反ゼロコロナデモが中国で起こった直後、昨年11月30日に江沢民が亡くなったことが公表された。コロナ感染が猛威を振るうなかで、意外にも5000人が追悼大会に出席、棺を5万人が沿道で見送った。
習近平が追悼大会で述べた言葉も驚きばかりであった。異例なできことばかりだが、コロナ感染の爆発や経済問題に紛れて一瞬にして忘れ去られたようにみえる。しかし江沢民が亡くなった影響を、習近平は忘れられないでいる。
江沢民の追悼大会で、習近平が長編の追悼文を述べたことは、不思議さを感じさせた。
追悼文のはじめに「卓越」、「偉大」などを連発して、「中国の特色ある社会主義の傑出した指導者」と持ち上げた。すべては亡くなった中国指導者を記念する最高の礼遇である。改革開放を毛嫌いする習近平であるが、追悼詞で江沢民が「改革開放を堅持した」と言い、また江氏が改革を深化させ、開放を拡大し、(中国の)発展を促進した」と肯定ばかりした。
周知の通り、習近平は着任して以来、社会主義のイデオロギー思想を一番重視し、改革開放をあまり語りたがらない。しかし、今度の江沢民の追悼大会では、彼は7回目も「改革開放」と繰り返した。
もっとも不思議なのは江沢民が自ら党の最高指導者を引退したことを習近平がわざわざ追悼文で語ったこと。「2006年、国家指導者の世代交代をスムーズに進めるために江沢民が自ら中共中央委員を辞任し、党と国家の事業に対する深謀遠慮を十分に体現した」と述べた。
この部分に対して、「習近平は「深謀遠慮」ではないと言っているようなものだ」と騒がれた。習氏は党の規約を改正するまでにして引退を拒否し、三選をしたからだ。
ほかに江沢民が中国の最高指導者にいる10年間は、中国経済が凄まじい発展を遂げた10年とも言えよう。しかし習近平がトップに立ってからは、中国経済は悪くなる一方だ。そして、イデオロギー思想の教育を強めて、江沢民の時期とは逆行してきた。だから、追悼文で江沢民を讃えること自体が習近平を批判しているように聞こえる。
「このたび、江沢民の追悼文を書くにあたり、江氏家族が大いにかかわった」と聞いた。また「江沢民の息子江錦恒が追悼文に関して、自分たちが書いたものを習氏に渡した。もし要望を叶えてくれないなら、追悼会を拒否する」とも噂された。
習近平は江沢民に指名され、中国最高指導者になれたわけだから、立場的に弱いのであろう。
周知の通り、習近平が父親の七光りで清華大学に入り、中央軍事委員会秘書長の秘書、福建省、浙江省などの地元政府の要職を経て、江沢民に中国最高指導者に指名された。しかし、習近平の昇進レースはけっして順調ではなかった。本来軍隊で上り詰めるつもりであったが、父の盟友で頼りの中央軍事委員会秘書長の耿飙が転勤したので後ろ盾を失った。
仕方なく、父親の習仲勋がまたコネで彼を河北省に行かせた。当時の省委書記高揚に働きをかけて、「河北省の常務委員」に昇進させたかったが、拒否された。昇進の望みがなくなったと感じて、父親は習近平を福建省にいかせた。1997年に、行われた中央委員会の委員選挙で、習近平が一番少ない票で候補委員になった。
2002の中国共産党第十六回大会でやっと中央委員になった。その後、浙江省長、書記を歴任し、在職中に清華大学の博士号を取り、中国最高指導者の後継者になる資格を手に入れた。能力より、「太子党」の出身で運がいいからだ。
かつて中国の社会主義政権を誕生させた功労者、陳雲が後継者を選ぶ際に次のような名言を残した。
「自分の子供たちが(後継者に)一番安心だ。祖先のお墓をひっくり返す心配がなく、護ってくれるから」と。
習近平が中国最高指導者の後継者として選ばれたのはまず彼の出身が条件にあった。2007年の中国共産党第十七回大会で、隔世指定の規則に従い、胡錦涛の後継者を選任する協議がおこなわれた。当時、胡錦涛の共青団派と江沢民派が争って、両派が認める人選が必要となった。資格があるのは薄熙来、李源朝、王岐山、習近平である。本来習近平が選ばれる可能性が一番小さかったが、派閥の争いの結果、意外にも彼が選出された。
当時習近平は浙江省や上海など務めたことで、江沢民派に属していて、派閥として推し進めたい人選であった。また彼の性格や人々と接する態度などで、江沢民派にコントロールしやすいと思わせた。
また習近平はいつも控えめに、中庸で、おとなしい性格の持主で共青団派の受けもよかった。何より、後継者として一番有力視された薄熙来は自分の部下の告発で失脚し、後継者のレースから脱落したことが習近平にとってチャンスとなった。目立たない性格と運がよく、習近平は指名され、中国最高指導者の椅子に座ることができた。
こうして習近平が、最高指導者に選ばれたので、江沢民派には弱いはずだった。しかし、君主は豹変する。実際に最高指導者に上り詰めた習近平はまさに豹変する君主となり、江沢民派をも悩ませている。