旧暦のお正月、例年なら習近平は必ず国民の家に出向き、蒸気が立ち上ぼる鍋の中身をみたり、選ばれた国民と話をしたりして、市民生活を気にかけていることを演出して見せていたが、今年はその”民衆にやさしいショー”がなくなり、テレビ電話のみの視察となった。
テレビ画面を通して、国民の前に現れた習近平は笑顔が固く、疲れを隠せなかった。その表情は海外の中国語メディアに「憔悴」と報じられ、話題となった。コロナ感染が原因だという人もいれば、ほかの病に悩まされているという説もあった。いずれにしても、長年の権力闘争にも関わらず、成果が少ないことに悩んでいるのは間違いないようだ。
1月18日、習近平が国民をテレビ電話で見舞ったと新華社が報じた。注目は最初の習近平の言葉である。
記事は習近平が「コロナ防疫と感染者の救急と治療を非常に気をかけている」と前置きしたうえで、「最近3年間、我々は新型コロナに対して『乙类甲管(乙級の感染症に甲級の防疫措置をとった)』した。これは正しい選択だったと習近平が強調した」と書いた。
3年間もこだわり続けたゼロコロナ政策を放棄して一か月半も経つのに、習近平がいまだに失敗したゼロコロナ政策を弁護している。「白紙革命」で批判されたことを気にして忘れられないのだろう。
中国政府は12月7日、白紙革命などの圧力でゼロコロナ政策を放棄、転換すると公表して以来、習近平をはじめ、政府系メディアもゼロコロナ政策に触れなくなった。しかし、「防疫勝利」を祝う大会を開いたり、形を変えた言い方をしたりして、ゼロコロナの3年間を肯定、頑として間違いを認めようとしなかった。
毛沢東時代は毛のすべてが正しかった。現在の最高指導者は同じ過ちを繰り返している。しかし、政府の各部門の幹部たちはほとんどば1960年代の生まれで、毛沢東時代の文化大革命や個人崇拝を毛嫌いしている。習近平の古いやり方には「面従腹背」が多く、幹部たちは何もしない「寝そべり」族となり、「躺平式幹部(寝そべり幹部)」と呼ばれている。
日本と同様に、中国も旧暦新年の大晦日の夜に盛大なコンサートを開く。今年の大晦日は1月21日で、慣例のコンサートの演目に、「躺平式幹部(寝そべり幹部)」を風刺する寸劇が披露され、反響を呼んだ。
習近平が指導者に就任して以来、大晦日のコンサートは政府の功績を讃える演目が増えた。その中で、幹部を風刺する寸劇が披露されたのは異例だ。その翌日に発表された「中央規律検査委員会網」の文章のタイトルは「躺平式幹部(寝そべり幹部)は引き続き民衆を苦しめてはならない」であった。
躺平式幹部(寝そべり幹部)問題に習近平政権はかなり苦しんでいる。2021年11月も「中国紀検監察」雑誌が問題の深刻さに警鐘を鳴らした。報道によると、躺平式幹部(寝そべり幹部)は中央の指示に対して、口頭で承諾しても実際には何もしなかった。
スローガンだけ高らかに掲げ、会議だけをして、結果が伴わなかった、などなどと。とにかく幹部たちはできるだけなにもしないように忙しさを演出するようになった。
「躺平式幹部(寝そべり幹部)」を批判させたことは中共中央の指示だったのだ。躺平式幹部(寝そべり幹部)の問題が深刻で、中央政府も看過できなくなった。特に習近平政権の三期目が始まったばかりで、幹部たちの不作為は政権の安定をも脅かす。
1月9日、習近平の重要講話が公表された。中国共産党第二十回中央紀律検査委員会第二次全体会議で彼は「大きな政党だけが抱える難題」に言及し、文句さえ言っているように聞こえた。彼は六つの難題を列挙したが、そのうち、下記の三つが注目された。
「如何にして初心を忘れずに使命を心に刻むか。如何にして思想、意志、行動を統一するか。如何にして終始一貫、強大な施政能力と指導力を維持するか」
初心を忘れずとは共産党の歴史を心に刻んで、共産党の政権を護ると言う意味である。習近平の固い信念の一つだ。その本音は今の共産党員も含めて全国民が西側の価値観に染まるのを防ぐことだ。彼ほど中国共産党を信じる党幹部はいない。
思想、意志、行動の統一が課題とされたことは、そのすべてが統一されていないからだ。施政能力や指導力の一貫性も懸念しているようだ。
「難題」と発言したことは、常に自信満々の習近平が弱音を吐いているように聞こえる。自分が党のためにこれほど頑張っているにも関わらず、幹部たちは思想も統一できず、「躺平式幹部(寝そべり幹部)」に堕ちている。
改革派を一掃して、三期目にたどり着いた習近平は悔しいのだろう。習は今、中国全国人民代表大会と中国人民政治協商会議に向けて、人事計画や政策決定を始めているところだ。国務院などの重要部門の体制を整え、習近平が信頼する部下たちで固めるといわれている。だが、難題山積の習近平、悩みは尽きないだろう。