「米情報機関は新型コロナウイルスの起源について再調査を行ったが、『自然発生説』と『中国武漢ウイルス研究所からの流出説』の間で結論を下すことができなかった」
関係者の証言をもとに8月24日付ワシントン・ポストはこのように報じた。
5月26日に「新型コロナウイルスの起源について決定的な結論を出せるように2倍の努力を傾けて情報を収集・分析した結果を90日以内に報告せよ」と指示したバイデン大統領は、今回の報告にどのような反応を示したかは伝わってきていない。
世界の注目が集まる中で「中味のない報告」が提出されることはある程度予想されていた。8月12日付CNNは「情報機関内では依然として2説で意見が分かれており、報告書の内容には驚くような発見はないだろう」と報じていた。
納得のいかない報告の内容となった理由としては、起源解明には専門の科学者の知見が不可欠であり、海外の情報の収集を主な任務とする情報機関のスタッフにとっては無理な任務だったとの指摘がある。中国から詳しい情報が得られなかったことも一因である。
動物からの感染なのか、研究所からの流出かを巡る議論の沈静化にほとんど役に立たない内容でもホワイトハウスとヘインズ国家情報長官は期限を守ることに強くこだわったという(8月25日付CNN)。バイデン政権はこの問題の幕引きを図ろうとしていることがわかる。
与党の民主党もこの問題自体への関心が低いことから、目玉である予算案の審議やアフガンからの撤退問題で忙殺されているバイデン政権にとって、この問題にこれ以上関わっていられる余裕はないのである。
しかし米国民の半数以上が研究所流出説を信じており、野党共和党も研究所流出説に強い関心を示していることから、新型コロナの起源解明は来年の中間選挙に向けて再び政治問題化する可能性がある。
米国の煮え切らない対応に胸をなで下ろしているのは中国である。
米情報機関報告書の公表を控え「不当に中国を非難したい人々は中国からの反撃を受け入れる覚悟をした方がいいだろう」と警告するなど極めて神経質になっていた。
しかし中国はこれで戦いの矛を収める気配はない。
在ジュネーブ中国代表部は25日、世界保健機関(WHO)に対し、「新型コロナウイルスの起源を明らかにするため、米メリーランド州のフォート・デトリック陸軍伝染病研究所と米ノースカロライナ大学を調査するよう求めた」ことを明らかにした。
中国側の主張は「ノースカロライナ大学のベリック教授は2008年にSARSに類似するウイルスを人工的に合成する技術を開発し、ベリック教授の教え子の1人がフォートデトリック研究所で新型コロナウイルスをつくり出した」というものである。
中国側の一連のフォートデトリック研究所批判には気になる点がある。中国側は「米軍は日本軍の731部隊の主要人物を赦免する代わりに機密情報を入手し、これをもとにフォートデトリック研究所で生物兵器の開発が進んだ」と主張するため、第2次世界大戦中に中国黒竜江省ハルピンで活動していた731部隊の人体実験に関する文書を15日に公開しているからである。
公開された文書の内容は既知のものばかりであったことから、幸いにも中国側のプロパガンダは不発に終わっているが、日本にとってもこの問題はけっして「対岸の火事」ではないことを思い知らされる動きである。
パンデミック初期に「中国寄り」との批判を浴びたWHOだが、このところ「中国離れ」が急速に進んでいる。2003年のSARS流行時にWHOから隠蔽体質を厳しく追及され「煮え湯」を飲まされた中国はその後、WHOへの積極的な工作を行い「対中迎合」化を進めてきた(8月19日付ワシントンポスト)。だがバイデン大統領の前述の調査指示を契機にWHOの行動に大きな変化が見られる。
その象徴的な出来事は今年2月に実施されたWHO武漢調査団の団長を務めたエンバレク氏の爆弾発言である。エンバレク氏は12日、母国デンマークのテレビ局のインタビューで「中国側の圧力を受けたために『武漢研究所流出説の可能性は極めて低い』と結論づけた」と暴露したのである。
WHOは中国への第2次調査を提案しているが、中国側はこれを拒否している。
中国が米国の研究所などへの調査を求めていることについてもWHOは25日「中国の研究所からウイルスが流出したという仮説に根拠がないとする一方で、他国の研究所からの流出の可能性を調べる必要 があるとの中国の主張は矛盾している」と反論している。
WHOはさらに調査の妨げになっている「政治化」を防ぐため、新たな専門家グループの立ち上げ作業を進めている。WHOの一連の動きを見て、バイデン政権も「米国のみが中国の矢面に立つ必要はない」と考えたのかもしれないが、WHOだけでは新型コロナウイルスの起源解明は覚束ない。
筆者は「米情報機関が武漢ウイルス研究所の膨大なデータをハッキングにより入手した」という事実(8月5日付CNN)に注目している。まさに「宝の山」を入手したわけだが、分析作業には時間を要するため今回の報告書の内容にはその成果は含まれていない。
情報機関はその分析作業をインテリジェンス・コミュニテイー傘下の研究所に委託しているが、昨年5月「研究所流出説が妥当である」とする非公表の報告書を作成したエネルギー省所管のローレンス・リバモア国立研究所が中心的な役割を果たしていると考えられる。
同研究所は生物学に関する専門知識が豊富なことで知られており、年内にも研究所流出説を決定づける証拠が発表されることを期待したい。
コロナ起源の追及 特定せずの報告書では終わらず |
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【藤和彦の目】中国は米軍研究所の調査を要求、WHOの再調査は拒否
公開日:
(ワールド)
Reuters
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藤 和彦(経済産業研究所コンサルテイング・フェロー)
1960年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。通商産業省(現・経済産業省)入省後、エネルギー・通商・中小企業振興政策など各分野に携わる。2003年に内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣参事官)。2016年から現職。著書に『原油暴落で変わる世界』『石油を読む』ほか多数。
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