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バイデンの中東政策 イラク、アフガンから徐々に撤退

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【世界を読み解く】鈴木敏郎・立命館大学教授(元中東3か国大使)に聞く

公開日: 2021/02/17 (ワールド)

鈴木元大使(撮影ソクラ) 鈴木元大使(撮影ソクラ)

井出 敬二 (ニュースソクラ コラムニスト)

 2001年の「9.11」から20年、2011年の「アラブの春」から10年が経ち、トランプ政権の4年間を経て、中東は大きく動いている。地域の各プレイヤーが独自の動きをしている中で、バイデン大統領はどう対応するのだろうか。外務省の中東専門家として、中東局長、駐イラク、シリア、エジプト大使を務めた鈴木敏郎・立命館大学特別招聘教授に聞いた(編集・文責井出)。

―バイデン大統領の中東政策はどうなるか?

 今までのところ、バイデン政権はイランとの核合意への復帰やイエメンの内戦への支援をやめるという方針などを示唆しているが、中東政策の全容については詳説していない。

 基本的にはオバマ政権時代の中東政策の方向に戻ると考えられる。イラク、アフガニスタンなどからの撤退を含むリバランスを継続するが、同時に湾岸地域における中央軍や第5艦隊などの米軍の基地を維持して地域情勢にらみを利かせながら、必要に応じて費用対効果の高い関与を目指すのではないだろうか。

 また、人権重視などリベラルな価値観が政策に反映されるだろう。

―トランプ政権は、在イスラエル米国大使館をエルサレムに移転し、また占領地への入植を認めたが、バイデン大統領はどうするか?

 イスラエルへの経済・軍事協力は常に米国の中東政策の重要な柱のひとつ。バイデン政権がイスラエルに傾斜したトランプ政権の政策をどうするのかはまだわからないが、例えば、エルサレムをイスラエルの首都と認めた決定を覆すのが難しいとしても、「エルサレムの地位は最終的にはイスラエルとパレスチナ交渉によって決められるべきことだ」ということを主張するのではないか。

 なお、イスラエルの占領地への入植は、(トランプ政権までの)歴代の米国の政権はこれを非難したが、結局阻止できなかった。米国におけるユダヤ・ロビーや福音派キリスト教徒の存在もある。トランプ政権の政策はそうした流れの延長にあったといえなくもない。他方で、占領地が70万人もの入植者が居住し、分離壁などで分断されて久しいなど、パレスチナ人が置かれた状況は厳しい。

―今年は「アラブの春」10年だが、「アラブの春」とは何だったのか?

 現在の中東情勢を形成するうえで大きく影響したのは2つの出来事だった。

 第1は、2001年の同時テロ以降の米国によるテロとの戦い。

 第2は、2011年の「アラブの春」だ。これは、人々が政治参加や社会生活についての長年鬱積した不満を支配者にぶつけた異議申し立てだった。あれだけの広がりと規模で抗議運動が展開したのは前代未聞だった。

 革命的な展開だったが、現在改めて見直してみると、地域の統治システム自体を変えたかといえば必ずしもそうではなかったといえよう。

 「アラブの春」の発端となったチュニジアでは、ベン・アリ大統領が国外に逃亡し、強権的な支配は崩れたが、そのあと、既存の諸政党勢力の組み換えが進行して新たな政権が作られていった。

 湾岸産油諸国では、バーレーンでの抗議デモの制圧はあったが、基本的に経済的な融和策を発動して現状が維持された。

 エジプトは、ムバラク政権が倒れた後、軍の最高評議会の監視のもとで民主化プロセスが進んでモルシー政権ができたが、1年後に軍の介入によって排除された。この政変を主導したエルシーシ将軍が翌年大統領に就任して現在に至る。

 シリアは市民の抗議運動は内戦に発展したが、アサド政権は支配地域の縮小を余儀なくされながらも権力基盤を維持し、現在ロシアとイランの支援を得て力を回復しつつある。

 しかし、「アラブの春」が提起した社会的な閉塞感や政治的な抑圧といった課題は存在している。早晩何らかの形で再発せざるを得ないのではないだろうか。石油収入による息継ぎの余地も限られていくであろうし。

―イスラーム原理主義、イスラーム過激主義、ムスリム同胞団、アル・カイーダとは何か?

 ちなみに、現在はかつての「イスラーム原理主義」ではなく、「イスラーム主義(イスラミズム)」という概念が使われる。

 今日のイスラーム主義は、中東世界が西洋的な近代化を進める際にイスラームとの整合性が問われた19世紀以来の問題意識に由来している。つまり西洋的近代化はイスラームに照らして正しいのか、イスラームに基づく近代化はどうあるべきか。という問いかけである。

 このイスラーム主義の現代における展開では、とりわけ、ムスリム同胞団とサウディ・アラビアのワッハーブ主義が重要な役割を果たしたといえる。

 ムスリム同胞団は上述の19世紀来のイスラーム主義の流れの中から出てきた。エジプトで1928年に設立され30年代以降急速に発展した。当時のエジプトが英国からの独立と王制と議会の確執などで政治が混沌とする中で、一般市民にたいする慈善、教育活動などを通じて社会に浸透していった。

 また、政治的にはイスラームによる改革を標榜し議会政治に参画し中東各地にも影響力を伸ばしていった。エジプトでナセル大統領(1918~1970)により弾圧、非合法化されたが、その中からサイイド・クトゥブ(1966年に処刑)のように強烈な排外主義思想が生まれ、これが後のジハード主義思想の形成に影響を与えることとなった。他方でムスリム同胞団自体は議会への参加などを通じて平和的な行動を追求していくことになる。

 ワッハーブ主義は18世紀にアラビア半島に起こった保守的なイスラーム改革思想で、サウード家の軍事力と提携して勢力を拡大していった。サウディ政府は1980年代以降、中東内外へのワッハーブ主義の普及を促進した。

 1979年にアフガニスタンに侵攻したソ連に対するムジャーヒディーンの抵抗活動には中東各地からの多くの支援者が集結したが、ここから多くのジハード主義者が出現していった。オサマ・ビン・ラーディン(1957~2011)はそのひとりで、サウディ・アラビアの財閥の出身であった。

 ジハード主義は暴力の連鎖と社会の荒廃を招いたが、イスラームに基づく社会発展はどうあるべきかというイスラーム主義の問いかけは続いている。

―スンニー派(サウジアラビアなどの多数派)とシーア派(イランなど)は対立しているのか?

 スンニー派とシーア派は、預言者ムハンマドの後継者のあり方についての思想が異なるが、イスラームの教え自体については大きな違いはない。

 シーア派はアブ・バクルに始まる正統カリフ以降の承継の正当性を認めずに、ムハンマドの従弟アリー(第4カリフ)とその血統のなかに現れた指導者をイマームとして尊崇し、幽隠した最後のイマーム(マフディ)が、この世の終りに再臨すると信じる(12イマーム派)。これに対して、イマームのような神秘的な指導者ではなく、預言者の慣行(スンナ)に従うとする多数派が後にスンニー派と呼ばれるようになった。

 なお、ホメイニ師(1902~1989)がイラン革命で実現した「法学者の統治」はシーア派の主流の思想というわけではなかった。

 スンニー派とシーア派は通常は平和的に共存してきた。例えば、バグダッドでは同じ親族の中に両派が混じっている例も少なくない。両派の対立が取りざたされるのは、宗教的な理由というよりそれ以外の政治的或いは社会的原因に由来することが多い。

 ―サウディ・アラビアとイランの対立は、スンニー派とシーア派の宗派の違いからくるのか?

 サウディ・アラビア等アラブ産油国とイランの対立は、イラン革命の際にホメイニ師が革命の輸出を示唆したことが発端だった。湾岸アラブ産油国はシーア派住民の多い地域に対してイランが影響力を及ぼす可能性などを懸念するようになった。

―サウディ・アラビアのムハンマド・ビン・サルマーン皇太子(MBS)をどう見ているか?

 MBSは王室内の対抗者を強引に抑え込む形で皇太子に昇格し、かつ事実上国政の全権を掌握した。これを宮廷クーデターだったと評する人もいる。また、ハイテク都市開発や女性の運転や映画等の娯楽の承認などの斬新な近代化施策などを打ち出し、また、イエメンへの軍事介入(2015年~)を主導した。このように野心的な政策を進める一方で、強権的な統治を実施している。

 「アラブの春」以降の地域の混乱や、米国の中東政策の転換、或いは石油収入の将来展望の変化といったサウディ・アラビアを巡る環境が変貌しつつあるなかで自国の進む方向を強力に指導しようとしているようにみえる。

 しかし、イエメンへの軍事介入はうまくいっていない。また、王室内部の力学、ワッハーブ派との関係がどうなっていくのかなど、詳らかでないことが多い。

―最近のトルコについてどう見ているか?

 トルコは「アラブの春」までは「ゼロプロブレム外交」を唱えて、近隣諸国と良好な関係を積極的に構築しようとしていた。

 しかし「アラブの春」以降、トルコにとっての国際環境は大きく変わった。それは、アサド政権との対立、シリア難民の流入、シリアのクルド勢力の展開、露、米との軋轢などシリア内戦を巡る様々な問題を見ても明らかである。

 エルドアン大統領が強権的になったと批判されるが、トルコとしては流動的な国際環境に対処すべく独自の対外政策を探求しているとみるべきではないか。

―イラク、シリア、エジプトの3カ国で大使として勤務された時は?

 私がイラクに大使として赴任したのは2004年9月だが、その前年に米のイラク侵攻があり、その後の連合国暫定当局(CPA)による占領統治も終了していて、イラク人の暫定政府に主権が移行した直後のタイミングだった。

 当時のイラクは中部のアンバール県や首都バグダッドで治安が悪化していた。その背景は、米によるイラク軍の解体、バース党の追放や、フセイン政権に抑圧されていたシーア派、クルド人の勢力の伸長があった。

 当時の日本大使館は、米軍などが防衛するいわゆるグリーンゾーンの外のバグダッド市内にあり、コンクリート防護壁や民間武装保安組織による厳重な警護措置がとられていた。市内では路上爆弾や車載爆弾、襲撃などのテロ行為が連日頻発しており、イラク政府との会合などに向かう時は綿密な警戒措置を講じた上で防弾車両のコンボイ体制で動いた。

 日本政府としては2003年11月の外務省の同僚の奥克彦大使と井上正盛参事官の殉職を踏まえて、二度と犠牲者を出さない覚悟であった。当然、食事などでの市内への外出は厳禁であった。

 2004年に暫定国民議会選挙が行われ、2005年憲法が制定され、正式の国民議会選挙が行われ、2006年5月にイラク政府が成立した。

 しかし治安の悪化は進み、2006年3月にシーア派の聖地のアスカリーヤ廟がアル・カイーダ系のテロで破壊される事件が起き、これを機にスンニー派とシーア派の内乱に発展した。私はちょうどこの頃離任することになっていて、タラバーニ大統領から送別夕食会に招かれていたが、その前日に前述のテロ事件が発生したため、急遽取りやめになった。

 イラクではシーア派が多数派を占め、政権を主導した。スンニー派とシーア派の内乱は、スンニー派の一部がアル・カイーダ系のテロ組織と袂を分かって米軍と協力したので、2年後に収拾に向かった。しかしスンニー派住民は国軍や治安部隊への参画を十分に認められなかった。このアル・カイーダ系組織は後にISISに転換するが、ISISのモスル占領(2014年)の背景には、スンニー派住民の疎外があった。

 イラクでは新たな政治制度ができたことは評価できるが、スンニー派、シーア派、クルド人の間の確執、国軍の整備の遅れ、民兵組織の政治勢力への展開などの問題はまだ残っている。

 私はシリアには2010年9月に着任した。シリアでの住民の抗議活動は2011年春から始まった。2012年春にはアル・カイーダ系の活動が顕著になったので、日本大使館を一時閉鎖し、隣国ヨルダンに避難し、そこで仕事を続けた。

 日本政府は欧米政府と共にアサド政権への外交的圧力を加えたが、逆にシリア政府から米欧大使とともに自分はペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)に指定された。そのため日本に帰国せざるを得なかった。

 シリアでは現在アサド政権が政治的に挽回しつつあり、反体制派は北西部のイドリブ地域を最後の砦としている。アサド政権は住民に化学兵器、バレル爆弾を使用し、国土は荒廃し、シリアの人口の半分にあたる600万人の国内避難民、550万人の難民が発生した。

 シリアが復興できるのか、アサド政権の下でそれが可能か、全く見通せない。

 私がエジプトに着任して、2013年6月に信任状捧呈をしたのは、自由公正党(ムスリム同胞団)のモルシー大統領にであった。その2週間後、政変によりモルシー大統領は逮捕された。抵抗していたモルシー支持派数百名から千名が、治安部隊により殺害された。

 現政権は、モルシー政権の独裁化に反対する広範な市民が軍の介入を求めたと説明する。確かに、モルシー政権に政治的経験不足からくる種々の過誤があり、また、前年の憲法制定に際して司法当局の介入を排除した大統領令の発出は独裁的との非難を招いた。他の政治勢力からすれば、ムスリム同胞団に組織力で対抗できる政党がなく、選挙でモルシー政権に対抗することは難しかったという事情はあっただろう。

 現在のエルシーシ大統領は、2期目に入り、議会で自党が安定的な多数を確保しており、憲法改正で大統領権限強化、長期政権をにらんでいる。治安安定、経済浮揚、社会発展の実現が課題。サウディ・アラビアなどの湾岸諸国からの支援の動向も重要だ。
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井出 敬二(ニュースソクラ コラムニスト)
1957年生まれ。1980年東大経済学部卒、外務省入省。米国国防省語学学校、ハーバード大学ロシア研究センター、モスクワ大学文学部でロシア語、ロシア政治を学ぶ。ロシア国立外交アカデミー修士(国際関係論)。外務本省、モスクワ、北京の日本大使館、OECD代表部勤務。駐クロアチア大使、国際テロ協力・組織犯罪協力担当大使、北極担当大使、国際貿易・経済担当大使(日本政府代表)を歴任。2020年外務省退職。著書に『中国のマスコミとの付き合い方―現役外交官第一線からの報告』(日本僑報社)、『パブリック・ディプロマシー―「世論の時代」の外交戦略』(PHP研究所、共著)、『<中露国境>交渉史~国境紛争はいかに決着したのか?』(作品)、”Emerging Legal Orders inthe Arctic - The Role of Non-Arctic Actors”(Routledge、共著)など。編訳に『極東に生きたテュルク・タタール人―発見された満州のタタール語新聞』(出版に向け準備中)
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