EUがロシアからのエネルギー輸入に厳しい姿勢を強めている。ウクライナでの戦争勃発以来、EU諸国がロシアに対して支払ったエネルギー代金が370億ユーロ(約5兆円)にも達しており、ロシアの戦費調達の主要な源泉となっている、と内外から批判されているからだ。
しかし、EU当局では経済的見地よりも戦争犯罪をも疑われるロシアの軍事活動に対する轟轟(ごうごう)たる国際的な非難を前に人道的見地からもロシアからのエネルギー輸入停止に動かざるを得ない。
フォンデアライアン欧州委員長はまず、石炭、続いて石油を年内に、その後、天然ガスについても輸入停止の検討を始めたことを明らかにしている。確かにロシアからの依存度を下げるための代替手段、消費節約の現実的な実現性の見地からもロシア産の依存度を下げる容易さでは石炭、石油、天然ガスの順番となる。ドイツの政府高官も石炭、石油については年内停止に目途をつけた、と表明している。
注目は域内経済で最大のドイツの動向である。天然ガスの輸入停止についてはドイツがロシア産天然ガスの依存度が極めて大きく、EUがロシアからの輸入停止を実現できるかはドイツの動きにかかっているからだ。ちなみにドイツは昨年におけるガス輸入の55%をロシア産に依存している(現在は40%に低下)。ちなみに石炭は55%、石油は35%とやはりロシア依存度は大きい。
ドイツのショルツ首相は親露政策で知られる社民党出身ながらロシアに対する厳しい対応で世論の支持を集めた。とりわけ、運転認可を待つだけになっていたノルドストリーム2の棚上げに踏み切ったことは内外から評価を集めた。しかし、そのショルツ首相も連邦議会で「ロシアへのエネルギー依存は数十年もかかって構築されてきた。これを一日や二日で断ち切ることはできない」とロシアからの天然ガスの全面輸入停止には慎重な姿勢を崩さなかった。
2019年6月、当時のトランプ米国大統領は「ロシアとのノルドストリーム2プロジェクトは廃止すべきだ。ロシアはドイツから莫大な資金を得ている」と当時のメルケル首相を厳しく批判した。彼の演説で唯一共感できる内容であったことを覚えている。
ロシアがブッチャなどで戦争犯罪と思われる行為に走り、さらに東部ドンバスなどウクライナ南部地域での攻勢を激化させている。欧州諸国では人道的見地からも「ロシアへの輸入代金支払いがウクライナでの戦費に充てられてしまう」ことを防ぐためにロシアからのエネルギー輸入停止を叫ぶ声が強まっている。ドイツも例外ではない。
反対にロシアが経済制裁に対する報復措置として欧州へのガスの輸出を一方的に停止する事態もあり得る。そうなった場合のドイツ経済への悪影響も計り知れない。しかし、欧州理事会のミシェル議長(元ベルギー首相)は「遅かれ早かれEUはウラル原油の輸入禁止を検討しなければならない」と断言した。
いずれにせよ、世界でも優秀な工業製品の生産で知られるドイツは第二次大戦後最大の危機を迎えることになる。当然のことながら経済界はこのような輸入禁止措置はドイツ経済の崩壊をもたらすものと真っ向から反対してきた。ブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)も全面禁輸となった場合、ドイツのGDPは2022年、2023年と-5%のマイナス成長に陥るとの論文を発表した。
ドイツのシンクタンクではEUによるエネルギー全面禁輸措置が講じられれば、ドイツの生産は2.2%減少して40万人の失業者を生むと推計した。ドイツは2022年ならびに2023年に2,200億ユーロ相当の生産を失うが、これはGDP比6.5%に相当する、との試算も発表されている。
そもそもドイツ経済はコロナ感染からの立ち直りで出遅れている。2021年第4四半期のGDPはマイナス成長に終わった。ドイツは自動車、化学を中心に世界的なサプライチェーン混乱の影響を大きく受けたからだ。ドイツは欧米先進国で唯一、コロナ感染が起きる以前の生産水準を回復していない。
しかし、ドイツはエネルギー供給でどうしてここまでロシアへの依存を強めていったのだろうか。その起源は西ドイツとソ連の間で1970年に締結された歴史的な協約にある。すなわち、西ドイツがソ連の天然ガスの購入代金としてスチールパイプを供与する、これによりソ連は輸出インフラとしてのガスパイプラインを建設できる一方で西ドイツは安価なガスを入手できるようになった。
ソ連によるアフガン侵攻で東西の緊張が沸点に達するほど強まっていた時でもソ連はドイツへのガス供給を続けて信頼できるサプライヤーとしての評価を勝ち得た。
さらにアンジェラ・メルケル首相の時代を迎えて、ドイツは福島第一の放射能漏れを契機に2011年に原子力発電の段階的削減と石炭火力発電の全廃を決定した。とはいえ、再生エネルギーに置き換わるのには時間がかかるため、比較的に排出ガスの少ない天然ガスにそれまでのつなぎの役割を果たしてもらう、というのがメルケル政権のエネルギー戦略であった。
しかし、こうしたエネルギー戦略は、天然ガスに替わるあらゆる代替エネルギーを拒否することに等しい。その結果、ロシアへの過剰なエネルギー依存が生まれた。
ロシアがグルジア(現ジョージア)に侵攻、シリアに介入、クリミアを併合する、といった事態が起きても東部ウクライナで分離主義者の運動が活発化してもドイツはロシアへのエネルギー依存を深めていった。
メルケル首相はノルドストリーム2のパイプライン敷設を支援しただけでなく、エネルギー関連の基幹セクターをロシア企業の手に渡してしまった。例えば、旧東独地域にある製油所をロスネフトの支配下に収めさせ、さらに欧州最大のガス貯蔵施設をガスプロムの経営に委ねた。いずれもロシアがクリミアに侵攻した後に起こった出来事である。
一方でドイツは今後数十年に亘ってロシアの天然ガス供給を恒久化させるような決定をしてきた。ノルドストリーム1ならびにノルドストリーム2を通じたロシアからの天然ガスのパイプラインを通じた供給体制の強化を図った。これによりLNG(液化天然ガス)の輸入用ターミナル建設の機会を完全に奪い、エネルギー供給源の多様化を図る可能性を自ら潰してしまったのである。
いまやロシアとの緊密な関係を構築してきたドイツの政治家は国内外で批判を浴びている。シュタインマイヤー大統領は、メルケル政権で外相を務め、ロシアとの緊密化に走った。ウクライナのゼレンスキー政権は、彼がウクライナの首都キーウを訪問したいとの希望をロシアとの融和的立場を続けてきたことを理由に拒否してきた。シュレーダー元首相はノルドストリーム、ロスネフチの役員に収まり8億円を超える年収を得てきたことに身内である社民党内からも厳しい批判が出ている。
エネルギー問題でのロシア重視はドイツの歴代政権によって継承されてきたものである。この起動力となったのはたんに安価な天然ガスが手に入るといった経済的誘引だけではない。むしろ、政治的な誘因に引きずられてきたと言ってよい。それは貿易関係の緊密化を通じた相互依存関係の高まりはドイツ=ロシアの緊密な関係を強化、ひいては安全保障の強化につながるといった考え方が根底にあった。
現在、ドイツ政府は1970年代の中東諸国による石油禁輸に対応して取られた三段階の警戒措置の第一段階を宣言している。この段階では、石油の供給は病院と家計を優先、産業界は大幅な消費削減を強いられることになる。石油多消費型の化学、自動車、鉄鋼産業などでは反発を強めている。
とは言え、一方でBASFなどの代表的な企業は、エネルギー消費削減のために閉鎖が可能な事業所、生産ラインのリストアップに動いている。小売業界でも節電、冷暖房の温度調整などを具体的に検討している。
ドイツ政府ではロシア産ガスを代替する他のエネルギー源への移行を模索している。緑の党の重鎮でもあるハ-ベック経済相はカタールに飛んで長期LNG供給契約の締結について要望した。ハ-ベック経済相は三基のLNG洋上貯蔵庫の建設、初の大規模LNGターミナル建設(年間ガス化能力は80億立方メートルとドイツ消費量の8%強)などを通じて年間270億立方メートルの新規供給を確保したいとしている。
ドイツ政府は風力発電や太陽光発電などの再生エネルギーのシェア増大に努めている。しかし、ロシアからの天然ガスの輸入削減に備えて同国の石炭火力発電を2030年までに段階的に廃止していく計画の棚上げも視野に入れはじめた。連立政権を構成する環境問題重視の緑の党にとっては苦い決断となる。
ハ―ベック経済相はロシアのウクライナ侵攻後、ロシアからの石炭輸入シェアを従来の55%から25%に、石油輸入を35%から25%に、天然ガス輸入を55%から40%に削減したいと表明した。その後、石炭、石油については年内にも輸入停止に向かう一段と削減スタンスを強化した。ロシア産天然ガスについても2024年央までに全面輸入停止の方針を示した。逆に言えば、仮に遠大な目標を達成しえたとしてもロシアからのエネルギー供給依存を脱するのに3年はかかるということになる。
しかし、ケルン大学や民間シンクタンクからは、このような意欲的な政府目標の達成に否定的な見解も示されている。とくに天然ガスについてはノルウェーからのパイプラインによるガス供給、ロッテルダム、ダンケルクなどの港湾における輸入ターミナルの建設などの大型工事が必要で、さらに産業界での厳しい消費節約を課さないと達成できないと論じている。
米国のイエレン財務長官は、かつてロシアからの早急なエネルギー禁輸は欧州経済にとって大きなダメージを与えるとエコノミストの立場から警句を発していた。しかし、人道的見地からもロシアの糧道を断つべきとの議論が高まっている現在、そうした経済的得失からの議論も難しい。
ドイツとしてはロシアからのガス輸入を最大限絞る政策を実施していくのであろう。その場合、ドイツ経済は工場での生産停止や労働者の解雇などでダメージを免れない。エコノミストからはこうした事態に備えて操業停止や時短を強いられた企業に資本注入をする、失業者には失業手当等を通じた所得補償をする、といった新型コロナ対策で経験した社会政策も必要だ、との議論も出ている。
一方でドイツでは最強のIGメタル(金属労組)がインフレの高騰を背景に8.2%の賃上げを要求、長らく懸念されていた賃金=物価の悪循環も視野に入り始めた。エネルギー供給の削減による成長率低下も加わっていわゆるスタグフレーションに陥るリスクも高まってきた。ショルツ政権は難しい対応を迫られてこよう。