英国経済が力を失ってから久しい。国際通貨基金(IMF)によると、今年の実質成長率は-0.1%と主要国の中で唯一のマイナス成長に陥る見通しだ。コロナ禍からの立ち直りも他の先進国に比べて大きく遅れている。英国予算責任局(OBR)も「EU離脱によって長期的にみて国内総生産を4%下押す結果になった」とのグルーミーな試算を示している。
とくにインフレの高騰が深刻だ。物価上昇率は10%の大台を4か月連続で越えるという欧州の中でも最悪の部類に入る。とくに電気、ガス代等のエネルギー価格や食料品などが急騰して、大衆の生活を直撃している。こうした中で、鉄道、バスなどの交通機関、病院の看護婦他など公共部門を中心に大規模なストライキが起きている。ストライキ参加者が50万人を越え、彼らは10%を越える大幅な賃上げを求めている。まさに「欧州の病人」と呼ばれていた時代の英国に戻った観がある。
英国経済の地盤沈下の大きな理由は、EU離脱にあるというのがコンセンサスになりつつある。英国では2016年に国民投票でEU離脱派が僅差で勝利、その後、紆余曲折を経て2021年1月末に正式にEUを離脱した。最大の貿易相手であるEUとの貿易が、EU離脱となって検疫や通関検査に多大の労力を費やさざるを得なくなって、貿易量は輸出、輸入の双方向で停滞を続けている。
当初はニューヨークと並ぶ国際金融都市であるロンドンの地位は揺るがないとみられていた(筆者もそうした見解に賛同していた)ものの、いまや証券取引はパリ、フランクフルトに肉薄ないし追い抜かれている。
英国人が懸念しているのは大学教育への影響だ。英国はオックスフォード、ケンブリッジ大学など、世界一流の高等教育機関を擁している。しかし、それを支えているのがドイツ、フランスなどからの優秀な研究者である。しかし、彼らが母国に帰国する例が増えていて、なかなか後任が埋まらないようだ。
英国の世論調査によると、EU離脱は失敗であった、との回答が6割近くに達している。EU離脱を良し、とする回答は4割を切っている。2016年の国民投票でEU離脱に票を入れた人の20%が間違った決断であった、と後悔の念を示している。2016年の国民投票をやり直してEU復帰すべきだ、との議論も高まっている。とくに18~24歳の若手世代では約8割が国民投票となれば、EU復帰にイエスと答える勢いだ。
英国は自分で離婚届をたたきつけてEUを出ていった。それを再加入したいとは余りにも虫の良い話ではないか、と感じるのは英国を何度も説得したのに足蹴にされた欧州大陸諸国である。とくにフランス、ベネルクス諸国などドーバー海峡で英国と接している近隣国である。経済・社会的なつながりが深かったからだ。いまでも7年前に訪れた際に「英国は馬鹿な選択をした。経済的に苦境に陥り、再加盟を申し出てくるかもしれない。しかしEU側の反発を考えれば復帰に100年はかかる」と吐き捨てたベルギー出身のEUの高級官僚の言葉を思い出す。
ただ英国の離脱交渉を担当したEUのバルニエ首席交渉官(当時)が「英国の再加入はあってもいい」と発言するなど、大国である英国が再加盟すれば、EUの影響力が高まり、EU予算も増えるとの算盤勘定もあり可能性はなくはない。
フランスは当時のマーガレット・サッチャー首相が欧州共同体(EC)への加盟で没落した英国経済を再生しようと懇願したが、なかなか受け付けられなかった。EC加盟が認められたのは強硬に英国加盟に反対を続けたドゴール大統領が亡くなってからであった。今回も英国がEU再加盟を要望してもおそらくフランスがノンであろう。
英国がフランス他を説得するには、かつて大国ゆえに渋々許されてきた特権的な扱いを放棄した上での再加盟が条件となろう。
まず、第一に移民の自由な移動を保証するシェンゲン条約からのオプトアウトを放棄することが必要だ。元々、EU離脱の狙いは、主権回復以外には、東欧を中心とする移民が大量に流入して自らの仕事が奪われる、あるいは移民も医療サービスを受けられる国民健康サービス(NHS)の収支が悪化したことに対する国民の反発がある。ただ移民は東欧以外の地域で増えたほか、NHSの収支はさらに悪化していった。
第二には、英国だけに適用されているEU予算の軽減措置(いわゆる英国リベート)も廃止して他の加盟国と同じ扱いにすることだ。これはサッチャー首相時代に「EUの全予算の70%は農業政策の分野に充てられているが、農民の少ない英国が恩恵を受けることは少ない」と強硬に主張して予算の払戻しを受けていることを指す。
当然、英国はEU加盟時には仏独を中心にこの優遇策の見直しを厳しく迫られてきたが、粘り通した。経済規模で行けばEU拠出金の規模は独、英、仏となるはずだが、独の次は農業国の仏、英国は第3位となっていた。英国の再加盟に抵抗すると思われるフランスを引き寄せるためにもこのリベートは撤廃することが至当であろう。
第三に自国通貨である英ポンド維持に拘って共通通貨ユーロの採用を見送ってきたが、これをどうするかも大きな問題だ。ただ欧州大陸側が弱いポンドに引っ張られてユーロが下落しかねないと二の足を踏むかもしれない。
英国史上、最短の内閣となったトラス政権を引き継いだスナク首相の支持率は13%、不支持率は65%に達している。保守党の支持率も25~26%と労働党を20%程度下回っている。2024年までに行われる次回総選挙は労働党が勝利してEU再加盟を問う国民投票を実施して、EU加盟に向かって一歩踏み出すかもしれない。ただ、国内のEU離脱を求める層がなお4割近く、また身勝手な英国に対する欧州大陸諸国の反発もあり、その道のりは容易なものではなかろう。