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コソボ紛争ではNATOが空爆 ウクライナ危機との違いは

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【舛添要一が語る世界と日本(132)】NATO軍事介入なら第三次大戦に

公開日: 2022/03/08 (政治, ワールド)

CC BY-SA コソボ紛争時、NATO による空爆後のノヴィ・サド(1999年)=CC BY-SA /Darko Dozet

 ロシア軍がウクライナに侵攻してから10日以上が経つ。

 停戦交渉も行われているが、ロシアとウクライナの主張は真っ向から対立しており、妥協点を見出すのは容易ではない。フランス、ドイツ、イスラエル、トルコなどが仲介の労をとっているが、解決の糸口は見出せていない。

 ロシア軍の攻撃は各地で激しくなってきており、犠牲者や物的被害も増え、ザポロジエ原発はロシア軍の管轄下に入った。また、150万人以上が避難民となって、隣国のポーランドなどへ脱出している。第二次大戦後のヨーロッパで最大規模の難民の発生である。

 欧米諸国や日本は、ロシアへの経済制裁を強めているが、ウクライナの中立化と非軍事化を求めるプーチン大統領は、要求が満たされないかぎり、軍事侵攻を続けるとしている。

 そのような中で、ゼレンスキー大統領は、国際社会に対して様々な支援を求め、武器弾薬、食料などの生活必需品が続々と送られている。ウクライナは、義勇兵も応募しており、これにはすでに2万人以上が応じたという。しかし、最先端の現代兵器で装備されたロシア軍に対しては、義勇兵で太刀打ちできるわけはなく、これは世界の支持がウクライナに集まっていることを誇示する象徴的な意味のほうが大きい。

 ゼレンスキー政権は、NATOに対して飛行禁止区域の設定を求めたが、NATOはこれを拒否した。もしウクライナ上空を区域に設定すれば、ロシアの戦闘機は入れなくなる。そして、侵入警戒のためNATOの空軍機が動員され、違反して侵入する航空機がないように警戒飛行を行う。

 そうなると、侵入しようとするロシア機とNATO機が戦闘状態に入る可能性があり、それは第三次世界大戦の引き金となる。そもそも、同盟国でもないウクライナに集団安全保障を適用することはできず、NATOは軍事介入していない。できるのは、武器援助のみである。

 NATOが飛行禁止区域設定を拒否したのは当然である。プーチンは飛行禁止区域を設置する国があれば交戦国とみなすと警告して牽制している。

 ここで思い出すのは、コソボ紛争の際のNATOによるユーゴ空爆である。

 第一次大戦後に誕生したユーゴスラビア王国は、第二次大戦後、チトーの下で、ソ連邦の衛星国ではない自主的な社会主義連邦国家として再出発した。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と称される多様性にあふれる国は、チトーのカリスマで統一を保ってきた。6つの共和国とは、セルビア、クロアチア、スロベニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナであり、最大の民族はセルビア人である。

 しかし、1980年5月のチトーの死去後、経済も悪化し、国内の分裂要因が拡大した。そして、1989年のベルリンの壁崩壊後、東欧諸国の民主化に刺激されて、ユーゴを構成する各国は独立の動きを強める。1991年6月、10日戦争の結果、スロベニアが独立し、9月にはマケドニアも独立した。

 スロベニアと同日に独立宣言したクロアチアでは、セルビア人も住んでおり、クロアチア政府に対して抵抗し、内戦状態となり、多くのセルビア人が難民となった。国連が平和維持軍を派遣するなどして介入し、事態が落ち着いたのが1995年の11月である(クロアチア紛争)。

 1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナが独立したが、ボシャニャク人(ムスリム)とクロアチア人は独立推進で、セルビア人は独立反対で、三者入り交じっての内戦状態となった。これに、クロアチア内のセルビア人とクロアチア人の紛争も絡まった。

 1994年にはNATOがセルビア人地域に小規模な空爆を行った。1995年には国連保護軍まで攻撃されたため、NATOはセルビア人勢力に大規模空爆を行い、10月に停戦に漕ぎ着けた。12月の合意で、ボシュニャク人・クロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、セルビア人がスルプスカ共和国を独立性を持つ形での国家連合が成立した。

 このボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、民族間の対立により、大量虐殺、民族浄化という蛮行が行われた悲劇である。

 また、1998年にはセルビアでもコソボ自治州が独立を目指し、アルバニア人の武装勢力がユーゴスラビア軍及びセルビア人勢力と戦闘に入った。1999年になって、米英仏露独伊の調停チームが和平案を提示し、アルバニア側は同意したが、ミロシェビッチ連邦大統領をトップとするセルビア側は同意を拒否した。

 このため、3月にNATOは大規模な空爆に踏み切った(Operation Allied Force)が、ユーゴ軍やセルビア人勢力の抵抗は激しく、85万人もの難民が出た。そのためG8が政治的解決を求めて、米露EUが和平案を提示し、6月にミロシェビッチもこれ受け入れた。

 その結果、NATO主体の国際部隊(KFOR)5万人がコソボに展開した。その後、2008年2月にコソボは独立を宣言した。

 NATOは、域外への空爆を含む軍事介入を正当化するために、「人道上の理由」を持ち出した。しかし、国連安保理決議もないまま行っており、様々な問題があることもまた事実である。

 今、ゼレンスキー・ウクライナ大統領が、NATOに軍事介入を求めているのは、ユーゴの場合と同じく「人道上の理由」であろうが、状況が全く違う。当時は、ロシアも調停役に回っており、広く国際社会の合意があったのである。今回は、ロシアが当事者である。

 NATOが、ウクライナで第三次世界大戦の引き金を引くわけにはいかないのである。

舛添 要一 (国際政治学者)

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