前総書記の胡錦涛が今年3月に開かれた中国共産党20回大会で、強引に会場から連れ去られた映像は世界に衝撃を与え、未だに余波が収まらない。整然と日程をこなすものでなければならない共産党大会は、この一幕で台無しにされ、同時に、習近平の冷酷さが露わになった。習近平は共青団(中国共産主義青年団)派との不仲ぶりを公にし、それは今も続いている。
一方、党大会の会場で中国最高指導者の最有力候補であったはずの胡春華が両腕を組んで一人だけで座る孤立した写真も話題となった。習近平はこの5年一度の大会で、共青団派を一掃した。
当時の李克強国務院総理、汪洋全国政治協商会議主席及び胡春華国務院副総理が定年年齢に達していないにもかかわらず、引退あるいは辺縁に追いやられた。
もっとも理解不能なのは胡春華に対する人事であった。共産党トップ7人といわれる政治局常務委員会入りできなかったばかりか、それより格下でそれまでは就いていた政治局委員からも外された。
その政治局委員のリストには異変があった。慣例であれば、政治局委員の人数は奇数になる。投票のときに賛否が明確にならなければならないからだ。しかし、習政権は今回、任命した政治局委員の数は24名であった。これでは賛否が同数になる可能性ができてしまうし、最後の最後に胡春華が外されたため異例の偶数になったのではないかとの観測が広がっている。
前総書記の胡錦涛はその場で胡春華が入っていない政治局委員のリストの異変に気付き、確認しようとして、強制的に退場させられたのだろう。もともとは、政治局委員のリストに胡春華の名があったのだろう。自分が所属した共青団派を護る一心の胡錦涛が事前にそう打診され、了承していたのだろう。
しかし、実際にはそのリストに愛弟子の胡春華の名はなかった。胡錦涛が会場で怒り出した原因で、そばに座っていた栗戦書がリストを断固として胡錦涛に見せなかったわけである。
胡春華が指導部から排除されたのは共青団派に属していたからだけではなく、ポスト習の中国最高指導者の一番有力な候補だったからだろう。習氏の前の前の最高指導者だった江沢民が習氏を後継者に指名したように、胡錦濤が胡春華を指名していた。
だから慣例に従えば、今の中国最高指導者は胡春華であったはず。しかし、習近平は彼を飾り物の「花瓶」だと揶揄されがちな、政治権力の乏しい政治協商委員会に追いやった。その上、侮辱するかのように20人以上もいる副主席のひとりにした。有能の人材を忌む習近平の心の狭さと長期政権の野心が露わになった。
周知の通り、習近平は着任してから、自分の競争者とみなした人間を監獄に追いやったり、辺縁に追いやったりし続けた。日本でも将来の最高指導者候補だと噂された薄熙来を始め、孫政才元重慶党委員会書記。さらには、現天津市トップの陳敏爾や胡春華がいま置かれているポストを見れば明白である。
陳氏は習近平派で側近だったにも関わらず、7名の政治局常務委員会入りも果たせなかった。胡春華が腐敗を名目に粛清されなかったのは、彼が「小心翼々」と見えるほどに慎重にふるまい、汚職や賄賂など腐敗問題から距離を置いたからだ。習氏に露骨にゴマをすったこともたびたびだった。
自分を守るべく、つい4月3日にも、胡春華は習近平に忠誠を示す発言の要約を「人民政協報」というサイトに公表したばかり。わずか1560語の発言要約に、「習近平」の名前が12回も語られた。これまでも胡春華は習近平に同じようなシグナルを送り続けたのので、監獄送りにならずに済んでいるのだろう。
4月12日、紅二代(親子で共産党幹部を務める)である元中国人民解放軍上将、中央委員などを歴任した劉亜洲を批判する文章が「紅色文化網」(中国紅色文化研究会の公式ネット)に掲載された。劉氏を軍隊のなかの最大の売国奴と呼ぶ、殺気だった文章だ。
劉亜洲は故中国国家主席李先念の婿で、その妻はかつて中国人民対外友好協会会長の李小林であった。夫婦とも普遍的な価値を重視し、紅二代の中で開明派だとみなされた。しかし劉亜洲は習近平に反対の発言をし続けたことで、2021年の末頃に忽然と消息が途絶え、失踪した。
今年3月末には汚職などの罪で取り調べを受けていると香港の日刊新聞・明報が報道した。「紅色文化網」の批判記事は劉亜洲が逮捕されて、取り調べを受けていることを証明したようなものだ。
報道によると、劉亜洲にはまもなく判決が下り、金や汚職などの罪名で終身監禁の刑を下されると推測されている。汚職などは見せかけの理由で、本当は習近平の三選を阻止しようとしたので、逮捕されたと伝えられている。
劉亜洲は政治的な野心があると習近平が内部で語ったと「インターナショナルラジオオブフランス(RFI)」が報じたことがある。これこそ劉亜洲が失踪した本当の理由であろう。
「(共青)団派は党中央を占領した」と失脚した薄熙来が、仲良かったころの習近平に語ったという。2人のような紅二代には、中華人民共和国は自分の親たちが命をかけて勝ち取ったもので、自分たち以外の人が最高権力の座に座っても一時的に任せている「執事」にすぎなくみえるのだろう。
だから薄氏は、共青団派など外部の人間たちが30年近くも中国の最高指導部である党中央を牛耳ったことへの不満を習氏に漏らしたのだろう。習氏も同じ考えで、だから李克強と対立し、胡春華を辺縁に追いやった。
自分を権力の座に押し上げた恩人、胡錦涛を冷たく扱った。だが、江沢民と胡錦涛の時代は中華人民共和国が一番栄えた時期であった。中共政権は共青団派によって変色したと習氏を推す一部の紅二代たちは考えているのだろう。
そもそも共青団派が一掃されるのは時間の問題だったのだ。習近平など一部毛沢東を崇拝する紅二代にとっては、執事から権力を取り戻したにすぎない。それを習氏が行動をもって証明しているのではないだろうか。