習近平主席と岸田首相の対面による会談が三年ぶりに行われたが、日本側が求める平等な対話は成り立たなかった。三期目に入った習近平は政敵の中国共産主義青年団派(共青団派)を一掃、長老たちの権力も衰え、遠慮する理由がなくなった。
かつては師と仰いだ日本を含めた米国以外の先進国に対しては”上から目線”で、「あなたたちの理念を押しつける時代は終わった。昇り続ける中国式を受け入れよ」と迫っている。
習近平の主張は中国メディアの報道からも窺える。政府の意向を直接伝える新華社の記事は岸田首相の発言をわずか226語で次のように報じた。
「去年の10月、我々は対話を通じて、新時代の日中関係を構築することで一致した。いま、両国間のさまざまな分野で交流と協力が少しずつ回復している。日中は近隣国として、互いに脅威とならずに平和に付き合うべきだ」
「日本の発展と繁栄は中国なくしてありえないし、逆も真なりだ。日本は中国が発展し世界に積極的に貢献することを歓迎する。日本と中国の協力は大きな潜在力を持ち、両国は地域及び世界の平和と繁栄に重要な責任を担っている」
「日本は中国とともに努力をし、日中関係の健全で安定的な発展を実現させる。台湾問題で日本が日中共同声明で約束したことにいささかの変化もない。我々は中国側と対話、意思の疎通を増やし、共に日中関係を正しい方向へと導きたい」
以上が新華社が岸田発言を報じた全てだ。記事の約八割は習近平の発言で占められていた。新華社が政府方針通りの原稿を提供するので、政府系メディアの報道はこれを超えることができない。都合が悪いことは報道されないのだ。
新華社が携帯向けニュースとして公開した記事に岸田首相と習近平の会談にまつわる10点があった。中国カラーとされる赤いネクタイを締めていたことや習近平が岸田に内政不干渉の念を押したなど十点が解説されたが、すべてが中国の正当性を強調し、日本に警告と要求を迫る内容だった。
三期目に入った習政権は、国際的孤立のイメージが改善した姿を国民に見せる必要があった。また経済的にも日本の協力を得る思惑もあり、岸田との会談について過激は発言を控え、報道もやや好意的だったが、根本的な対日意識に変化はなかった。
習近平がG20で行った外交ショーは彼の外交方針をよく表している。世界二位の経済大国である中国は以前の「韜光養晦(爪を隠し、才能を覆い隠し、強くなる時期を待つ)」外交方針と決別し、言いたい放題にすることに決めた。
人権問題が持ち出されるとすぐに激しい言葉で反論し、場合によっては相手国を罵倒する戦狼外交を習近平自らが実践してみせた。
カナダのトルドー首相に対する説教、岸田首相に対する上から目線の話し方、タイのプラユット・ジャンオーチャー首相の握手無視。これらは日本のマスコミでも報じられた。
これからの対中国外交の前途多難さを象徴しているようにみえる。今後、中国は自国の成功や文化を喧伝することに注力し、人権や領土問題への他国の干渉を一斉受けつけないだろう。
国家最高指導者になってから習近平はまだ一度も日本を公式訪問していない。副主席のときに一度訪日したが、天皇との面会が直前になって調整されたことで、当時の民主党幹部の小沢一郎氏の宮内庁へのごり押しばかりが強調され、物議を醸して成功とは言い難かった。
習は頻繁に日中関係について発言しているが、日本の直接的な印象はあまり報道されてこなかった。彼の日本に対する印象は妻で有名歌手の彭麗媛の影響が大きいのではないか。
彭麗媛は元中国人民解放軍総政治部歌舞団の歌手で、国民的スターだった。友人の紹介で25歳のときに習近平と結婚した。当時の習近平は中国福建省アモイ市の副市長で、彼女より9歳年上だった。その前に、習近平は一度離婚を経験している。元妻は英国留学したが、習近平が同行を拒否し、離婚されたという。
彭麗媛と見合いした時、習近平はたった40分足らずで彼女こそ生涯の伴侶だと固く信じたと中国政府系メディア「環球人物」が報じている。
習近平は結婚後、順調に昇進の階段に上り、国家副主席となって、国家主席になることを約束された。そのころ、在日中国人の働きで、彭麗媛の日本訪問が計画された。2009年11月11日、学習院大学のホールで中国オペラ「木蘭詩篇」の公演が開催された。
次期中国最高指導者の妻、彭麗媛が率いる中国人民解放軍総政治歌舞団の公演だったので、注目度は高く、話題になった。しかし中国解放軍と言う組織の特別性、中国の一方的な宣伝に対する不信感などで日本側に歓迎のムードはなかった。
中国は現役軍人が外国に行くことを法的に禁じる。軍事機密保守のため、辞任や定年後も出国禁止期間が設けられている。だから彭が120人の現役軍人の団員を率いて日本訪問できたのも特別許可を貰ったからであった。おそらく次期中国最高指導者になる彼女の夫習近平に対する配慮であろう。
公演団体の巨額旅行費用もチケット代だけでは全く足りず、中国のソフトパワーの海外輸出という名目で、裏で大きな金が流れたという噂もあった。日本側の費用負担も大きかったと言われている。
彼女の帰国後、習近平が日本にやってきた。前記したように、民主党政権の手配で当時の天皇に会見したが、手続きに前例と異なる面があり、日本社会で様々な批判を巻き起こした。後で聞いた話だが、習夫婦の訪日を手引きした在日華人らは評価したメディア報道だけを夫婦に報告したらしい。
今回、岸田と初めて対面会談した習近平が笑顔をつくったのは理解ができる。内政と外交で行き詰まっている中国が日本に助けを求めている面もあるし、国内向けに外交を失敗するわけにいかなかったのだろう。同時に、夫人の日本公演を通じて習近平夫婦が日本に対して好感を抱いている面もあるとの見方もある。
だが、習近平は中国共産党に身をささげることを本当に信じていて、中国が再び世界のトップに立つ夢を果たすことを使命としている。個人的な好感では超えられない対立を生む可能性もあり、中国で再び反日デモが起こりかねないことを忘れてはならないだろう。
中国は必要とするときに、低い姿勢で友好を謳う。今回がその典型例になる。
だが、必要がなければ”上から目線”。指摘や批判には非難で応じる。中国の常識で世界を判断し、居丈高にもなる戦狼外交が習外交の本質だ。中国は隣国であり、経済的なつながりも深いのでつきあわざる得ないが、中国外交の本質は戦狼外交であることを肝に銘じて日本は対中政策を練るべきだろう。