習近平政権が最大のピンチに直面している。中国各地でゼロコロナ政策に反対するデモが巻き起こっているのだ。
デモの発端は新疆のウルムチ市にあるマンションの大規模火災だった。当局はその火事で10人が亡くなったと発表したが、少なく改竄されていると市民が反発した。さらに、ゼロコロナ政策維持のために地方政府が消火活動の救援や人命救助を遅らせたこともあり、一気に抗議デモが広がった。
明日は我が身と感じた各地の市民もゼロコロナ政策で溜まった不満を爆発させ、デモは単に「反ゼロコロナ」だけではなく「習近平辞任」を叫ぶまでにエスカレートした。上海や北京など少なくとも10の大都市でデモが繰り広げられ、多くの逮捕者を出している。
中国国民は三年にもわたるゼロコロナ政策にうんざりしている。他の国々が新型コロナ対策を緩和させるなか、 共産党第二十回全国代表大会(二十大)の後には、ゼロコロナ政策は停止されるだろうと人々は期待していた。だが、二十大で改革派の排除に成功した習近平はゼロコロナ政策に拘った。
国民の失望は深かった。習は海外で行われた妻の誕生日パーティーにマスクなしの姿を現した。さらに、サッカーW杯のノーマスク観戦の映像が放送されたことが火に油を注いだ。背景には改革開放を堅持すると宣言していた李克強や汪洋、胡春華が政権中枢から追いやられたことへの不満もあったとみられる。
特に、将来有望な政治家の一人として、習近平の後任に有力視された胡春華が「二十大」で中共中央政治局委員から外されたことは大きな衝撃で受け止められた。前重慶市党委員会書記の孫政才のように逮捕されるのではと噂された。
その胡春華について、中国発展網は11月6日「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)」とハイレベル開放フォーラムで講演したと唐突に報じた。農業を主管する国務院副総理である胡が国際フォーラムで講演することは珍しい。習政権が逮捕観測を打ち消すために、国際フォーラムに出席させたのではないかと言われている。
胡春華は湖北地区の貧しい村の生まれで、16歳の若さで北京大学に進学し、すぐ共青団書記になった。大学の後輩が書いた文章によると、北京大学の学生で共青団書記になった人たちはほとんどが卒業後、政治の道を歩む。運が良ければ卒業前にも政府幹部に指名され、卒業後その幹部の秘書になれる。
胡春華は卒業後、自ら生活条件が厳しいチベットへ赴くことを希望した。それが大きな反響を呼び、「人民日報」など多くの政府系メディアに取り上げられた。後輩によると、胡は自分にコネもなければ、年齢も若いので、他人と違う道を歩まなければ成功はないことを踏まえたうえで、チベットを選んだのだ。
茨の道であるが、彼にとって正しい道だった。卒業4年後の1983年、彼は中国共青団チベット自治区委員会副書記になった。胡錦濤が翌年、チベット党委員会の書記に赴任、胡春華は部下となった。胡錦涛はチベットの厳しい環境に身体が適応できず、北京で休暇をとることが多かったが、そんな時は胡春華が懸命に補佐したという。
胡春華はその後、中国で最も若い省長級幹部として、河北省の代理省長になり、2009年11月に内モンゴル党委員会書記、2012年11月に中共中央政治局入りして、国家指導者の一人になった。その1か月後には、副総理になった汪洋の後任として、広東省共産党委員会書記に転任した。
彼は二十大で国務院総理になると思われたが、中央政治局から突然引きずり降ろされた。
「党と国の指導職は鉄の椅子ではない。年齢が合えば必ず引き続き候補者になるわけでもない。(党の)事業を一番大事にみるか、職に相応しいか、候補者の条件、清廉であるか及び民衆の支持などによって、指導部に留まることもできれば、転任もありうる。昇進もできれば降格もある。新時代に合った任用の方針をはっきりと樹立すべきだ」。
新華社が「二十大」のあとに報じた中国共産党の新指導部誕生をめぐる記事にある言葉だが、胡春華のために書かれた一文のようだ。
胡春華と習近平の関係はそう悪くはなかった。前重慶市党委員会書記の孫政才が逮捕されたあと、習近平は胡春華のことを「识大体顾大局(物事の全体を掴み大局を重んじる)」と評価したと伝えられた。
ではなぜ、胡春華は政治の中枢から追い出されたか? 様々な分析があるが、ウォールストリートジャーナルは「胡春華が自由経済政策を主張し、海外での評価が高い」からだと論評した。
胡春華は若い頃、「漢民族だけの現代化は中国全国の現代化とは言えず、少数民族の現代化も実現しなければならない」とチベット赴任の理由を語っている。中央集権的な習近平の主張とは真逆だ。二十大での共青団派の総退場は路線闘争の結果と言えよう。
いま、胡春華の中枢からの追い出しは胡錦涛が二十大で強制退場された事件と関連があると多くの専門家が思っている。胡春華は今年の北戴河会議も含め七中全会まで政治局委員会に入っていたはずである。胡錦涛が想定していた人事は、李克強が全人代委員長に、汪洋が総理に、若い胡春華と丁薛祥が後継者として政治局常務委員になるというものだったと思われる。
共青団派3人対習近平派4人の政治局になるはずだった。政府系メディア「南華早報」などの事前報道もそう示唆していた。
だから、「二十大」閉幕式で、胡錦涛が新しい政治局委員会のリストに胡春華などの名がないことを察知して、確かめようとしたので、強制退場になったというのだ。彼が退場させられた直後に李克強を労うように肩を叩いたことの説明もつく。習近平はその際、次のようにガードマンに話したという。
習(中国語):人多要注意,还有他看了这个以后、他不舒服,我们让他缓一缓,不要在这里坐着了,他也坐不住,不如把他扶到外面去。
習(日本語):人が多いから気を付けなさい。あの、彼(胡錦涛)がこれ(手元のリスト)を読んだら不快になるから、我々は彼を休ませてあげて、ここで座らせないほうがいい。彼も座り続けられないし、脇を支えてあげて外に連れ出した方がいい。
11月28日の「人民日報」は珍しく一面で習近平の写真を扱わなかった。
トップ記事の見出しが興味深い。「足取りを止めてはならない」。内容は民族振興を目標とする中国の夢の10周年を報じるものだが、そのタイトルは全土で繰り広げられる抗議デモを想起させる。「人民日報」も、民意に配慮せざる得なくなっている。
中国で広がるデモは海外にも波及し、政府が民意に答えないと、さらに続くだろう。