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世界の主要国が反故にしてきた外交的約束の数々

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【舛添要一が語る世界と日本(139)】ロシアのウクライナ侵攻は、国際秩序の構築失敗の結果

公開日: 2022/04/26 (ワールド)

CC BY 独仏仲介によるロシア・ウクライナ間のミンスク合意(2015年2月11日)=CC BY /Kremlin.ru

 ウクライナ戦争は、ロシア軍が東南部を集中攻撃しており、停戦の見通しも立っていない。

 5月9日は、ロシアの第二次世界大戦対独戦勝記念日であるが、プーチン大統領は、それまでに大きな成果を上げることを狙っている。

 今は一刻も早い停戦を目指すべきであるが、ベルリンの壁崩壊以来30年余りにわたって、世界の主要国が安定した国際秩序を構築することに失敗した歴史、外交的約束を反故にしてきた恥ずべき歴史を振り返り、反省することも必要である。

 第一は、NATO不拡大問題である。

 ベルリンの壁崩壊後、西ドイツのコール首相は東西ドイツを統一するために、ソ連の理解を得るべく努力した。そして、ゴルバチョフ書記長の懸念を払拭させるべく、NATO不拡大を約束したのである。当時の外交に携わった英独露の関係者も、その「約束」があったように言及している。

 1990年10月3日にドイツ統一が実現し、1991年12月にはソ連邦が崩壊したが、NATO不拡大の「約束」は守られてきた。そして、NATOは、1994年1月に拡大の代替案として「平和のためのパートナーシップ(PfP)」を創設し、東欧諸国は加盟しないまでもパートナーとして扱うとし、ロシアもこれを了解した。

 ところが、1994年後半になって、クリントン政権は、大統領選で東欧系移民の票を得るために、「NATOにはどの国も加盟できる」と表明して政策変更をしたのである。

 このアメリカの豹変にエリツィン大統領は激怒し、アメリカに裏切られたと悔やんだが、1999年3月にチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟し、2004年3月にエストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアが、2009年4月にアルバニア、クロアチアが、2017年6月にモンテネグロが、2020年3月に北マケドニアがNATOに加盟している。

 2000年に大統領に就任したプーチンは、エリツィンの怒りを受け継いでいる。

 第二は、ブタペスト合意である。

 1991年にソ連邦が崩壊した後、核兵器を保有していたベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンが核兵器を放棄することとし、その見返りとして、ロシア、アメリカ、イギリスが安全保障を提供することを約束したのが、ブタペスト覚書である。

 1994年12月5日にブタペストで開かれたOSCE会議において署名されたが、問題は、安全保障上の法的義務については何も規定されていないことである。

 2014年のクリミア併合のときには、ブタペスト合意は全く実現されなかったし、今回のロシア軍による侵略に際しても同様である。そのため、ウクライナは、ロシアとの停戦交渉の過程で、NATO加盟を断念する代わりに、強力な法的担保のある安全保障体制の構築を求めたのである。

 第三は、ミンスク合意である。

 ウクライナ東部ドンバス州のロシア系住民居住地区では、親露派の武装勢力とウクライナ政府軍との戦闘が続いた。そこで、2014年9月5日にOSCE(欧州安全保障協力機構)の後押しで、ロシア、ウクライナ、ドンバス州にあるルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国は、ベラルーシのミンスクで停戦を合意した(ミンスク議定書)。

 しかし、戦闘が続いたため、2015年2月11日に、フランスとドイツが仲介してウクライナとロシアの間で、ミンスク合意(ミンスク2)が成立した。内容は、無条件の停戦、捕虜の解放、最前線からの重火器の撤退、東部2州に自治権を与えるための憲法改正などである。

 アメリカは一方的にウクライナに武器援助をしようとしたが、それでは問題は解決しないとして、陸続きで繋がる欧州大陸の大国、ドイツとフランスが調停に乗り出したのである。

 ミンスク2の後も、戦闘は止むことはなく、親露派勢力とウクライナ政府の双方がお互いを合意違反だとして攻撃し、事態の抜本的改善は見られなかった。今年になって、2月21日、ロシアは、ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国の独立を承認し、翌22日には、プーチン大統領は、「ミンスク合意はもはや存在しない」と述べ、24日にはウクライナに侵攻したのである。

 1989年のベルリンの壁崩壊、1990年のドイツの統一、1991年のソ連邦の崩壊後、冷戦に勝利したアメリカ側は、NATOの東方拡大によってロシアを絶望の淵にまで追いやった。新しい、安定した国際秩序を形成するという姿勢よりも、ロシア封じ込めを優先させたのである。

 それがロシアの反感、プーチンの怒りにつながったが、武力による威嚇、そして武力の行使を伴わない外交はロシアには通用しない。ブタペスト、ミンスクなどの覚書が単なる紙切れだったことが、それを示している。

 国際的合意が遵守されないとき、法ではなく武力が世界を支配することになる。

舛添 要一 (国際政治学者)

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