去る3月30日、「人民日報」に関する重大事件が暴露された。なんとその日に印刷された「人民日報」の発送はやめて、廃棄処分するようにと通知された。処分された数を報告し、その日に印刷された新聞の流出を禁止し、宣伝もだめと通知にはあった。
▽「人民日報」に何かがあったか?
第5ページに「团结奋斗是中国人民创造历史伟业的必由之路(団結と奮闘は中国人民が歴史的な偉大事業を創造するために歩むべき道)」というタイトルの文章が掲載された。その文の一句に「習近平」と言う重要な主語が抜けたままになった。この重大なミスを修正するため、その日に印刷された新聞が回収され、廃棄された。
問題になった句は「以习近平同志为核心的党中央审时度势(習近平同志を核心とする党中央が時勢を理解し)」であるはずが、「同志を核心とする党中央が時勢を理解し」になっていた。いまの中国では「同志」の意味が以前と違って、同性愛者を指すことばにもなっている。
だから一番大事な主語が漏れたことはまさに重大事件だ。宣伝にうるさい習近平政権には許せるはずがない。ネット版などはすでに訂正されたが、流出した廃棄版はコレクターのなかで人気だ。
中国政府や関係のマスコミも一切この事件に触れなかったが。事故と言うより事件の可能性が大きい。「人民日報」は筋金入りの政府部門で、記事から印刷までのチェックはかなり厳しい。三回の校正をし、また違う人間によって校正が行われる。その後また上級の責任者により承認のサインを得てからやっと印刷ができる。だから非常にミスが起こりにくい。
事件の原因については様々な憶測がでている。空論ばかりの文章に飽きて、チェックが甘くなったという説がある。また政府の言論規制で自動システムが「習近平」を削除したともいわれているが、考えにくい。もし現場にいる人々が故意に起こした事件であるなら、習近平政権の危機につながりかねない。
習近平が着任して以来、公にマスコミは党の舌とのどだという古い言葉を強調するようになった。だからもし、その舌とのどであった「人民日報」の内部で故意に事故を起こしたのなら、三期目の習近平への支持がいかに薄いかを示している。
言論や自由に対する制限を厳しくすればするほど反抗もつよくなる。人々の思想を縛ろうとすれば想像力は失われ、経済もダメになる。しかし、緩くすれば混乱を招く。三期目の習近平の新政権はまさにこのような悪循環に陥っているようだ。だから彼は抑圧と緩みのジレンマに陥っている。
マスコミに対してだけではなく、経済に関しても習近平の新政権がおなじような悪循環に悩まされている。習近平は二期目の五年間に、民営企業家を逮捕したり、合弁と言う名目で民営企業の株式上場を強引に制限したりして、民営企業の発展を制限してきた。また民営企業にも必ず党支部を置くように強要してきた。
アリババのような大きな民営企業も逃れることができず、会長ジャック馬は退任に追い込まれ、会社を六分轄させた。しかし、三期目に入り、習近平は「民営企業と民営企業家は内輪だ」と繰り返し強調するようになった。側近の新国務院総理の李強も同じことを繰り返して、民営企業家に中国とアジアの経済を推進するよう呼びかけた。
李強は3月30日のボアオ・アジアフォーラムで演説をして、民営企業や外資に対して支援する姿勢を示した。しかし、彼が言ったことは本当に実現できるかどうかは世論も含めて疑問視されている。
彼が国務院総理に着任したすぐあとに、「国務院の工作(仕事)規則」を大きく修正した。一番大きな特徴は毛沢東、鄧小平の名、江沢民と胡錦涛の思想や理論を全部削除した上、習近平だけを追従するようにと強調。国務院を国家事務ではなく、党の指導を忠実に実行することを責務と決め、「重大決定と重大事項及び重大状況を即時党中央に報告する」と求めた。
つまり、李強はこのような方式で国務院を習近平の指導下に置いて、習の指示を執行する機構に格下げした。これで今後、李克強が再任中のように国務院が習氏に反対を唱えることはできなくなると知り合いの中国政治専門家は嘆いた。
三期目に入り、経済の復興は習近平の急務である。経済は自由の政策環境と規制の少ない市場がないと発展できない。これもすでに中国共産党の七十年を超える歴史が証明済みであるが、いまの習近平は市場経済を放棄しながら、国営企業を主体とする計画経済への逆行を加速している。
いまになつて内外の投資家に中国の市場をあなたたちに開放すると言いながら、在中国の外国企業に法外の罰金を課し、個人企業家や外国人ビジネスマンをわけも告げずに逮捕している。まさに鞭を振り回しながら、来て投資して儲けさせますと言っているようなものだ。
先日、岸田総理大臣が中国駐日本大使の離任挨拶を断ったと話題になった。多くの日本国民は外交儀礼上、岸田総理は退任の中国大使に会うべきだと思った。しかし、外交儀礼は相互になければならない。
訳も言わずに日本人を外交カードとして逮捕するような国は外交儀礼に従っていると言えるだろうか?すべてのことに対して、政治のために法も平気で繰り返し破る国に対して、礼儀は通じると思えない。邦人が不当逮捕された事件に、日本政府と日本人はもっと怒るべきだろう。