12月21日、北京にある中国解放軍の301病院の前に、突然私服警官が集まり、物々しかった。夜の5時ころには交通制限が実施され、人々は戸惑った。
301病院は中国人民解放軍総医院の別称。中央軍事委員会に直属したこの病院は最高指導者の御用達で知られる。そこで異常な状況が起こると、上層指導部の重要人物が病気になったことを意味する。コロナの感染が凄まじい北京では、特に注目を集める。
中南海に住んでいる政治局常務委員レベルの高級幹部が数名、感染したと聞いた。中国指導部の運営に支障を生じかねない事態は、習近平の三期目の出だしに影を落とすのかもしれない。
中国政府の高級幹部たちはだいだい60代以上で、もし何かの基礎疾患があるなら、コロナに感染すると大変だ。兆しはあった。先週の本連載も取り上げた中共中央経済会議でも欠席者が多く、目立った。香港の明報の報道によると、全部で17名の部長級以上の幹部が会議に参加しなかった。
そのなかに国家監視委員会主任の揚暁渡や国務委員の趙克志のほかに、軍事委員会副主席の張又侠などがいる。中国政府は欠席理由を公表しなかった。これほどの人数が欠席なのは史上まれで、コロナを感染したのであろうと知り合いの中国政治専門家は分析した。もし感染がさらに広がると、中国指導部の機能停止につながる可能性がある。
中国政治の中枢は言うまでもなく北京だが、その中枢の中枢は中南海だ。古代帝王の園林で、1500亩(約10万平方メートル)の広さを誇っている。
中国人であれば誰でも知っている中南海には習近平を含めて政治局常務委員など高級幹部の住宅があり、普通の国民には縁がない。共産党政権になる前に、清朝の王たちの住宅が多い高級住宅地であったが、共産党政権になってからは、政府要人が独占してきた。毛沢東からいまの習近平まで住宅を構え、国務院もそこにオフィスを設けている。だから中南海のものは、建物から草木までトップシークレットだ。
「為人民服務(人民に奉仕する)」を使命とする中国共産党政権であるはずが、あらゆる状況を漏らさないために、決して人民を近寄らせない、特権の塊だ。かつて毛沢東が住んでいた豊沢園には三つの会議庁と東屋と言われたダイニングと西屋とよばれた警備、侍従などの部屋があった。
中共中央政治局の常務委員たちが常にそこで国の大政方針を協議すると公式に報道された。いまは習近平の執務室もそこにあり、毎年、習近平がそこから国民に新年のメッセージを送り、内部の一部が放送されようものなら、豪華さが並ではないことがわかる。
習近平政権になると、警備はさらに厳しくなった。近辺に住んでいた住民の話によると、公共バスが中南海の入口などを通る場合、窓を開けてはならない。中南海の入口付近にあったバス停は遠くへ移され、住民からは不便で恨み声が上がっても無視された。
移動されたバス停には常に四人ぐらいの私服警官が配置されて人々の動きを監視している。中南海の入口の前を通る人々には、よく見知らずの人が付いてきて共に歩いてくれる。気持ちが悪いが文句は言えない。直訴しにくる人々を防ぐために必要不可欠な措置だと政府部門は強弁している。
政治会議や国務院のオフィスのほかに、プールやイベントホールなどの娯楽施設もある。つまり中国政治を主宰する最高指導者たちが中南海で仕事をし、住宅を構えて、暮らしている。このようなところでコロナ感染が広がると、高級幹部だけではなく、習近平及びその家族にも及ぶ可能性がある。
いまの北京はコロナが猛威を振るっている。日本にも報道されているように死亡者が多く、葬儀場が足りない。薬や病床が足りず、路地で点滴する動画も多くアップされている。中国国家衛生健康委員会の内部通達によると、12月1日から20日までの間に中国のコロナ感染者が2.48億人になった。「中国政府は経済力を回復させるために感染を放任したのだろう。以前はゼロコロナ、今は陰性者ゼロ」と批判された。
人々の不満は並ではない。元人民日報四川支社長林治波が自分のウィチャットで次のようなことを書いた。
「カタールのワールドカップで観衆が密集してもマスクなしで問題がなかった。アルゼンチンが優勝して、全国民が祝ったときも、ノーマスクにも問題がなかった。ロシアがウクライナとの戦争で、ワクチンもPCRもしないで、ノーマスクでも問題がなかった。中国だけがゼロコロナを放棄した途端、全国民が感染。しかもあらゆるコロナの変異種が迅速に我が国に。なぜだ?おかしいとおもわないか?」
林治波の短文はすぐさま封じ込まれて、閲覧ができなくなった。しかし、習近平政権が推し進めてきたコロナの防疫政策に対する疑問は消せない。それでも習近平は自分の面子を重んじ、アメリカやドイツのワクチンなどの支援を拒否している。
この原稿を仕上げたときに、新任中央政治局常務委員の王滬寧と趙楽際も感染したと言う噂が流れてきた。また12月22日に、北京の京西賓館が深夜になっても灯が消えなかった。
この賓館は三月の全人代や十月の共産党代表大会の時には、多くの部屋に明かりがつけられるが、いまのような時期に多くの部屋に深夜まで灯がついているのは異例だ。重要会議が行われて、コロナなどの大きなことが論議されているだろう。
前も取り上げたように京西賓館は中国政治闘争の裏舞台だ。論争がイコール闘争、場合によっては死活問題にかかわることになる。
三期目の習政権は、出だしから山あり谷ありになる予感がする。