵攻はまだか、まだかと気を揉んでいたら、ウラジーミル・プーチン大統領は21日、〝裏技〟を使い、世界をあっと驚かせた。
ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州から成るドンバス地方の中に分離勢力が組織し、独立を宣言していた「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を国家として承認した。両「人民共和国」は2014年のウクライナ政変を機にキエフの中央政府に反旗を翻した親ロ派の分離勢力によって組織されていたが、ロシアもこれまで国家として承認していなかった。
ところがウクライナを取り巻く状況が緊迫化する中、今月15日にロシア下院が、プーチン大統領に国家として承認する権限を与える法を可決した。プーチン大統領は議会からのこの要請を受けて決断したのだが、世界の目は侵攻の有無、その時間に向いていた。
ジョー・バイデン米政権から発せされた警告の中に、国家承認は見当たらず、バイデン大統領自身、虚を突かれた思いではないか。
プーチン大統領の国家承認はウクライナにとっては領土の一体性の侵害だ。2014年には、ロシアはそれまでウクライナの一部だったクリミア地方(およびスパストーポリ市)を併合しており、同じようなことを2度繰り返した。
米欧諸国を中心に日本も加わって制裁が強化されること必定だ。ロシアと米欧との関係は危険水域にまで達し、ロシアは逆に政治的にも経済的にも中国に一段と接近するのだろう。それがロシアとしての国の正しい路線なのか。はなはだ疑問だ。
とりあえずの問題は、ウクライナで戦争が起きるかどうかだ。今後の展開を考える上で重要な論点を整理してみた。
■ロシアはドンバスに兵を送るか
プーチン大統領は21日、両「共和国」の国家承認の大統領令に署名した後、両共和国のリーダーとそれぞれ、「友好協力相互援助条約」を結んだ。こうなると、両「国」からロシア軍の支援を受けたいと要請があれば、それに応えて部隊を派遣できる。
実際、プーチン大統領が署名した大統領令には、「平和維持」のための部隊の派遣を求められた旨が書かれている。
すでにロシア軍部隊がドンバスに入ったとの情報もメディアには流れている。そうであれば、ロシアがいかに「平和維持」をうたってもウクライナに「介入した」ことになる。
この原稿の執筆時点ではまだ要確認だが、その規模、装備がわかると、意図もより鮮明になる。
■ウクライナ軍はどう対抗するか
ウクライナは、これを機に、ドンバスの全面制圧をねらって攻撃を仕掛けるか。ウクライナが兵力を大量動員すれば、ロシア軍も大規模動員し、本格的な戦闘が始まる。逆にウクライナ軍の攻撃が小規模であれば、限定的な戦闘になるだろう。
ウクライナ軍の対応は米欧からどのような支援を受けられるかによっても大きく影響される。しかし、北大西洋条約機構(NATO)軍の直接介入が期待できないことを考えると、限定的な反撃にとどまるのではないか。その場合でも双方の軍に相当な死傷者が出るだろう。
■米国、NATO諸国はどう対応するか
対ロ制裁強化は言うまでもないが、ウクライナに兵を送るのかどうか。ウクライナはNATO加盟国ではないので、NATO第5条に基づいて集団自衛権が発動され、NATO軍がウクライナに入ることはない。
ただし、ウクライナがNATO加盟国でないからといって、米国もそのほかの国もウクライナに直接介入できないわけではない。ウクライナ政府からの部隊派遣要請があれば、介入しても国際法上問題はない。
だが、それは米欧とロシアの全面戦争の可能性を生む。したがって、バイデン大統領自身、従来からロシアがウクライナに侵攻しても米軍が直接介入することはないと明言している。
その代わり、米、そのほかNATO諸国は、兵器、装備の援助を増やすだろう。
■米欧はどのような対ロ制裁を科すか
バイデン政権は21日、さっそく米国人によるドネツクとルガンスクへの投資、貿易を禁止すると発表した。だがこれでは何の対ロ制裁にもならず、今後、米欧、さらに日本も加わって新たな制裁措置を取るだろう。
焦点は、ロシアとドイツを結ぶ新たなガスパイプライン「ノルトストリーム2」事業を止めるのかどうか、そしてもう一つは世界の貿易金融決済システムであるSWIFTからロシアを排除するかどうか。
ノルトストリーム2はバルト海底を通るガスパイプラインで既に昨年末に完成、いまはドイツ当局の稼働認可を待っている。その輸送能力は年550億立方メートルと大量だ。これが稼働しないままお蔵入りになると、ドイツだけでなく、他の欧州諸国のエネルギー確保にも大きな影響を与える。
SWIFTからロシアを排除した場合、西側企業とロシアとの取引に重大な支障が出る。そう簡単に制裁に加えられるとも思えない。
結局、ノルトストリーム2もSWIFTも今は制裁対象にしないのではないか。
■ロシアはドネツクとルガンスクを併合するか
プーチン大統領は21日、ドネツクとルガンスクを国家承認したが、併合、つまりロシアの領土の一部に組み入れたわけではない。国家承認と併合は違う。
ロシアは、2014年にクリミアを併合し、自分の国に入れた。その際、クリミアは一応、住民投票を実施、その結果をふまえてロシアへの編入を申し出た。そしてロシアが受け入れた。今回も同じような手続きが待っているのか。
旧ソ連圏の中には、親ロ派勢力が中央政府から離反、独立を宣言した地方がほかにもある。グルジアの中のアブハジアと南オセチアだ。グルジア軍との戦闘を経て、アブハジアは1992年5月、南オセチアは1994年11月に独立を宣言、ロシアは2008年8月に双方を国家として承認した。しかし、今も併合には至っていない。グルジア軍がその後、矛を収め、両地方が落ち着いていることが影響しているのかもしれない。
従ってロシアがドンバスを併合するとは限らないが、もしそのように行動したら、国際的非難、制裁は一段と強まるだろう。
■国連での予想される議論
すでに国連安保理での応酬が続いているが、クリミア併合の際のやり取りをみると、国連での議論がどう決着するかはある程度想像できる。
クリミアでの独立、併合の動きが顕著になった2014年3月、米欧諸国は独立の前提となる住民投票が実施される直前、安保理にその投票結果を認めないという決議案を提出した。常任、非常任理事国15カ国のうち13カ国が決議案に賛成した。しかし、ロシアが拒否権を発動、否決された。興味深いことに中国は反対せず、棄権した。
その12日後には今度は国連総会がウクライナの領土一体性を尊重しロシアによるクリミア併合を国際法違反だとする決議を審議、採択した。賛成100カ国、反対11カ国、他に58カ国が棄権、24カ国は欠席した。だが、安保理と違って総会の決議には法的拘束力はなく、ロシアはこの決議を無視した。
今回もロシアによるドネツクとルガンスクの国家承認を不当だという決議案が安保理や総会に出されても同じ運命をたどるだろう。
■ミンスク合意は振り出しに
これまでに、ドンバスでの紛争解決のため、関係国がベラルーシの首都ミンスクに集まり、2度合意が成立している。ミンスク合意1および2と呼ばれ、関係者が実施へむけ交渉してきた。
しかし、今回のプーチン大統領の国家承認で、これまでの交渉は振り出しに戻ってしまうだろう。新たな交渉が始められるかどうか、まったく不透明だ。
2014年のドンバスでの大規模戦闘の後、ウクライナとドンバスの分離勢力のリーダー2人が12項目の合意をまとめた。これがミンスク1。
捕虜交換、人道援助の実施、重兵器の撤収などが盛り込まれていたが、双方が合意違反し、まもなく崩壊した。
しかし、フランスとドイツが仲介役となって関係者が再度和平へ交渉、2015年2月、ミンスク2が成立した。ロシア、ウクライナ、OSCE(欧州安全保障協力機構)、それに分離勢力の代表2人が調印した。
即時停戦、重兵器撤収などに加え、外国軍や傭兵の撤収、さらにドネツクとルガンスクの自治権の供与にむけたウクライナ憲法の改正など13項目で合意した。
しかし、これらの合意事項も長年放置されていた。
フランスやドイツはこのミンスク合意の完全履行こそがドンバス紛争を解決する唯一の道だと訴えていたのだが、先行きは見えなくなった。
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【ロシアと世界を見る眼】準備周到のロシア、虚を突かれたバイデン
公開日:
(ワールド)
Reuters
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小田 健:ロシアと世界を見る目(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。
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