中国は1月1日から改正国防法を施行した。1日夜、中国海警局の船4隻が沖縄尖閣諸島の接続水域に進入したが、中国海警局も改正国防法の明文規定により習近平中央軍事委員会主席から指導を受ける。
今回の法改正は習近平主席の「強軍思想」を反映させた。中国が自国の「利益」を広くとらえ、海外への中国軍の展開もいとわない姿勢もより強く打ち出した。「発展利益」というあいまいな言葉も新たに盛り込まれたが、これは懸念をよんでいる。
(国防法は国防の基本原則を定める。1997年に制定され、今回は前回の改正(2009年)から11年ぶり、2回目の改正となる。)
▼「発展利益」を守るために国防法が発動される
日本や台湾、シンガポールの報道でも、「発展利益」というあいまいな言葉が改正国防法に盛り込まれたことが注目された。
改正国防法では、「発展利益」という言葉は次の4か所で使われている。
「第2条 国家は、侵略に備え、抵抗し、武力の転覆及び分裂を阻止し、国家の主権、統一、領土の一体性、安全及び発展利益を擁護する軍事活動及び軍事関連の政治、経済、外交、科学技術及び教育に関する活動に本法を適用する。
第4条 国防活動は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、「3つの代表」の重要思想、科学的発展観、習近平新時代の中国的特色を持つ社会主義思想を指針として堅持し、習近平の強軍思想を貫徹し、総体的な国家安全保障観を堅持し、我が国の国際的地位に見合った、そして国家安全と発展利益に見合った、強固な国防と強大な軍事力を構築する。
第25条 中華人民共和国の軍事力の規模は、国家の主権、安全及び発展利益を擁護する必要性に見合うものとする。
第47条 中華人民共和国の主権、統一、領土の一体性、安全及び発展利益が脅かされた場合、国家は、憲法及び法律の規定に従い、国家総動員又は部分動員を行う。」
要するに、「発展利益」を守ることも国防の課題であり、そのために軍事力を増強し、使うこともできるということだ。
▼習近平主席がよく使う「発展利益」
過去の重要報告などで「発展利益」が使われたかどうかを調べてみよう。
江沢民主席時代の共産党大会報告では使われたことはないようだ。
胡錦濤主席は2007年の第17回党大会報告で「(国家は・・・)国家主権、安全、発展利益を擁護する」と1回使った。
2012年の第18回党大会で、胡錦濤主席は同様の文章で2回使い、更に「我が国の国際的地位に見合った、そして国家安全と発展利益に見合った、強固な国防と強大な軍事力を構築することは、我が国現代化建設の戦略的任務である」と使った(計3回)。
この文章は改正国防法第4条に反映された。
2012年の報告を行ったのは胡錦濤主席であったが、習近平はこの報告の起草委員会委員長であった。
2013年12月、習近平主席は毛沢東生誕120周年座談会の講話で、「我々は、国家の主権、安全及び発展利益を断固として擁護し、いかなる外国も、我々の核心的利益で取引することを期待すべきではなく、我が国の主権、安全、発展利益を損ねる苦い果実を飲み込むとは期待すべきではない」と発言した。
「発展利益」は「断固として擁護」されるべき「核心的利益」でもあるかのごとく発言していることは注目される。つまり「核心的利益」の概念が拡大しているようだ。
2015年5月公表の『中国の軍事戦力』(中国国防白書)では、「発展利益」を擁護するとの表現が5回使われたが、そのうち1回は海上軍事力、海洋権益を論じた文脈であった。(中国海警局の人々もこの文書は読んでいるだろう。)
習近平主席は2017年10月の第19回党大会報告で「(国家は・・・)国家主権、安全、発展利益を擁護する」という趣旨で3回使い、この表現は公式立場を表現する定式として定着した。そのうち1回は香港、マカオ情勢に言及した文脈で使った。
2019年1月、「台湾同胞に告げる書」発表40周年記念会議での習近平主席の講話では、「国家主権、安全、発展利益を確保して」と述べつつ、台湾との統一について発言した。
2019年7月公表の『新時代の中国国防』(中国国防白書)にも、2007年の胡錦濤報告と同じ使い方で「発展利益」への言及が計5回なされた。
2019年8月公表の『習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想の学習綱要、第14章国家主権、安全、発展利益を断固擁護する』(習近平主席の考え方を説明・宣伝する文書)でも、同じ定式で「発展利益」への言及がある。
以上、定式化された形で「発展利益」への言及は頻繁になされるようになったが(以上の他もいろいろあるが省略した)、その中身が何かについてかみ砕いた説明はどこにも見つからない。
▼結局「発展利益」とは何か
中国の雑誌掲載の記事・論文のデータベース(中国知網CNKI)を使って「発展利益」をキーワード検索して、いくつか国際政治の論文をみつけた。
ある論文は、中国の経済発展に伴い国益概念も変化したので、「“安全利益”と“発展利益”を有機的に結合し両者のバランスをとることが、国家利益の認識で理性の成熟」であると主張している。
(国際関係論で、国益認識は変化し得るし、それとともに行動も変化し得ると教える学派はある。)
しかし国防法にこのように「発展利益」と書くことは「理性の成熟」を示したのだろうか?むしろ懸念と混乱を招いているのではないだろうか?
▼改正国防法には、その他にも次のとおり新しい規定が盛り込まれた。(以下は改正点のすべてを網羅したわけではない。)
-改正法の目的の一つとして、「中華民族の偉大な復興」を追加した(第1条)
-国際的な軍事交流・協力を積極的に推進すると追加した(第9条)。
(これはロシアなどとの軍事協力も一層進めるということだろう。同時に中国は、欧米諸国とも軍事訓練などを行っている。)
-従来の国境、海、空の防衛以外に、「その他の重大な安全領域の防衛」を国防の一部として追加し(第14条)、宇宙、電磁、ネットなどの内容を列挙した(第4章)。
-武装警察部隊への中央軍事委員会の統制をより一層明確にし(第15条)、武装警察部隊の職務として社会安全事件、テロ、海上での法執行などが含まれると明記した(第22条)。
(2018年3月、武装警察部隊は改編され、海警局はその傘下に入った。このようにして、海警局は国務院(内閣)ではなく中央軍事委員会により統制され、軍事機能が強化された。)
-中央軍事委員会は「戦区」も管理することを明記した(第15条)。
(2015年11月、従来の7大軍区は5「戦区」に再編された。これは軍種間の統合を図り、戦闘能力を高めるためと言われる。)
-中央軍事委員会主席(=習近平)が責任を担うこと(=権力の集中)を明確にした(第16条)。
(近代戦の遂行のためにはむしろ分権化した方が良いとの指摘もあるが、習近平は権限の集中を進めている。)
-国務院(内閣)と中央軍事委員会が協調することを明記した(第17条)。
-軍事関連科学技術の強化を詳述した(第5章)。
-国防教育の重要性を強調した(第7章)。
-軍人は(従来の)祖国に加え、中国共産党にも忠誠を尽くすべきとした(第59条)。
-「中国は、国連憲章、国際関係の基本原則などに則り、海外の中国の国民、組織、機構、インフラを保護し、国連平和維持活動に参加し、国際救援、海上保護航海、合同演習・訓練、テロ対策活動などに参加し、国際安全義務を果たし、国家の海外利益を擁護する」(第68条)を追加した。
▼結論
改正国防法は、習近平主席の強軍思想に則り、軍を強化し、海外も含め中国の利益保護のために軍事力を用いることを明確に示した。
改正国防法で新たに使われた「発展利益」という表現は特に習近平が政権就任後頻繁に使われるようになったが、この言葉の説明はなされておらず、あいまいでどのような文脈でも使われ得る。
中国の国益概念は中国の発展に伴って拡大しているようであり、拡大する国益を守るために国防力の使い方も拡大したい、ということならば、考え方はよく整理してもらう必要がある。
シンガポールの新聞『連合早報』の孫飛記者は、「もし中国の“発展利益”が脅かされた場合、(中国は)戦争を主導的に起こす可能性がある」とまで指摘した。同時に孫記者は、「“発展利益”が脅かされる前では、戦略的に見てその(中国の)防御的な国防政策から完全に離脱するわけでもない」とも指摘している。
(中国は確かに「防御的な国防政策」をとると改正国防法でも国防白書でも言っている。)
日本としてはこのような中国の状況をよく観察、理解し、抑止と対話(場合によっていろいろな「整理」を助ける)、そして更なる対応の検討を続ける必要がある。
参考文献
―飯田将史「武装警察部隊と海警局の改編がもたらす懸念」『東亜』2018年7月
―『中国的军事战略』(『中国の軍事戦略』)2015年5月26日
―郎帅「新中国成立70年来中国共产党的国家利益观演进』『中国石油大学学报(社会科学版)』(郎帥「新中国成立70年来の中国共産党の国家利益観の進化」『中国石油大学学報』)2019年04期
―『《新时代的中国国防》白皮书』(『《新時代の中国国防》白書』)、2019年7月24日
―『习近平新时代中国特色社会主义思想学习纲要(15)、十四、坚决维护国家主权、安全、发展利益』(『習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想の学習綱要、第14章国家主権、安全、発展利益を断固擁護する』)2019年08月09日
―孙飞「中国领导人频提“发展利益”背后的战略转变」『联合早报』(孫飛「中国指導者がしばしば“発展利益”を提起する背後の戦略の変化」『連合早報』)2020年10月29日
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【世界を読み解く】 対外軍事力行使への改正か
公開日:
(ワールド)
Reuters
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井出 敬二(ニュースソクラ コラムニスト)
1957年生まれ。1980年東大経済学部卒、外務省入省。米国国防省語学学校、ハーバード大学ロシア研究センター、モスクワ大学文学部でロシア語、ロシア政治を学ぶ。ロシア国立外交アカデミー修士(国際関係論)。外務本省、モスクワ、北京の日本大使館、OECD代表部勤務。駐クロアチア大使、国際テロ協力・組織犯罪協力担当大使、北極担当大使、国際貿易・経済担当大使(日本政府代表)を歴任。2020年外務省退職。著書に『中国のマスコミとの付き合い方―現役外交官第一線からの報告』(日本僑報社)、『パブリック・ディプロマシー―「世論の時代」の外交戦略』(PHP研究所、共著)、『<中露国境>交渉史~国境紛争はいかに決着したのか?』(作品)、”Emerging Legal Orders inthe Arctic - The Role of Non-Arctic Actors”(Routledge、共著)など。編訳に『極東に生きたテュルク・タタール人―発見された満州のタタール語新聞』(出版に向け準備中)
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