EUというと、個人情報保護や地球温暖化防止などで最先端をいっているというイメージだ。とくに米国のトランプ前大統領が米国第一主義で温暖化防止などに無関心であったため、EUは世界的な課題に対するルールメーカーの観があった。
しかし、最近の動きをみると、やはり国益というか欧州の利益最優先で動いている、ということがはっきりしてきた。
外電等で伝えられているところによると、EUは、原子力と天然ガスによる発電を金融市場で持続可能な投資と算定することができる「グリーンな活動分野」に分類する模様である。EUでこの問題を議論してきた欧州委員会では、原子力発電を今後20年、天然ガスを今後最低でも10年に渡って持続可能なファイナンスに分類する、いわゆる「EUタクソノミー」に計上することで準備を進めている。
EUタクソノミーとは、企業の経済活動が地球環境にとって持続可能かどうかを判定し、グリーンな投資を促すEU独自の仕組み。温室ガス排出量の80%を占める企業が対象とされる。これによって、EUは主要国の規制当局の中で初めて何が持続可能な経済活動かを決定するとともに金融セクターにおけるグリーンウォッシュの動きを根絶することを狙いにしている。
EUの起草案ではEUからみたグリーン適正のお墨付きを一定環境の下で原子力発電、天然ガスに授与することになっている。フランスを先頭にした原子力発電に賛同するグループと発電量の多くを天然ガスに依存する東欧諸国がタクソノミーから原子力、天然ガスを除外すべきでないと声高に訴えていたのが功を奏した形だ。
原子力発電は温暖化ガスを排出するわけではないが、危険な廃棄物を生み出して放射能感染リスクにさらす恐れがある。天然ガスによる発電は、伝統的な化石燃料である石油・石炭に比べて汚染度は著しく低いとはいえ、二酸化炭素を製造するのは間違いない。
この二種類のエネルギー源をグリーンな熱源と認定してタクソノミーに分類するか否かは大きな論争を生んできた。しかし、欧州諸国の間では、天然ガス価格の急騰によって電力料金が記録的な水準まで大きく跳ね上がるのを見て、現実的な選択をすべき、との議論が勢いを増してきた。
起草案では原子力発電は、EU加盟諸国が有毒廃棄物の安全な処理を確約し、かつ環境に対して著しい損傷を与えないという基準に沿っている限り、持続可能な経済活動として検討される、としている。原子力発電所の新規建設は少なくとも2045年までグリーンと見做されて承認される。
天然ガスへの開発投資は、「過渡的な」エネルギーとして承認される。しかし、それには二酸化炭素の排出量がキロワット当たり270g以下である、伝統的な化石燃料の代替として使われる、などの諸条件が課せられる。
タクソノミーの起草案は、EU加盟国ならびに欧州議会の多数決によって承認される。今のところ、各国政府は賛同する見通しである。もちろん、環境団体からは激しく批判されている。
またドイツで連立政権に加わった「緑の党」も反対の声を挙げているのも無視しえない。緑の党から入閣したハベック経済相は「このようなグリーンウォッシング(原子力と天然ガスをグリーンとみなすのは見かけ上、温暖ガス排出に努めたとしているだけ)が金融市場で許容されるとも思えない」「タクソノミーのルールにこの二種のエネルギーを計上すべきではない」と反対を鮮明にしている。
これに対してフランス政府では電力供給の2/3を原子力に依存しているため、当然にして賛成の急先鋒である。
フランスのEU代表であるブレトン氏は「原子力発電ならびに天然ガスをタクソノミー認定することは2050年にゼロ・エミッション(温暖化ガスの排出量をゼロにする)のEU目標達成を助けるもの」とコメントしている。同氏は「天然ガスも必ずしもベストの選択でないことは分かっている。しかし、過渡期の対策として石炭を使い続けるよりもグリーンな技術と言える」と現実的な姿勢を示している。
ドイツの連立政権でも自由民主党の党首から入閣したリンダ―財務相も、天然ガスが一定の制限の下で新規プラント建設が許されるのは「ドイツは石炭と原子力発電を諦めた以上、我々にとって現実的な選択肢を可能にした」と肯定的なスタンスを示している。ちなみにドイツでは2011年の福島第一の原発事故によってメルケル首相(当時)が原子力発電を放棄する方針に転じている。
結局、天然ガスの高騰による電力代の大幅値上げが国民の生活を直撃したことや、原子力大国であるフランスの利益がこのような「過渡期」対策としての天然ガス、原子力発電を当分の間「グリーン」と見做すという現実的な選択にいたったものである。
一方で、日本が得意とするプラグイン・ハイブリッド車を2026年以降除外する方針は堅持している。欧州自動車メーカーが競争力のあるEV化に持っていくというEUの利益追求が最優先されている。
いずれにしても、電力料金の高騰を抑制したいという政治的な動機によるこのような「現実的な選択」で、2050年にゼロエミッションを達成するというパリ協定の達成から遠のくことは確かである。