ミャンマーで2月1日に発生したクーデター後、軍事政権は民主化を求める抗議デモ隊への殺戮を繰り返している。国連高等弁務官事務所等では、少なくとも50名が死亡して1,700名以上が拘束されていると伝えている。
19歳の女性が頭を打ちぬかれて死亡したが、警察はその墓を掘り返して「警察の銃で使用している弾丸ではない」と強弁して一層の抗議にさらされた。ちなみにミャンマーでは国軍が警察を所管する内務省も支配しており、警察は国軍別動隊とみなされている。
そもそも今回のクーデターは昨年11月8日の総選挙でアウンサン・スー・チー国家最高顧問が率いる国民民主連盟(NLD)が改選議席476議席のうち396議席、議席シェアーで83%を占める圧倒的な勝利を収めたことから発している。
これに対して国軍系の野党である連邦団結発展党(USDP)は「総選挙において大規模な不正があった」とNLDを批判した。これを受けて国軍も公正な選挙のやり直しまで一年間、アウン・サン・スー・チー氏ほかNLD幹部を除外した上、政権を掌握する、としてクーデターを引き起こした。国軍は「1年後に公正な選挙をやり直すまで政権を預かる」との意向を示している。
国軍は今回の政権奪取は合憲との立場だ。なぜなら国軍出身の副大統領の下で非常事態宣言を発令、ミン・アウン・フライン国軍司令官が憲法418条の規定(非常事態宣言が発令されると、司法、立法、行政の権限は国軍司令官が掌握するとの規定)に基づき、権力を掌握したからである。
アウン・サン・スー・チー国家最高顧問は自宅軟禁となり、さらに無線機の不法輸入など数件の罪で禁固3年の刑を求刑された。国軍としては、公正な選挙のやり直しを表明しながらスー・チー女史を二度と政治の表舞台に立たせない作戦だ。
ミャンマーの国軍は、東南アジアでは最大級の規模を誇り、国軍出身とはいえ民主化を図ってきたテン・セイン政権が誕生するまで1962年から2011年までの過去50年近くに亘って軍政を敷いてきた。
なぜ、国軍は国際的な非難が必至であるクーデターに踏み切ったのか。ひとつの説は11月の総選挙で国軍系の連邦団結発展党(USDP)が勝利すると確信していたのに、不正選挙により敗れたと信じているというものだ。米国のトランプ前大統領を彷彿とさせる。ちなみに選挙管理委員会は、選挙不正はなかったとして選挙の有効性を主張していた。
アウン・サン・スー・チー政権が国軍の意向に沿わず、全く国軍との対話も避けてきたことをクーデターの根拠に挙げる向きもある。議席の25%を国軍が自動的に占めるという制度下では、民主派勢力が求める改憲による国軍勢力の一掃は難しいとみられる。
しかし、圧倒的な支持を得たアウン・サン・スー・チー政権であればやりかねないとの恐怖があったとの解説もある。今年で65歳の定年を迎えるフライン将軍としても自分のいる間に軍政を敷いておきたかったのかもしれない。
米国はヒラリー・クリントン国務長官がアウン・サン・スー・チー女史と面会して以来、経済制裁を解除して民主派勢力の支持を鮮明にしてきた。バイデン大統領も今回のクーデターを強く批判して、12名のクーデター首謀者や国軍保有企業に対する制裁を発表した。英国、カナダも同様の制裁を課した。
しかし、中国はロシアとともに国軍に武器を供給し続けてきており、国軍への批判を避けている。ミャンマー最大の貿易相手であるアセアン諸国はスー・チー女史の軟禁を批判しているものの、軍事政権を厳しく批判することには及び腰である。
もともと、ミャンマーの国軍は40万人とアジアではベトナムに次ぐ規模であり、軍事費は全予算の一割を占めている。警察も加えれば50万人に達する。さらに国軍関連企業はミャンマーの経済で大きな地位を占めている。
振り返ってみると、ミャンマー国軍は2017年に行われたロヒンギャの掃討作戦では大量の殺戮、放火、強姦などの暴挙に出た。国際司法裁判所では2020年に大量虐殺などに対する裁判で「虐殺(ジェノサイド)阻止」を命令した。
スー・チー女史は自らハーグの法廷に出廷してロヒンギャ問題は「内政上の武力衝突」として今回のクーデター首謀者であるフライン将軍を擁護した。このため、アムネスティーやカナダ政府がスー・チー女史に授与した賞を剝奪した。
国内世論も異教徒ロヒンギャに対しては厳しいという背景があったと言われる。ただ、スー・チー女史の対応は政権維持のためのご都合主義という国際的批判を高めてしまった。今回は、その虐殺行為を擁護した国軍に裏切られることになった。
ミャンマーの内政、国内経済は大きな混乱状態にある。NDLを母体とした臨時政府の樹立を図っているものの、1,500名に及ぶと言われる多くの党関係者が拘束されたうえ、処刑されているとの観測もある。
民主派勢力からは国連や外国政府による軍事介入を求める声があがっている。たしかに2011年リビアのカダフィー政権下での熾烈な内戦時に国連軍が派遣された実績はある。しかし、安保理事会のメンバーである中国やロシアはクーデター批判の声明発出に反対をしており、まずその可能性はあるまい。
ただ、中国の立場は微妙である。中国にとってミャンマーは第二次大戦中の「援蒋(えんしょう)ルート」として米国からの軍事物資を運び込んだように地理的に重要である。現在もマラッカ海峡を通らずにインド洋から直接、石油、天然ガスを中国内陸部までパイプラインで運びこむプロジェクトを推進している。そこでの無用の社会的、経済的混乱は1,000億ドルを超えるプロジェクト規模だけに頭の痛い問題である。
経済状況をみると、抗議デモ、出勤拒否などから実質的に生産・消費活動は縮小の一途だ。いま、民主派勢力は公務員や銀行員が出勤を拒否しており、行政や金融機能は停止状態にある。銀行のATMから現金を下ろすこともできない。さらにスーパーストアなどでは一般国民による国軍関連企業の生産した商品のボイコットも続いている。
かつてヤンゴン詣でと呼ばれたほど、欧米や日本の企業が豊富で賃金コストの低い労働力に魅かれてミャンマー進出を続けた。たとえば、コカ・コーラや国際石油資本のトタル(仏)、ENI(伊)などの世界的企業が顔を揃える。これら企業が国軍企業との取引を拒否するとか、フランスなど欧米の現地商工会議所は、国軍が求めてきた面談を拒否する、との声明を出した。
このようにミャンマー国民が一種のゼネストで国軍の圧力に屈することを拒否するとともに、欧米先進国、日本が政府ベースでの強力な経済制裁に加えて民間企業でも国軍の協力要請を断る、といった国内外の地道な抵抗によって民主主義を守り抜く姿勢を示すことで、軍事政府の政治的影響力を少しでも削いでいくことが肝要であると思われる。