中国共産党第二十回全国代表大会(二十大)控えて、9月末から10月初めにかけて、「人民経済」という概念が突然飛び出した。二十大で決定される中国の発展の方向に大きくかかわるテーマで論争が熱を帯び、政府が火消しに躍起となっている。
去る9月27日、中国農業問題の著名な専門家の温鉄軍の動画がSNS「微博」で拡散した。温鉄軍は中国人民大学農業と発展学院院長で教授。習近平新時代の北京大学の「中国特色社会主義の思想研究院」の郷村振興センター主任、中国農業経済学会副会長などを兼任していて、中国国務院の政府特別手当を支給される特別待遇の人物である。
動画で温氏が打ち出したのが中国を騒がせる概念となった「人民経済」である。温は「人民経済」を以下のように定義する。
国家主権を擁護する性質及び自主発展と愛国主義の性質を持つ経済体はすべて人民経済である。「人民経済」は四つの特徴を持っている。それは自主性、在地性(地域性)、総合性、人民性(全民が共有する性質)である。
特に問題となったのは温氏が主張した「人民性」であった。
「人民性」は人民所有制である。人民が国営企業の財産と分配に関する基本的な権利を有すると彼は主張した。反対派から見ると、人民所有制のもと、計画経済に回帰し、国有企業だけの社会作りで個人所有の民営企業を排除することを意味していると思われた。
間もなく開かれる予定の中国共産党の「二十大」は中国の発展の方向性を決める最も重要な大会で、改革開放を続けるか、それとも左へ旋回して北朝鮮化するかを決定することになる。その直前の唐突な「人民経済」の提示だった。
同日、国際貨幣金融機構フォーラムの顧問、研究委員会の委員、中国民生研究院の特約研究員で雑誌「環球財経」の編集長の向松祚が自分のブログやSNSで温を批判する文章を掲載した。
「自主性」は鎖国ではないか。「在地性(地域性)」は自給自足と等しい。「総合性」は企業を大きな社会にすること。つまり大躍進の時の人民公社化にすることだ。「人民性」は全民所有制の回帰を意味する。
彼は温が「改革開放を全面的に否定」したと批判、「人民経済は人民と言う看板を掲げて人民を騙すこと」だと断罪した。
さらに、中国CCTVの財経評論キャスターで中国民主建国会の中央経済委員会副主任馬光遠も不満を露わにした。彼は自分の微博で世界著名哲学者バートランド・ラッセルの頭のいい人とバカに関する名言を引用し、「温鉄軍よ、人間に成れ」と書いた。
かつて恒大集団の経済研究院院長を務め、いまは中国民営経済研究会副会長の任澤平も反対の意見を述べた。任は「温教授が市場経済を否定し、計画経済と市場閉鎖へ回帰を呼び掛けている。人民経済はすでにグローバル的に失敗し、人類に巨大な代償を払わせた。彼の論点は常識を無視し、学術とも言えないが、広く知れ渡ったことで、民営企業家たちの懸念を招いている」と評した。
その後、SNSや中国のポータルサイト「網易」などで人民経済に関する対立は熾烈になっていく。左寄りのポータルサイト「紅歌会」や「崑崙策」は影響の大きい論客を集めて、温鉄軍の「人民経済」論を支持し、向氏を含める三氏に批判の矛先を向けた。論争の先鋭化を危惧した中国政府は、関係する動画や文章の削除を指示した。多くの文章は見出しは検索できるものの、内容の閲覧はできなくなった。もっとも、この論争は習近平支持派が国民の反応を試した観測気球という説があり、上層部の路線対立は二十大直前の今も進行中だとみられる。
対立の火種は水面下で広がり、胡耀邦の息子である胡徳平も巻き込まれた。胡徳平は2012年5月、「我々の経済は人民経済だ」と言う文章を発表した。今になって、その文章が引っ張り出されて、彼が「人民経済」論を擁護しているかのように伝えられた。
常に改革開放と民営経済を支持してきた胡徳平は10月6日、中国版LINE「微信」で釈明に追い込まれた。例の文章は「時代とともに進める民営経済」の本で掲載されたもので、人民経済は各種の市場経済の総合で、民営経済も含めるべきだと言うのが自分の論点だと主張した。「紅二代」を代表する胡徳平が公に民営経済の必要性、つまり改革開放を力説することは反習勢力の大きな力となろう。
これまでに習近平の北朝鮮化に対して多くの知識人は不満を持っていったが、声を潜めて沈黙を守ってきた。しかし「人民経済」の理論が登場し、改革開放路線や市場経済までも全面的に否定されそうになると、彼らも発言せざるを得なくなったのだろう。
そもそも「人民経済」は新しい概念ではなかった。建国初期に「人民経済」を題名にする書物があった。最近になって、習氏を支持する学者たちがまた熱心に語り始めた。温氏は今年5月、ネット授業や講演で「人民経済」を語ったが、成熟した説ではなかった。最近になって彼がもっと論理的に語ったことで、改革開放を守りたい人々の不満は噴出した。特に「二十大」の直前と言う敏感な時期に、政府寄りの温鉄軍の発言とあって、なおのこと注目された。
「人民経済」に関する論争は「中国が発展の方向を転換し、社会主義の市場経済を放棄することを連想させる」とシンガポールの「聯合早報」が論評した(10月3日付)。
2017年にスタートしたジャック馬氏など企業家たちと民営経済の取り締まりは「二十大」後にさらに強化されるのか、そして民営経済が全面否定され、社会主義計画経済へ完全に回帰するのか? 注意深く見守る必要がある。