中国上海で開かれた輸入博覧会は習近平の肝いり国家プロジェクトで、失敗は許されない。政府系マスコミは連日の報道で、盛大さをアピールしているが、裏には言えないことが多く隠れている。
「座ると離れたくない一脚の椅子」というのはビュイックが中国で自社の新車をアピールするためのコマーシャル用語であった。しかし、上海の輸入博覧会が開幕する前、中国共産党第二十回代表大会で習近平が規則破りの三選が果たした後の期間で公開されたことで、そのコマーシャルの放送が禁止されただけではなく、博覧会期間中に予定したビュイック社の宣伝活動は全部取り消されたと台湾の「自由時報」が報道した。
そのコマーシャルのセリフは三選した習近平を暗にさして、風刺したからだというのが放送禁止にされた理由だ。日本のマスコミも報道したように、上海の「輸入博」で予定されたEU大統領のビデオ演説も公開禁止となった。
談話の内容が中国の逆鱗に触れたからだ。実に理不尽であるが、習近平の新政権が如何にして正当性が欠けて、世間の目を気にしているかが示されている。かつて旧ソ連ではこんな小話がある。
ある市民が街でビラのように何も書かれていなかった白い紙を撒き散らした。旧ソ連の警察がやってきて、その市民を逮捕した。尋問のとき、市民は自分が白い紙を撒いただけなので、なぜ逮捕したかと聞いた。するとソ連の警察が自信たっぷりに「あなたが何を言いたいかを知らないと思うか」と怒鳴った。
今の中国はまさにそうであった。禁忌が多い上に監視が厳しい。何を言っても検問されるようになった。
去る7月15日、中国最大のSNS「微博」に掲載された一つ小さな詩も、30分ぐらいで削除された。理由も習近平を暗に風刺したからである。作者は上海のラジオテレビ「融媒体センター」のジャーナリスト宣克炅である。166万人にフォローされていた有名人だ。
その日、彼は朝早起きして走ったときにうるさかった「セミ」を書いた詩をアップした。
気持ちそのまま表現をしただけで、誰を風刺したなどと思ったこともなかった。しかし、話題になったことで「社会によくない影響を与えた」と所属した会社に指摘され、彼は厳しく批判されたあげく、アカウントも停止された。
その詩は下記のとおりだ。
闭嘴!(シャットアップ)
说你呢(あなたを言っているの)
高高在上(偉そうに高くとまって)
一片聒噪声(うるさい声をまき散らす)
平添几分燥热(もっと暑く感じるだろう)
自以为聪明(自分だけ頭がいいと思い込み)
肥头大耳(頭がでっぷり肥やして大きい耳までも)
土堆里(土の中で)
蛰伏(冬眠し)
5年以上(5年以上に)
才爬出阴间(やっと冥界から這い上がったが)
却只会用屁股(お尻だけで)
唱夏日里的赞歌(夏の賛歌を謳う)
不知人间疾苦酷暑(まったく人間の暑さと苦難を知らない奴だ)
――「セミへ」(宣克炅の微博の7月15日付)
この小さな詩がアップされたあと、書き込みが殺到した。そのなかに彼の詩は別の何かを指しているではないと言われた。その一方で最高指導者を指す疑いがあるとの指摘も。怖くなり、宣氏はすぐその詩を削除したが、すでに遅い。告発されて所属した上海のラジオテレビ「融媒体センター」は直ちに彼を処罰した。
「五年以上」や「高高在上(偉そうに高くとまって)」などの言葉は中国国家主席を暗に風刺したと思われたことが宣氏が処罰された理由だと台湾の「聯合新聞網」は報じた。
彼は内部通達されて、再び上海ラジオテレビ局のネット言動規則を勉強し、本人はもちろん関係部門も自己批判するはめになった。その上、「上海伝媒集団」は宣氏がさらに勉強して「政治的な立場を固くし、思想覚悟を高めるよう」求めた声明文を公表せざるを得なかった。
習近平が着任して以来、中国の言論空間はだんだんと狭められた。「プーさん」が見た目で習近平と似ているだけで、禁止された。今度は「セミ」の番かと「ラジオフリーアジア」が指摘した。
本連載の六も取り上げていたような「翠」の字や習近平の数多い宛名に関係するものは全部、禁用された。政治に関する話題まで語る時に気をつけないとアカウントのアップ禁止あるいは永久閉鎖になる。
いま中国のネット言論に関する厳しい規制は「中共中央網絡安全と信息化委員会弁公室(中国共産党中央サイバーセキュリティー情報化委員会弁公室)」が主導したと思われたが、時々習近平総書記弁公室が直接指示を出したこともあると言われる。
微妙なことに、今月の10日に、着任したばかりの中国宣伝部長李書磊が「人民日報」に署名の長文記事を掲載した。記事には「双百の方針を堅持しなければならない」と書いたが、物議をかもしている。
「双百」は「百家斉放百家争鳴」と書いて、1956年から1957年まで中国で行われた政治運動の総方針であった。つまり毛沢東はその言葉で中国の知識人に言論の自由を与えたが、政権や毛沢東本人など指導部幹部たちに対する批判が多く噴出するとすぐその方針を止めた。
そのあとに本音を言い出した批判者たちは全部「右派」と決めつけられて、弾圧され、職が奪われ、労働改造と言う名目で農村や僻地へ追いやられた。多くの知識人が冤罪で帰らない魂となった。
まさに毛沢東が率いた共産党政権は反対派をあぶり出すために「双百の方針」を使った。だから、新任宣伝部長の李書磊がその言葉を言い出して呼びかけると、人々は戸惑いを隠せない。それで以前の「反右派の闘争」を思い出して、経験者たちは危惧している。
習近平新政権を信じていいだろうか?