米国のシンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)が公表した衛星写真から、中国が南沙諸島ファイアリー・クロス礁で進めてきた埋め立てがほぼ終わりかけている状況が明らかになりました。同研究所がウェブサイト「アジア海洋透明性イニシアチブ」で公開したもので、3000メートルの滑走路や、駐機場、建設中の管制塔、ジョンソン南礁の太陽光パネルなどが見て取れます。米国は工事を強く非難してきましたが、領土問題は実効支配力を強めたほうが有利。中国の支配権は強まったとはいえそうです。周辺国の取り合いが続いてきた南沙諸島の領有権問題について経緯を振り返ります。
南沙諸島は最大の島でも0.43平方キロメートルしかなく、住民はいませんが、周辺で天然資源の採掘ができる可能性があり、また、周辺国にとっては航路や漁場として重視されています。
現在、南沙諸島の領有権を主張しているのは、中華人民共和国(以下中国)、ベトナム、中華民国、フィリピン、マレーシア、ブルネイの6の国と地域です。
1877年、近代以降、初めて南沙諸島の領有権を主張したのは英国でした。スプラトリーという英語名も、諸島を「発見」した英国人船長に因んでつけられたものです。
1887年、清仏戦争の戦勝国フランスと清の間でベトナムと中国の境界を定める条約が締結され、南沙諸島は清の領域に含まれるとされました。清滅亡後、中華民国も領有を宣言しています。
しかし、1933年にフランスが再び領有権を主張し、これに対して日本(大日本帝国)と中華民国が抗議しました。1939年には日本の台湾総督府が南沙諸島の編入を宣言し、フランス軍を追放。第二次世界対戦後の1945年まで支配を続けました。1951年締結のサンフランシスコ講和条約で、日本は南沙諸島の領有権放棄を正式に宣言します。
第二次世界対戦後、中華民国やフィリピンが南沙諸島の領有権を主張。中華民国は軍艦を派遣して主な島を占領しました。また、「南シナ海諸島位置図(南海諸島位置図)」が作成され、これが台湾に撤退した中華民国と、大陸中国が南沙諸島の領有権を主張する主な根拠になっています。
また、サンフランシスコ講和条約を受けて、南ベトナムも諸島の領有を宣言しました。中国の支援を受けていた北ベトナムは、中国による南沙諸島領有を認めていましたが、南北統一後に撤回しました。以降、南沙諸島での中越対立が続きます。1971年には南沙諸島大平島(イツ・アバ島)でフィリピンの漁船が台湾船から銃撃を受けたのをきっかけに、フィリピンも領有権を主張します。
1974年、1988年には、中国とベトナムの海軍が衝突。共に中国が勝利し、南沙諸島の一部で中国の支配が始まりました。また、1995年にはフィリピンが領有権を主張するミスチーフ礁で、中国が建造物の建築しています。
2000年代前半には、中国、フィリピン、ベトナムが、海底資源の共同調査を行うことに合意しました。しかし、中国による西沙諸島での軍事演習や中沙・南沙諸島への実効支配強化を受けて、ベトナムで反中国デモが行われました。
2012年、中沙諸島スカボロー礁の領有権をめぐり、中国とフィリピンが対立。フィリピンは翌年、国連海洋法条約に基づき、中国を仲裁裁判所に提訴しました。
2014年5月、南沙諸島ジョンソン南礁で中国が埋め立て工事を行っていることが、フィリピン政府の公開した写真で明らかになりました。2013年2月には既に建造物があり、2014年3月には大量の土砂が投入されていました。フィリピンはASEAN首脳会議を通して中国に抗議しましたが、中国は自国領内で行っていることと主張しました。
2015年4月27日、中国外務省は記者会見で、埋め立て地は民間目的であり、南シナ海での航行や漁業活動の安全に役立てると主張。軍事目的を否定しました。
5月16日、ケリー米国務長官が訪中、中国の王毅外相と会談しました。ケリー長官は南沙諸島での埋め立てについて懸念を表明しましたが、王外相は自国領内の問題と主張しました。
5月31日には、中国軍幹部が埋め立ての目的について、「軍事防衛の必要を満たすため」と発言。軍事上の目的があることを初めて明確に認めました。米軍の偵察によればこの前後に、中国は人工島へ自走砲を持ち込んだと見られています。
6月30日、中国外務省は定例記者会見で、埋め立て作業は既に完了したと発表しました。中国の実効支配力は高まりそうですが、周辺国との軋轢はより強まりそうです。