世界を見渡して今、主要国が関与し軍事的緊張が最も高まっている地域は、東が台湾だとすれば、西はウクライナということになろう。ウクライナをめぐるロシアと北大西洋条約機構(NATO)諸国の鞘当てが深刻度を増している。
7日には急遽、オンラインでジョー・バイデン、ウラジーミル・プーチン両大統領の首脳会談が開かれ、対応を協議する。事態が切羽詰まっていることを物語る。
ロシア軍がウクライナ国境近くで兵力を増強しているとの情報は、先月(11月)中旬頃から米国のメディアで報じられ始めた。同20日には、ウクライナの軍事情報機関である国防省情報総局(GUR)のキリロ・ブダノフ長官(准将)が、米国のミリタリー・タイムズ紙との会見で、ロシア軍がウクライナとの国境付近に9万2000人の兵力を集結、来年1月末から2月末までに侵攻する準備を進めていると述べた。
この情報に呼応するように、3日付けワシントン・ポストは、ロシア軍が来年初めにも17万5000人を動員してウクライナに攻め込む計画を立てていると伝えた。米情報機関と政権関係者からの情報だ。既に現時点でウクライナとの国境近くに7万人が集結しているという。7万人はウクライナが言う9万2000人とは異なる数字だが、大幅増強に違いはない。
バイデン政権からはこのところロシアに対する警告が相次いでいる。
アントニー・ブリンケン米国務長官は1日、NATO外相会議が開かれたラトビアの首都、リガで記者団に対し、米ワシントン・ポストのコラムニスト、デービッド・イグナチウスの1日の記事によると、米中央情報局(CIA)はロシア軍が既に10月にウクライナ国境近くに兵力を増強、さらにロシア軍がウクライナに侵攻する秘密計画を作成したことを察知していた。この情報がジョー・バイデン政権内で共有され、さらに欧州諸国にも伝えられたという。
ウイリアム・バーンズCIA長官が11月初めに急遽、モスクワを訪問した。イグナチウスが明らかにした情報と関係があるのかもしれない。
しかし、ロシア側はこうした兵力増強情報を否定している。ブダノフ長官情報が流れた直後の先月22日、ロシア対外情報庁(SVR)は異例の声明を出し、増強情報はウソだと明言、それどころか、ウクライナ軍が同国東部のドンバス地方近くとベラルーシとの国境近くで兵力を増強していると指摘した。
ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官も1日、ウクライナ軍12万5000人がドンバス近くに展開していると述べた。報道官はロシア軍の増強に触れなかったが、ウクライナ軍の増強を指摘することで、それに対抗していると言いたかったのかもしれない。
こうした情報合戦による緊張の高まりは元をたどると2014年のウクライナ政変に端を発した内戦とロシアによるクリミア併合に行き着く。
この政変ではロシアとの関係も重視していたビクトル・ヤヌコービッチ政権が倒れ、親西側路線を標榜する政権が誕生、危機感を抱いたロシア語系住民が多く住む東部のドネツク州とルガンスク州(両州を合わせてドンバス地方という)が独立をめざして蜂起、内戦が始まった。また別途、この機に乗じて、住民投票による同意という手続きを口実にロシアはクリミア地方を併合した。
以来、ウクライナそしてウクライナを支援するNATO諸国とロシアが対峙する構図が定着した。今年4月には今回同様、ロシア軍が国境地帯に大規模に集結したといわれ、一触即発と思われるような事態が出現した。その時の緊張は6月のジュネーブでのバイデン・プーチン会談を経て一応収まったのだが、ロシア側からみると、最近、NATOによる挑発行動が相次いだ。
英国海軍駆逐艦が夏、黒海のクリミア沖を航行、最近では米国の戦略爆撃機が先月、ロシア国境から20キロの空域を飛行したというし、10月末にはウクライナがNATO加盟国のトルコから提供されたバイラクタル・ドローンで親ロ派勢力が守るドンバスを攻撃した。
米国はウクライナへの軍事援助も着々と進めてきた。今年3月、沿岸警備艇やレーダー施設など1億2500万ドルの援助を発表、6月には新たにレーダー、通信機器など1億5000万ドルの軍事支援を追加した。米国のウクライナへの軍事支援は2014年以来、25億ドルに上り、軍事顧問も派遣されているようだ。
ロシア軍の増強は、論理的にはプーチン大統領による国内統治が揺らいでおり、国民の関心を外に向けるためだという見方があり得る。だが、それは的外れだろう。
経済が混乱するとか、新型コロナウイルス感染対策が不備で国民の不満が高まっているという話は特に聞かない。プーチン支持率は安定し、下がる傾向はみられない。
兵力増強の最大の意図は、プーチン大統領が言う「レッドライン」、つまりロシアとして見過ごせない一線があることをNATO諸国に警告することにあるのだろう。
プーチン大統領はこのところ、しきりにロシアにとっての「レッドライン」に言及している。
例えば、先月18日、外務省幹部を集めた会合での演説で、ウクライナ周辺での米欧諸国の軍事的動きを批判、「レッドラインを伝えてきたが、彼等はその警告を見くびっている」と述べた。その後も30日のモスクワでの投資フォーラム、今月1日に信任状を提出しにやってきた10カ国の大使との面会の場でもレッドラインに言及した。
これらの発言から判断すると、レッドラインとは、前述したウクライナ周辺でのNATO軍の動きを踏まえ、ウクライナのNATO加盟などNATOの東方拡大、NATO軍のウクライナ駐留・基地設置、NATO軍の弾道ミサイル配備を指すとみられる。
プーチン大統領は先月30日、モスクワでの投資フォーラムでレッドラインとは何かと聞かれ、「モスクワに7~10分で到達するような攻撃システム、それが超音速システムなら5分で到達するが、そうしたシステムをウクライナ領内に配備することが問題だ」と述べた。
1962年にソ連がキューバに核ミサイル基地を建設、米国がこれを阻止しようとしてキューバ危機が起きたが、プーチン発言はそれを想起させる。
バイデン大統領は3日、「だれがレッドラインを口にしようと、受け入れない」と反発、両者は折り合いそうにない。
こうして、ロシア軍が来年早々にもウクライナに全面的に侵攻することは不可避のようにも思えてくる。だが、米欧でもロシアでも軍事や外交の専門家の間では、その可能性は現時点では高くないという見方が結構多い。
プーチン大統領が言うレッドラインであるウクライナのNATO加盟やウクライナへの攻撃ミサイルを配備するという話は今の時点で現実味を帯びていないからだ。
また、専門家でなくても、ロシア軍が当初、ウクライナ軍を圧倒できても、中長期的にはパルチザン闘争を覚悟しなければならないことは推察できる。死者は当初の戦闘が一段落した後も増え続ける。
それにプーチン大統領は、少なくとも米欧諸国による経済封鎖に直面する。従来のような限定的な経済制裁では済まない。市民生活が困窮し、政権批判が高まるのは目に見えている。
国際的孤立も深まるだろう。中国やベラルーシでさえも積極的支持を打ち出すかどうか疑問だ。
こうして合理的に考えれば、今この時期にプーチン大統領がウクライナに全面侵攻を決断する可能性は低いとみるのが妥当だろう。
ドミトリー・メドベージェフ前大統領・現安全保障会議副議長は10月11日、ロシアのコメルサント紙に寄稿、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー政権とは交渉しても意味がなく、もっとまともな指導者の登場を忍耐強く待とうと主張した。これは裏を返すと、ロシアはウクライナに対して軍事侵攻を含め何もしないことが最良の政策だと言っているようにも思える。
とは言え、ウクライナをめぐる情勢を決して軽視できないのは、仮にNATOがウクライナを支援して直接介入すれば、第3次世界大戦に発展する可能性を孕んでいるからだ。
ウクライナはNATO加盟国ではないから、NATO諸国に集団防衛義務はない。また米欧の市民の多くが遠く離れたウクライナを救うためロシアと戦争することを支持するかどうかも疑問だ。
それに米国は東で中国と対峙している。ウクライナに直接介入すれば、アジア太平洋地域での軍事戦略に支障がでることも考えられよう。
こうして米欧側にも今ロシアとコトを構えることを避けたい理由がある。
1つ注意しなければならない動きがウクライナ側にある。ウクライナ軍の中に極右勢力が浸透、彼等がドンバスの親ロ勢力を本格的に攻撃する可能性がある。
今年10月、ウクライナ軍参謀総長のアドバイザーに極右団体「ライトセクター」のリーダー、ドミトロ・ヤロシが就任した。ドンバス近くの前線には極右、ネオファシストの部隊が参加しているという。彼等が先走りして攻撃を仕掛ければ、ロシア軍は親ロ勢力を支援せざるをえないとも言う。その場合でもドンバスでの限定戦争になる可能性が高いのだが、それをきっかけに事態が重大化する恐れも否定できない。
緊迫ロシア・ウクライナ 露軍増強はNATO拡大をけん制? |
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【ロシアと世界を見る眼】CIAがロシアの侵攻計画を察知 長官訪露はそのためか
公開日:
(ワールド)
Reuters
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小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長)
1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。
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