ブラジルでは10月30日(日)に大統領選の決選投票が行われ、ルーラ元大統領(77)が現職のボルサナーロ大統領(67)を破って当選した。
得票率はルーラ元大統領が50.9%、現職のボルサナーロ大統領が49.1 %の僅差であった。再選を目指した現職の大統領が敗れたのは1985年に軍政から民政移管となって以降初めてのことだ。
ボルサナーロ大統領は奔放な行動、奇矯な発言などから「アマゾンのトランプ」と称されてきた。大統領選挙でルーラ氏に敗れてもトランプ氏と同様にその結果を認めないとも恐れられてきた。現在のところ、敗北結果についてのコメントもないのが不気味ではある。
ルーラ氏は、大統領選に3度挑戦して敗れたのち、2003年から2期8年にわたって大統領を務めた。ブラジルでは大統領の三選が禁じられているので、官房長官を務めていたジルマ・ルセフ氏を指名し、ルーラ氏が築いた好調な経済を背景にルセフ氏が後任の大統領に座に座った。ルーラ氏は退任時点でも90%近い支持率をキープする人気を誇っていた。
ルーラ氏は貧しい農民の一家に生まれ、わずか12歳で働き始める。靴磨き、製鉄所や自動車工場の工員などを経て、ブラジルが軍事独裁政権下にあり、ストライキなどが厳しく禁止されていた時代にストの首謀者として投獄されたこともあった。次第に労働組合運動に本格的にかかわることとなり頭角を現してきた。
1980年に労働者党(PT)の旗揚げに参加、政治運動を本格化させる。サンパウロ州知事選に出馬し敗れた後も、1994年、1998年の大統領選に出馬して敗れた。しかし、三度目の大統領選となる2002年には5千万票を越える大量得票で大統領に選出された。
大統領時代には左派労働者党の出身であったため、バラマキ型政治を懸念されたが、実際に就任すると、貧困層に対する現金給付制度の創設など貧困層向け対策もとった一方で、公務員の年金制度の改革などを通じて財政赤字の削減に努めた。在任中は一貫して現実的な路線を取って経済界や中間層からの支持も集めるに至った。インフレ抑制にも成功した。
しかしながら、ルーラ氏は大統領退任後に在職中の収賄、資金洗浄など複数の罪で2016年に起訴された。2017年有罪判決を受けて、2018年1月に禁固12年の判決が下り、収監された。しかし、2021年3月に連邦最高裁は「訴訟を審理した裁判所に管轄権がない」との理由から上記判決を無効としたうえ、同年4月に有罪判決の取り消しが確定した。
これによってルーラ氏は2022年の大統領選に出馬を表明した。ボルサナーロ大統領との事実上の一騎打ちとなって今回の決選投票で勝利、来年1月にふたたび大統領に就任することとなった。
ルーラ氏が今後、経済ならびに外交政策についてどう出てくるのか、大統領選挙中の公約を振り返って将来を占いたい。まず経済面では労働者層の支持で当選してきただけに主要施策として労働者、貧困層の保護が筆頭にあげられよう。
貧困対策としては「3千万人のブラジル人が食糧不足に喘いでいることは許せない」として低所得者向けの補助を拡大させる公約をしている。貧困者救済、社会保障の充実、必要なインフラ整備などの支出を増やすために憲法で定められている財政支出の上限枠撤廃を訴えている。
金融政策については二桁台を続ける物価の高騰を抑制するために政策金利を13.75%に引き上げたことが失業の増大につながったと批判している一方でブラジル・レアル安の修正が物価抑制に必要とのスタンスを打ち出した。
そもそもルーラ新大統領はボルサナーロ前政権の新自由主義的な市場重視から遠ざかり政府を経済活動の中心に据えるモデルへと変換したい意向を示している。典型例はボルサナーロ政権が民営化方針を打ち出していた国営石油会社ペトロブラスや、国営電力企業エレトロプラスなどの民営化反対の意向表明である。
ペトロブラスについては国際市場に連動した価格政策に反対してブラジル独自の価格政策(つまりガソリン価格が国際的に高騰していても国内の消費者に配慮して引き上げを抑制するなどの政策)を採用すると公約している。
さらにブラジルの国益を守る観点から外資を締め出して国内企業による鉱山開発を奨励するなどのナショナリスティックな政策も盛り込まれている。一方で、ボルサナーロ政権時代に進んできたアマゾンの熱帯雨林の破壊を押しとどめるなど、環境問題には積極的に取り組む姿勢だ。
前記のように2003年から8年間に亘る大統領在任中も左派労働党政権であるため、社会主義的な政策の採用が懸念された。しかし、実際には財政規律等に配意した現実的な経済政策を打ち出した。
今回もボルサナーロ大統領と選挙で争うために社会主義的な政策を打ち出してきたのは事実だ。選挙戦を通じて経済界や中間層からも大きな懸念が表明されてきた。しかしながら、今回も前回の政権時代と同様に経済政策としては現実路線を歩むものとみられている。
これから欧米がリセッションに向かい、ブラジルの景気もつれて苦境に陥りそうなことだ。一方でインフレ抑制も重要課題だ。政治面では、議会ではルーラ支持の左派連合の議席数は全議席の1/4程度に過ぎず、中間派等との妥協をしなければ政策を推し進めることが出来ない。ラジカルな社会主義的政策は脇に置かざるを得ないのではないか。
いずれにしてもルーラ政権の課題は、1960~70年代におけるブラジル高度成長時代に記録した6~7%の実質成長に戻るのは無理としても、1~2%台の低成長から抜け出すことだ。そのためには生産性の改善やブラジルコストと呼ばれる高コスト構造を改める構造改革が不可欠である。
外交政策面で米国などから強く懸念されているのは中南米でブラジルがメキシコ、アルゼンチン、チリ、ペルーなどと同じく左派政権の手に落ちたことだ。中南米全体としても最大の人口を誇るブラジルが左派勢力に加わって、対米関係の緊張が高まることやロシアのウクライナでの戦争に対する非難が弱まることを懸念する声がある。
トランプ米大統領の首席補佐官を務めたバノン氏らがその脅威を訴えてきた。もっとも、親米であったボルサナーロ政権もロシアのウクライナ侵攻に中立的な立場を取り経済制裁には参加していない。
確かにルーラ氏の外交関係の公約を見ると、中南米諸国とアフリカ諸国との南南協力推進やメルスコール、南米諸国連合(UNASUR)との関係強化など地域重視をうたっている。米国と距離を置きつつ、貿易関係の深まっている中国とも密接な関係を維持したいと考えているとの観測もある。
ただ、バイデン米大統領は「ブラジルの大統領選挙は自由、公正で信頼できるものであった」と付言して祝電を打ったほか、マクロン仏大統領も「ルーラ氏の勝利はブラジルの歴史に新しいページを開いた」と祝辞を寄せている。前回の政権時と同じように米国、EUなど西側諸国やロシア、中国とも親交を持つ多角的な国益重視の外交を展開していくのではないかと思われる。