「米軍はサウジアラビアに派遣している地上配備型迎撃ミサイル・パトリオット部隊4隊と戦闘飛行隊2隊を撤収する。これに加えてペルシャ湾に展開中の海軍艦艇についても撤収が検討される見通しである」
このように報じたのは、5月7日付ウオールストリートジャーナルである。
その理由は「米国の戦略的利益に対するイランの脅威が低下しているため」とのことだが、ペルシャ湾において米国とイランとの間のつばぜり合いが続いており、額面通り受け取ることができない。
むしろ11日にサウジアラビア政府が突如「6月の原油生産量を追加的に日量100万バレル削減する」と発表したことにヒントがあるのではないだろうか。
OPECとロシアなどの産油国(OPECプラス)が5月から日量970万バレルの協調減産を開始したものの、原油価格がなかなか上昇しないことに業を煮やしたトランプ大統領が5月8日、サルマン国王と電話会談を行った。
この電話会談の内容について米国政府は「両国は世界のエネルギー市場安定の重要性で合意するとともに、防衛分野における両国の強い結びつきを再確認した」としているが、電話会談の場でトランプ大統領は「サウジアラビアの減産量が少なすぎる」と不満を述べ、湾岸地域からの米軍撤退をほのめかした(5月8日付OILPRICE)との憶測が広まっている。
これに慌てたサウジアラビア側がさらなる減産に決意したというのが真実であれば、トランプ大統領が今後も安全保障カードを武器にサウジアラビアにさらなる減産圧力を行使する可能性がある。
トランプ大統領の恫喝は今回が初めてではないからである。
4月30日付ロイターは「トランプ大統領は4月2日、ムハンマド皇太子に電話し、『価格競争を継続するならサウジアラビアとの間の軍事同盟を解消する』と恫喝した」と報じている。
追加減産の提案をロシアに却下されたことに腹を立てたムハンマド皇太子は、4月からOPECプラスの枠組みをご破算にして、「ダンピングによるシェア拡大」という仁義なき戦いを始めたが、これがトランプ大統領の逆鱗に触れてしまったのである。
米国の石油産業の苦境は再選を目指すトランプ大統領にとって大きなマイナスである。
1945年2月、ルーズベルト大統領とアブドラアジズ国王との間で「米国がサウジラビアの安全保障を引き受ける代わりに、サウジアラビアは米国に石油を安定的に供給する」旨の取り決めがなされ、現在に至っているが、この歴史的な取り決めをトランプ大統領は白紙にすると述べたのである。
真っ青になったムハンマド皇太子は自らが指示した石油戦略を撤回し、電話会談から3日後にロシアと再び協調減産を行うことになったという経緯がある。
原油価格が長期にわたり上昇しないと見込まれる現在、トランプ政権の外交政策の中心が「石油」ではなくなっていることは容易に想像がつく。
いずれにせよ、昨年9月のサウジアラムコの石油施設への大規模ドローン攻撃以降、2倍となっていた西アジアの駐留米軍の規模は再び縮小されることになる。
自らが仕掛けた「価格戦争」で米国の虎の尾を踏んでしまったサウジアラビアは、財政も「火の車」となっている。
サウジアラビアのジャドアーン財務相は11日、日本の消費税にあたる付加価値税を7月から現行(5%)の3倍の15%に引き上げると発表した。さらに付加価値税導入と併せて実施してきた物価上昇の影響を緩和するための生活費手当の支給(予算額266億ドル)を6月から中止することを明らかにした。
ムハンマド皇太子が主導する「ビジョン2030」関連のメガプロジェクトも聖域扱いされないとの方針も示された。
1バレル当たり約60ドルと想定していた原油価格が半値となるなど石油収入が大幅に落ち込んでいることに加え、非石油収入も低迷している。新型コロナウイルスのせいでメッカの巡礼を禁止したことにより観光収入が約120億ドル減少したことが響いている。
サウジアラビアの今年の財政赤字の対GDP比率は10%をはるかに超え、3月末の外貨準備高は4640億ドルと2000年以来の低水準である。今年の金融市場からの借り入れの規模が600億ドルにまで膨らんでいる(4月23日付日本経済新聞)。
サウジアラビアにおける新型コロナウイルス感染者数は4万人を超え、中東地域ではトルコ、イランに次ぐ規模となっており、公衆衛生関連経費が膨らむばかりである。
サウジアラビアの原油生産の中心地である東部の産業都市ダンマーム(人口約200万人)も5月3日、都市封鎖となった。原油輸出に支障は生じていないが、今後の動向は要注意である。
ムハンマド皇太子の命令で開始されたイエメンの軍事介入は5年を超えた。戦費は2330億ドルと巨額になったが、その結果は、イエメンからサウジアラビアへの新型コロナウイルス流入リスクの拡大のみと言っても過言ではない。
改革の「痛み」と新型コロナウイルスの感染爆発により、国民の不満が高まるのは必至である。「代表なければ課税なし」ではないが、今後国民の政治参加の要求が飛躍的に高まり、サウジアラビアで「アラブの春」が発生しかねないのである。
このように原油価格が歴史的な低水準となっていることが戦後日本のエネルギー安全保障の土台を揺るがすリスクとなっていることを、日本人はもっと真剣に受けとめるべきではないだろうか。
トランプ大統領の逆鱗に触れたサウジアラビア |
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【藤和彦の眼】原油暴落で付加価値税増税、「アラブの春」が吹き荒れないか
公開日:
(ワールド)
Reuters
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藤 和彦(経済産業研究所コンサルテイング・フェロー)
1960年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。通商産業省(現・経済産業省)入省後、エネルギー・通商・中小企業振興政策など各分野に携わる。2003年に内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣参事官)。2016年から現職。著書に『原油暴落で変わる世界』『石油を読む』ほか多数。
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