私が北京の日本大使館で公使を務めていた当時(2004年~2007年)、秦剛・新外交部長は、中国外交部報道局の副局長であった。当時の報道局は、局長が劉建超氏(現在は中国共産党対外連絡部部長の要職にある)であった。日本大使館で報道担当だった私は、報道局の面々とはよく付き合っていたが、それは愉快な思い出として残っている。
当時も日中関係は色々波乱があった。でも時には、北京市内の外交部の施設を使って、報道局、日本大使館、在北京日本人特派員らによる懇親スポーツ大会もやったりした。日中両国の外務省の報道官の交流もしていた。
私の仕事は、外交部報道局の記者会見の言い方に問題があると感じた時に、説明することであった。立場の違いはあるのだが、彼らは聞く耳を一定程度はもってくれていた。また直接、中国のマスコミに説明もした。誤解されることもあり、誠にチャレンジングな仕事であった。
安倍総理の訪中(2006年10月)、胡錦濤主席の訪日(2008年5月)、温家宝総理の訪日(2010年5月)など、当時はだんだんと日中関係がよくなりつつあった。そのような上向きの雰囲気の中で、報道面でお互いを紹介する機会も増えて、報道局との交流も緊密になっていた。首脳交流をすることは、中国で、そのような首脳交流を正当化する必要があるので、報道局も自ずと良い雰囲気を作るように努力するのである。
当時から、中国外交部は、中国世論を非常に意識していることは感じていた。
たとえばある時、中国の外交部関係者が、日本の要人と面会した時に、椅子に座る時に、あたかも日本の要人に頭を下げてお辞儀をしているように写った場面があった。そしてこの場面が日本のテレビで放送されることがないようにしてほしいと、言われた。そんなことも気になるのか、と感じ入った。そのような場面が、中国国内に伝わると、中国で批判されるということらしい。いつも日本には厳しく出ている絵姿を示す必要があるのだ。
この話はとても印象に残ったので、当時の私の上司だった宮本雄二大使にも中国における着席の注意ということで話をした。宮本大使も印象に残ったのであろう。着席の際の注意を井出から受けたという話は、宮本大使のご著作にも書かれている。
中国外交部報道局幹部の記者会見はだいたい日本に対して厳しく、強面だった。そのため日本では受けは良くなかった。私からある時冗談めかして、「もっとにこやかな顔をしてソフトに記者会見をしたらどうか」と関係者に言ったことがあった。それに対して、彼らの説明は、「いや、そのような記者会見をしたら、中国国内から叱られてしまう」ということであった。
秦剛・報道局副局長(当時)と交わした話の内容を具体的にここに記述することは避けるが(上記の話は秦剛氏の発言ではない)、秦剛氏は、ユーモアも解するジェントルマンであった。(その後の秦剛氏とは付き合いがない。)
▼コロナ対策水際措置をめぐるやりとり
さて今回のコロナ対策の水際措置をめぐるやりとりである。日本が、中国からの直行便で来日する人たちに、出国前の検査証明書の提出、そして空港でのPCR検査を求めたのに対し、中国が反発し、日本人への査証発給を一時停止したということである。日本と韓国に対して同様に厳しい措置をとったことから、最近の日韓の対中政策への牽制ではないか、との見方も出ているようだ。
中国のSNSなどを見ると、日韓両国が中国人を差別しているという受け止めのようだ。中国から到着した中国人は、日本の空港では赤いヒモでカードをかけさせられ、韓国の空港では、黄色のカードを手渡され、他の乗客と“差別”されている、屈辱的だ、という受け止めなのだ。
他方、タイは、副首相も出て、中国人観光客大歓迎のセレモニーをタイの空港でやった(1月9日)映像が流れた。「タイに比べ、日韓は本当にヒドイ」という受け止めになった。
映像が一つの決定打になっている。
戦時中に日本が占領していた上海の地区の公園には「中国人と犬は入るべからず」という看板が立っていたという話がまことしやかに伝わっている。この話は、正しくないという指摘がある。
ある中国人の友人は、「日韓の空港で中国人がヒモをかけられたりカードを渡されたりして、差別を受けていると知って、この公園の看板の話を思い出した」と教えてくれた。中国人のナショナリズムというのは、そういうことで一気に燃え上がってしまいかねない。
中国外交部が日韓への“制裁”を決めたのは、このように中国人のネット“世論”が盛り上がりつつある、乃至は盛り上がったからであろう。日韓の対中政策への牽制云々の検討もさることながら、まずこのことを理解して押えておく必要がある。
中国人には説明が必要だ。第1に、国籍で中国人を区別しているのではなく、感染が心配される地域からの乗客全員(中国人以外にも)に同様の措置をとっている。過去、感染の問題に応じて、そのような措置を他地域にもとってきた。
第2に、中国国内のコロナ感染状況が不透明で、日本では大きな不安がもたれている。
北京大学の学者達による推計として、約9億人が感染し、甘粛省91%、雲南省84%、青海省80%の感染率という数字も報じられている。中国のネットでも、同じ情報が中国語で流れていることは確認できたが、どれだけの人たちがこのような情報を見て、その上で日本人がどう心配しているかについて、思いを致しているだろうか。(因みに日本での感染者数は全人口の約4分の1。)
第3に、日本は中国からの留学生、観光客、ビジネス関係者などを歓迎する。しかしたとえば中国に留学したい日本人学生や、ビジネスをしたい企業関係者は査証をもらえず、中国に行けないために困っている。日中の措置がバランスがとれていない。
第4に、日本と韓国の空港の映像が中国のネットで流れたが、同様に中国からの乗客に水際措置をとっているアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアの空港の映像は流れていないのだろう。中国人には、日本と韓国だけではなく、他国も中国からの乗客に同様の水際措置をとっていると説明すべきだ。
結局、中国外交部は、中国“世論”を意識して、あとで怒られないように、彼らなりに安全策をとって行動を決めている。その決定は時には十分な時間をかけて検討したものではないようだ。
そのような状況を踏まえて、彼ら、そして中国人とよくコミュニケーションをとる必要がある。
国内“世論”に細心の注意払う中国外交部 |
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【世界を読み解く】私が接した秦剛・新外交部長は「ユーモアを解する紳士」
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(ワールド)
中国外交部長の秦剛=ccbySmithsonian's National Zoo
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井出 敬二(ニュースソクラ コラムニスト)
1957年生まれ。1980年東大経済学部卒、外務省入省。米国国防省語学学校、ハーバード大学ロシア研究センター、モスクワ大学文学部でロシア語、ロシア政治を学ぶ。ロシア国立外交アカデミー修士(国際関係論)。外務本省、モスクワ、北京の日本大使館、OECD代表部勤務。駐クロアチア大使、国際テロ協力・組織犯罪協力担当大使、北極担当大使、国際貿易・経済担当大使(日本政府代表)を歴任。2020年外務省退職。著書に『中国のマスコミとの付き合い方―現役外交官第一線からの報告』(日本僑報社)、『パブリック・ディプロマシー―「世論の時代」の外交戦略』(PHP研究所、共著)、『<中露国境>交渉史~国境紛争はいかに決着したのか?』(作品)、”Emerging Legal Orders inthe Arctic - The Role of Non-Arctic Actors”(Routledge、共著)など。編訳に『極東に生きたテュルク・タタール人―発見された満州のタタール語新聞』(出版に向け準備中)
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