ナショナリスト戦士の話をつづけよう(前回コラム)。
2014年2月のマイダン革命後、急進派のナショナリスト幹部も加わった新政権がまずおこなったのは、ロシア語を公用語とする法律の廃止だった。
この決定に、南部や東部に多かったロシア系住民が反発し、私がキーフを訪問した2014年4月には、すでに黒海の港町オデーサやアゾフ海に面するマリウポリなど、国内のあちこちで暴動が起きていた。ロシア国境に近いドンバスでは、ドネツクとルガンスクの一部住民が自治を要求して人民共和国の樹立を宣言した。
彼もナショナリスト民兵団に加わって、ドンバスへ赴き、親ロシア派の武装勢力と戦っていた。首からさげたロケット・ペンダントには、名前と連絡先を記した紙片が入っていた。
民兵団の多くはクラウドファンディングで戦費を募った。北米やヨーロッパに住むウクライナ移民のネットワークがそれに応えた。
東部ウクライナにおける長い内戦は、こうしてはじまるのだ。マレーシア航空機が撃墜されたのはその夏の7月のこと。欧米諸国は横一線の対ロ制裁網を張った。
その後、ウクライナ国内には、アメリカ軍とイギリス軍による「訓練センター」や「演習場」がいくつもできた。西部のリヴィウ郊外には数百人の米軍教官が駐在していたことも知られている。NATOに加盟はしていなかったが、事実上の軍事支援がおこなわれた。
新型コロナ禍まえの2019年9月、私は数年ぶりにキーフを訪問した。
この連載の第一回でも書いたように、マイダン革命から5年以上が過ぎたこの街で、多くの市民はロシアにすっかり背を向けて、西のEU(欧州連合)の方を向いていた。東へ600キロほど離れたドンバスでは、親ロシア派武装勢力との衝突が散発的につづいてはいたが、それでも人々はビザなし入国を利用して、ヨーロッパへ自由に出入りできることを心底楽しんでいるようだった。
私の友人たちのなん人かも、中東やヨーロッパへ出稼ぎにでかけていて不在だった。
彼は一週間ドンバスで戦って、次の一週間を家族とともにキーフでのんびり過ごす生活を送っていた。ロシアのノボシビルスク出身の奥さんは、シベリアで暮らす両親とは久しく絶縁状態らしかった。ふたりのあいだには可愛らしい娘さんが生まれていた。
“勤務明け”の郊外で、建築中のカントリーハウスを案内してくれた。
「コサックは自由を求める人々です。ロシアには愛想が尽きました」
彼は、頭髪をコサック流の伝統的なモヒカン刈り(ロシア語で“ホホール”と呼ばれる)にしていた。
ロシアの桎梏から逃れて自由になる。ウクライナの人々の意思を武力でねじ伏せる権利はプーチン大統領にはないはずである。ウクライナの人々にとって不条理な戦争はつづく。
侵攻の3年前、「ロシアには愛想が尽きた」と彼は言った |
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【ロシア・ウクライナ戦争(5)】ロシアの桎梏から逃れて自由になる
公開日:
(ワールド)
アゾフ連帯の義勇兵=ccbyMyNews24
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西谷 公明(エコノミスト 元在ウクライナ日本大使館専門調査員)
1953年生、長銀総研を経て1996年在ウクライナ日本大使館専門調査員。2004ー09年トヨタロシア社長。2018年N&Rアソシエイツ設立し、代表。著書に『ユーラシア・ダイナミズム』『ロシアトヨタ戦記』など。岩波書店の月刊世界の臨時増刊「ウクライナ侵略戦争」で「続・誰にウクライナが救えるか」(2022年4月14日刊)を執筆。2023年1月に『ウクライナ 通貨誕生-独立の命運をかけた闘い』(岩波現代文庫)を刊行予定。
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