ブレクジットの影響は経済面に加え、政治外交面でも大きい。ドイツの責任と負担が増大する。ドイツは戦後、その反省に立脚し隣国と和解し、南東欧を支援し、同時にドイツ商品を売れるEUという仕組みを作った。しかし英国がEUから離脱したのは、ドイツの責任だとの声すらある。EUはなぜこのような状況になり、今後どうなるのだろうか。
▼そもそも、なぜブレクジットが起きたのか?
ブレクジットの原因は、移民政策、テロ政策、更には富裕国から貧困国への資源の移転などEUのあり方(それはある程度ドイツのやり方だと信じられている)に対して英国で不満があったことである。
フランスの経済学者トマ・ピケティ(『21世紀の資本』の著者)は、英国で欧州懐疑主義者を勢いづかせた理由の一つとして、メルケル首相のEU政策、難民政策を挙げている。ピケティはドイツが貿易黒字をため込み、教師のように他国を指導し、利己的だったから、欧州の危機と英国の欧州懐疑主義を助長させたとドイツを非難し、ブレクジットを「政治的災害」と表現した(参照ⅰ)。
確かにユーロ導入後、ドイツ経済はEU圏内でほぼ独り勝ちである。(もっとも英国は、ドイツだけでなくフランスに対しても不満を持っており、ピケティもその点も少しは認めているが。)
しかしドイツは戦後一貫して欧州近隣国との和解を増進してきた筈であった。どこで何がおかしくなったのだろうか?
▼ブレクジットの原因と影響:その経済面
もともとEUは関税同盟というモノの貿易の域内自由化(そして対外共通関税)がスタートだったが、様々な政策(富裕国から貧困国への援助、国境の開放によるヒトの移動・滞在の自由化、ルール・制度の調和、欧州規模の司法制度、通貨ユーロなど)が付加されて、全体の制度と管理が複雑になった。
英国は、自国の主権が制約されない本来の姿に戻りたいということで、EUから離脱することとしつつ、自由貿易継続には合意した。
英国がEUから去る結果、EUの重心は相対的に貧しい国の多い南東方に移動する。ドイツ及びその他の富裕国(「倹約家の4カ国」と呼ばれるオーストリア、スウェーデン、オランダ、デンマーク)(=EU予算に貢献している)の声はEUの中で、英国がいた時に比べ小さくなる。中東欧は失業率も高く、腐敗の問題もまだある。若者は自国で仕事が無いため、ドイツや英国に出稼ぎし、移住してしまう。EUからの経済支援に強く期待している。
COVID-19対処のための復興基金(7500億ユーロ規模)への資金拠出にドイツも応じざるを得なかった。もし英国がEUにとどまっていたら、復興基金設立の合意はなかったかもしれないとの見方もある(参照ii)。
南東方諸国の中には権威主義的志向を強め、中国との連携を強化する傾向もあり、更にドイツの和解政策と不協和音を奏でる向きもある。ギリシャではドイツに戦争賠償を要求すべきとの声があがった。
復興基金の利用に「法の支配」の徹底を結びつけることにポーランドとハンガリーは抵抗したものの、受け入れる形で妥協が成立した。ポーランドでEU脱退の主張まで現れてきたが、国民はEU加盟の経済的利益を理解している。逆に言えば、ポーランドをEUにつなぎとめるに経済支援の継続は必要不可欠である。
米国バイデン新大統領がEUとのFTA(TTIP)交渉を再開する場合、EU側で自由貿易を擁護していた英国がいなくなったので、ドイツは、保護貿易を主張する他国の声にひっぱられることになる。
▽ブレクジットの原因と影響:その政治・外交面
EUは共通の難民政策を定めていたが、ドイツとそれ以外の諸国との間では見解が分かれ、メルケル首相の難民危機対応は、多くのEU諸国からの反発を招いた。英国は共通の難民・移民政策から離脱することを選んだ。
EUは政治・外交面で様々な挑戦に直面している。2014年のウクライナ危機、2015~16年の欧州難民危機(その背景には中東、アフガニスタンなどの不安定な情勢)とテロ対処があったが、これらの問題は基本的には解決していない。
ブレクジット後、英国はEUの外交政策決定に当然参加しないし、EUが保有している機密情報に自動的にリアルタイムでアクセスできなくなる。(但しいわゆるPNR(航空旅客のデータ)などはEU離脱後も英国当局は共有できる。)
情報共有は、テロ、組織犯罪対処にあたり死活的に重要である。EU諸国が発展させてきた法執行機関、インテリジェンス機関間の協力にも英国は自動的に参加できるわけではなくなる。英国はEUと協力の合意を結ぶ必要があるが、合意締結は双方の利益になる。今回も機密情報共有に合意されたと報じられている。
英国は、ヨーロッパと米国とをつなぐ要として、EUとNATOの棲み分けを図り、双方の実効性を高める役割を果たしてきた。ウォルフガング・イッシンガー・ミュンヘン安全保障会議議長(元ドイツ外交官)は、英国が欧州防衛協力の強化に反対してきたので、ブレクジットにより欧州防衛協力が進展することに期待すると述べた。
またドイツも他の欧州諸国も国防費を増やすべきと述べたことがある(参照ⅲ)。欧州による防衛といった考えが強まれば、不可避的にドイツの負担が増えてしまう。
メルケル首相の外交顧問のクリストフ・ホウスゲンは、「英国がパートナーでなくなれば、EUはこれまでの重みをもち続けることはできない」と述べている(参照iv)。
▽結論
英国にとり「孤立」は名誉で誇り高いものかもしれないが、英国もブレクジットから失うものは少なくなく、今後の外交戦略を構築する必要がある。
ドイツにとっては欧州諸国との連帯と共同利益の増進こそが、戦後の政治思想の出発点であり、戦後西ドイツの初代首相アデナウアー以来、ドイツの政治的アイデンティティの拠り所であった。(シュミット首相は、この思想に立脚して、日本に対して「近隣国と和解せよ」と常に語っていた。)
ドイツ国内では「ドイツの選択」が移民問題のために影響力を持ち、これまでのドイツのEU政策(たとえばドイツのEU経費負担)にも疑問を投げかけるようになった。
近隣の中東欧諸国は必ずしも政治信条をドイツと共有してくれていない(それはそれぞれの国にそれぞれの事情がある以上、当然でもある)。
ブレクジット後、このようなEUをまとめていくことは、ドイツにとり益々大きな負担と挑戦となる。
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i “Brexit: Piketty et les libéraux accusent Merkel”、 Le Monde、2016年7月5日
ii “The EU’s recovery fund is a benefit of Brexit”、 Economist、 2020年5月30日
iii Economistインタビュー、2017年5月30日
iv “Berlin’s Brexit Blues”、 Foreign Affairs、 2016年6月22日
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(ワールド)
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井出 敬二(ニュースソクラ コラムニスト)
1957年生まれ。1980年東大経済学部卒、外務省入省。米国国防省語学学校、ハ
ーバード大学ロシア研究センター、モスクワ大学文学部でロシア語、ロシア政 治を学ぶ。ロシア国立外交アカデミー修士(国際関係論)。外務本省、モスク ワ、北京の日本大使館、OECD代表部勤務。駐クロアチア大使、国際テロ協力・ 組織犯罪協力担当大使、北極担当大使、国際貿易・経済担当大使(日本政府代 表)を歴任。2020年外務省退職。著書に『中国のマスコミとの付き合い方―現 役外交官第一線からの報告』(日本僑報社)、『パブリック・ディプロマシ ー―「世論の時代」の外交戦略』(PHP研究所、共著)、『<中露国境>交渉史 ~国境紛争はいかに決着したのか?』(作品社)、”Emerging Legal Orders in the Arctic - The Role of Non-Arctic Actors”(Routledge、共著)など。編訳に『 極東に生きたテュルク・タタール人―発見された満州のタタール語新聞 』(2021年出版予定)。 |
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